イシガミを写す
今朝は、ちょっと早起きをしたので、この一月に亡くなった紀州の老犬ジョン(享年17歳)といつも散歩していた田舎道をたどっていた。カメラを持って。いいお天気である。さわやかであった。そして、老犬がいつも不思議そうに見ていた古い石でできた像を写真に撮ってきた。
老犬と共に、全身に精霊の風を受けていた像である。古ぼけた形の崩れかかっている像である。昨日、郷土史家の妙見像の原稿をワープロで打ち直していたから、このようなものに関心が向かったのかもしれない。否、兆しはあった。幼い頃から、山形の故郷でこういう石の像はかなり見ていたからである。おまけに、悪童であった(今でも悪童であるが=悪爺)から、悪たればかりやって悪童仲間と遊んでいた。おしっこや石を投げたりして、どっちが命中率がいいかとかなんとか、実にばかばかしい罰当たりなことを言いながら。だから、こんな罪作りな生涯を送るはめになったのであろう。少なくとも宗教者には絶対になれなかった。
こういう像は、田舎ならいくらでもそこらへんに転がっている。エロチックな形をしたものもある。ガキのころはよくわからなかったが、今となっては大変おもしろい。地蔵さんの像もいろいろあって、これまたかわいいのを中心に茅屋の書庫にちょこっと置いてある。あ、こちらはちゃんと買ってきたものです。暇なときに(たいていは非常に暇である)眺めては、まねごとで合掌したりする。落ち着く。実に落ち着く。
愚生は、居住地に今は市町村合併で組み込まれてしまったが、U町というところの町立中学校に初任者として赴任させていただいた。いくつかの幸運があって、本来愚生のようなものではなくて、国立群馬大学出身の新進気鋭の若者が赴任する予定であったのだという。それが、急に地元に教員として決まったからということで、欠員が出たのだ。そこで、仕方なしに愚生に声をかけていただいたのである。本当にラッキーであった。以来、四〇年近くにわたって、この地に住まわせていただいている。感謝している。U町も、居住地も実に住みやすい。気候も温暖で、魚も、野菜も、なんでもうまい。それに東洋一と言われる大病院もある。人情もある。愚生のようなよそ者にも親切にしていただいた。しかも、近隣の進学校を出ていないのに、高校の校長までさせていただいた。奇跡だと言われた。人脈が全くないからである。今も、ないけど。
そのU町に非常に多くのこういう石の像があるのだ。よい風景である。馬頭観音が有名である。馬に乗った観音様が、坂道の途中にいくらでもおられる。土地の人々の労役馬に対する思いやりである。愛情に満ちている象である。いいところだなぁと、U町の中学校の教員をさせていただいている時に感じていた。まさにそのとおりの土地である。
柳田国男に「石神問答」という作品がある。
こういう石の象でできている神たちについて書いてある不思議な作品である。今回この記事に紹介したようなものとはちょっと違うが、我々日本人の潜在意識にある「古層の神」を取り上げている。「シャグジ」という不思議な神たちを取り上げている。他の場所では、縄文時代から続いている像もある。
そうした像を追って、離島を巡ってきた。場所ごとにいろいろな呼び方をされていたが、不思議な神たちである。しかも、呼び方は柳田の言うように「サ音+ク音」が多い。シャグジ、ミシャグジ、シャクジン、シュクジン、シュクノカミ、シクジノカミ等々。この呼び方は、世界の「境界」を意味するものと柳田に教わってからは、非常に興味が沸いた。
シャグジは、国家神道の枠組みには組み込まれていない。どんな帳面にも出てこない。言わば土着の神々である。さらに言えば、太古の昔からこの日本列島に息づいていた神々でもある。まだ神社というものもなく、組織的な宗教団体などもむろん存在していない。愚生のように、カメラを片手にというあふぉ~な老人もいない。
ところが、この古層の神は生き残っていたのである。芸能と技術を専門とする職人達の世界である。その名も「宿(シュクジン)」である。
ここまでが愚生の問題意識である。ことの発端である。農民芸能と能楽源流ということを考えてきたのも、これがあったからである。悪童時代に、小便をひっかけて遊んでいた罰が今になって、像の由来と、と~まの生涯学習として登場してきたのである。強制的に。ありがたいかぎりである。感謝である。見捨てておられなかったのである。
往生するためにも、真剣にやらせていただこうと思っている。
(^_-)-☆