祈るのは飛躍することのみ
けふは、在籍校の卒業式・修了式でした。知らないで登校したものですから、門の前で戸惑ってしまいました。入ってもいいのかなというわけです。愚生には卒業式はあり得ないからです。中途退学か、学位取得しかないからです。こそこそといつもの院生室に目立たないように入室しました。そして、持参したTabletでずっと勉強をしていました。銚子に分布している妙見立像の分布について先輩郷土史家の原稿を拝見させていただいておりました。これはこれで、なかなか参考になります。
午後3時になりましたので、帰ろうとしました。
そしたら、今日、修士を取得された妙齢のご婦人が愚生のところに来て、今日で終わりだからお話をしようと言われる。院生室で5回ほど見かけたけれども、どんな人かまったくわからなかったからとの事でした。(傀儡のごとき異相をしているからでしょうねぇ=苦笑)快諾しました。もう一本遅い電車で帰ればいいんですからね。
いろいろお話をさせていただきました。そもそも栄養学から畑違いの学問(経済学)をしたくて、本学修士課程に入学されて本日めでたく修士となられたわけでした。素直に、おめでとうございますと申しあげました。なかなか大したものであります。
愚生のことも申しあげました。たいへんおもしろおかしく申しあげたせいか、どっかで講義でもしてくださいなと言われたのですが、それは固辞いたしました。そんな能力は、愚生には無いからです。ただし、民俗学みたいなもんをかじっているので、話題はつきない。旅から旅へとうろうろしているんですから。こりゃ聞いている方はたまらんでしょうな。それとひかっけて農民芸能。さらに、どこの道ばたにもおられる道祖神も研究対象にしています。そして、これは言わなかったケド、庶民の性風俗も。漫談みたいになってしまって、けっこう自己嫌悪でした。(^-^)/
東金のキャンパスには、多くの学部生と修士の修了生がいました。
いい光景です。いつもながら。「飛躍」という文字が浮かびました。ほんとうにいい人生を送っていただきたいものであります。
こういう風景を見させていただくと、じゃぁオレは何なんだ?と思ってしまいます。どうもその辺りが、モチベーションが高まらないというか、なんだか将来の夢を見ていて頑張っている方々に申し訳無いという気持ちになってしまうのです。道楽で、趣味で、論文の資料収集のために、民俗の旅とか自称して旅行ばかりやっている。さらに、へたくそな論文書きばかりやってていいんかね?という自虐がある。そういうことなんです。いてもいなくてもいい存在でしかない。
どんな人生にも意味があるんですけれども、それがナニカの地位とか経済的保証に結びついていないから意味がないとは思いません。もう働きバチの人生は終わったのですから。好きなように生きていますし、生きていきたいのであります。
でも、これからの方々には、こういうことを言ってはなりませんなぁ。こんなじじぃにだけはなりたくないという反面教師ならいい教材になるでしょうけれども。
塾にこれから行きます。17:56です。
おいしい夕食をいただいてから。
これもまた家族の理解があるからできるんでしょうなぁ。
もっとも、ずっと家にいたら、それはそれでどれだけ邪魔になるかと思うと、こっちの方が恐ろしいですワイ。
(^_-)-☆