ダム巡りはまだまだ続きます。次は「すぎたダムね。」誰もがそう呼んでいましたが、道の道路標識に「すいた」とありました。杉田と書いてすいたと読みます。
穴内川とは別の物部川に造られています。
杉田ダム
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今までになかったゲートの形
なんだか巨大なバケットのついた重機が並んでいるような
手前の草むらの上のほうに空き地があってそこに車を止めて坂を数メートル下りてきました。
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手前の施設も物々しいというか、厳重そうというか、なかなか重厚なイメージのダムでした。
無骨だけど黄色のラインがよく目立って派手に見えます。
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左手に今登ってきた下流。
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真上から覗き込むの好きなんです。
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右手にダム湖
昔アラスカで見た景色みたい。きれいです。
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ええと・・・ここは平日じゃないとカードがもらえなかったかな? たくさん行き過ぎてわからなくなりました。
そろそろお腹がすいてきたので食べるところも探しながら行きました。この杉田ダムの湖畔に素敵なカフェがあったのでそこで昼食を食べました。このお店については次回に。
おなか一杯になったところでさらに上流を目指します。
ナビが「到着しました、お疲れさまでした」って言ってるのにダムがない?でも駐車場はここだよねえ、と降りてみました。なんか、民家とは違う建物がいくつかあるのですが、ダムが見当たりません。その辺をうろうろしてみたら
あった!
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ダムははるか下のほうにありました。
今まで行ったダムは道路と同じ高さもしくは一段低くなった場所にあったのですが、このダムは
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いくつもの鋭角に折れ曲がった石段と坂道とをこんなにも降りて行かなくてはなりませんでした。
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上から見ると、巨大な巻き上げ機が並んでいるような、今まであまり見たことのない姿でしたが、横から見てもやっぱりロープを巻き上げるような機械。
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多分あのゲートを引っ張り上げて開くのだと推測しましたが、
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反対側はこうなっています。天端を歩いて対岸から見ています。
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ダム湖。同じ物部川にあるので、景色が似通っているんですよ。
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そして帰りは、当然のことながらー
あの、建物があるあたりまで上がっていかなければならないのです。
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もと来た道は左へ行く石段ですが、私一人右の坂道を歩いて行ったら、薄暗い森を抜け建物をぐるっと回り、田んぼと田んぼの間を通り抜け、車でやってきた道のはるか下手のほうに行ってしまいました。仕方なく娘に電話して車で迎えに来てもらいました。
「よかったじゃない、トレーニングができて。」と娘。
実は石鎚の山頂荘に泊まる予定があったのです。(残念ながら台風14号に直撃されてキャンセル)
私を拾った車はUターンしてさらに上流へ向かいました。
ウマオが一番行きたかった永瀬ダム
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今度はオレンジ色
ダム湖は奥物部湖と言います。
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だけど、ダムの全様を見られる場所がなくて、
天端を歩いてみました。
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ここの天端は車が通れるくらい広かったです。
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向こうまで歩いて行ったら、やっときれいなダムの姿が見えました。
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杉田ダムに似た構造でしょうか。
そしてここでは唯一、直接ダムカードをもらえたのでウマオは大満足でした。
事務所のそばにあった、ダムの銘板というのかな? 年季と貫録を感じました。
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帰って調べたところ、このダムは下流域の洪水調節と発電と農業用水の供給とを兼ねた多目的ダムで、戦前から建設計画があり、戦後着工して完成したのは昭和31年だそうです。
私が小学生の頃ですね。ダムで思い出すことがあります。
愛媛県にも面河ダムと発電所ができて、ダム湖に沈んだ笠方村の人が近所に引っ越してきました。子どもだった私には何のことやら・・・でしたが、すぐに地域に馴染んで暮らしていたのではないかと思います。
田舎の学校には珍しく転校生が来たこともありました。その子はお父さんの仕事の関係でたびたび転校しているらしく1年もたたずにまた転校していってしまいました。中学生の時にもお父さんが何かの工事関係の仕事をしているとかということで転校生がきました。いずれも、面河ダムができたことに伴う発電所関連のお仕事だったのかなと思います。
それから私が教師になってから出会った子どもですが、両親を亡くしおじさんに引き取られたもののおじさんはダム工事の仕事をしておりその関係で転々と学校を変わらなければならず、里親に預けられることになりました。幸い、その子は里親に大切に育てられて成人し、とうとう本当の養子縁組をして幸せに暮らしています。
ダムを作る人やその家族、ダムのために故郷を離れる人・・・ ドラマがあったのは黒部ダムだけではありません。どのダムにも知られざるたくさんのドラマがあったにちがいありません。
ふいにわたしは父のことを思い出しました。
父は電気工事関係の仕事をしていて、時々山奥に出張に行くことがありました。今でも心に残っているのは、久万町への出張のお土産が、生きたクツワムシだったこと。そんな何もない山奥へ何をしに行ったかというと、まだ電気の通ってない村々に電柱をたて電気を送る仕事だったんですね。その仕事も、四国電力の発電量が増えたからこそだったのではないかと思います。
日本中の人々がより良い暮らしを求めて頑張っていた昭和30年代。自分が働くことが人々の幸せにつながり、自分もまた良い暮らしを得られるー働くことの意義が目に見える幸せな時代に父は働いたのだと思います。もっとも、あの頃はよかったと手放しで懐かしむ気はありませんけど。