講義をしていると、色んな質問を受けます。
質問の内容は、基本的なことから穿ったものまで様々です。
時に、『…?』な質問もありますが、
おおむね、講義の流れで沸々と湧き上がる「好奇心」からの質問です。
こうした強い興味に裏付けられた「好奇心」を持つことって大切だと思います。
経験上、それらは技術者としての成長の糧となってくれるからです。
ちなみに、ふっと思いついただけの「質問」と「好奇心」から発せられる「質問」には
大きな隔たりがあるように思います。
「興味」と「好奇心」が重なっている場合、
「ひょっとして」「もしかしたら」と
質問した時にはすでに、自分なりの答えを模索しているからです。
その模索する過程を、
私は個人的に大事だと思っているのです。
うちの子も、3~5才の頃には
「あれなーにぃー?」「これなーにー?」「どーしてー?」「なんでー?」
のオンパレードでした。
しかも、投げかけられる疑問があまりに素朴な疑問すぎて、
なんか、ある意味哲学的だったことを思い出します。
でも、一つ一つ丹念に言葉を選んで答えてきました。(たぶん…)
当たり前の物事を、もう一度まっさらな眼で見直す機会になったような気がして
子供に感謝したりしなかったり。
いまでは息子も8歳、
いつまでも「なんで?」「どうして?」ではないのです。
「ねーおとーさん、これなんでこうなるの?」
「ん~、何でだろ? 何でだと思う?」
「ん~、きっとこういうことだと思う。」
なんて、自分で考えることができるようになってきました。
そうこうしている内に、辞書を引くことや本で調べることまで始めだし
好奇心をバネにグングン自分の世界を広げているようです。
頼もしいですね。(はい、親馬鹿です。)
好奇心って、新しい可能性の扉をひらく
「鍵」のようなものなのかもしれませんね。
私も好奇心を忘れずに、日々新たな扉を開き続けたいと、
そう思います。
質問の内容は、基本的なことから穿ったものまで様々です。
時に、『…?』な質問もありますが、
おおむね、講義の流れで沸々と湧き上がる「好奇心」からの質問です。
こうした強い興味に裏付けられた「好奇心」を持つことって大切だと思います。
経験上、それらは技術者としての成長の糧となってくれるからです。
ちなみに、ふっと思いついただけの「質問」と「好奇心」から発せられる「質問」には
大きな隔たりがあるように思います。
「興味」と「好奇心」が重なっている場合、
「ひょっとして」「もしかしたら」と
質問した時にはすでに、自分なりの答えを模索しているからです。
その模索する過程を、
私は個人的に大事だと思っているのです。
うちの子も、3~5才の頃には
「あれなーにぃー?」「これなーにー?」「どーしてー?」「なんでー?」
のオンパレードでした。
しかも、投げかけられる疑問があまりに素朴な疑問すぎて、
なんか、ある意味哲学的だったことを思い出します。
でも、一つ一つ丹念に言葉を選んで答えてきました。(たぶん…)
当たり前の物事を、もう一度まっさらな眼で見直す機会になったような気がして
子供に感謝したりしなかったり。
いまでは息子も8歳、
いつまでも「なんで?」「どうして?」ではないのです。
「ねーおとーさん、これなんでこうなるの?」
「ん~、何でだろ? 何でだと思う?」
「ん~、きっとこういうことだと思う。」
なんて、自分で考えることができるようになってきました。
そうこうしている内に、辞書を引くことや本で調べることまで始めだし
好奇心をバネにグングン自分の世界を広げているようです。
頼もしいですね。(はい、親馬鹿です。)
好奇心って、新しい可能性の扉をひらく
「鍵」のようなものなのかもしれませんね。
私も好奇心を忘れずに、日々新たな扉を開き続けたいと、
そう思います。