いつも勝手なことばかり書いていて、少しは申し訳ないとは思っているのだけれども書かないと忘れてしまうからブログに書かせていただいている。そういう側面を愚生はけっこう重視していて、ここからへたくそな論文めいたものにいくつか発展していったから、けっして愚生には疎かにできないのである。
だから許されよ。
日常的なことは、Twitter一本に絞ってしまったから、Twitterでつぶやいたことは、ダイレクトにブログに反映されるように仕組んである。最近は、このTwitterで意見を交換させていただく方も増えて、なかなか楽しい。それぞれのツールに役割分担を願っているから、こちらはこちらでいいものである。
それで、けふは、「地域学」ってなことである。「地方史」というと、なんとなく中央と対峙している地方という感じがして、愚生はあまりおもしろくない。その中央だって、京都を中心とした関西勢力と、江戸の勢力と対峙している。江戸から後はどっちが中央なんだかわからんくらいに変遷してきている。地方の対象が変わってきている、と屁のつっぱりみたいに考えているからである。
だから、「地域学」とでもしたほうがよろしいのではないかと思うのである。愚生が今住んでいるのは、関東である。だから「関東学」とでもいったほうが感覚的にはすっとくる。まさにすっとくるのであって、そこには根拠もなにもないのであるが。
特に、中世のことを調べていると、錯覚に陥りやすい。厳に戒めているのだが、どうしても中世文化は西国中心というか、京都・奈良以外は視野に入ってこないということになりやすい。これはとても危険なことである。中世のときも、関東は存在していたのであり、文化のレベルも高かった。安房地区からも、竹に書かれた文字が、京都まで運ばれていったし、考えもつかないような交流が、関西文化圏と関東にはあったのである。
八丈島も、時代劇などを見ると島流しのイメージが強く、流された以上、もう帰ってこられない島が八丈島というのが我々には染み着いている。しかし、ここには装飾品をまとった縄文時代人の墳墓が発見されている。死んだ後に、自分で墳墓を作る死人はいないから、常態的に生活していた縄文人がいたということになる。そのことがなにを意味するのか。縄文時代の人々は、今よりも考えられないような海上の道を持っていたのである。
現在の我々は、臆病である。だから、太平洋を小さな舟で行き来することなんてできないと断定してしまうのである。我々のご先祖様たちは、今よりも勇敢であったと考えるべきであろう。
グローバルなんとかという言葉がはやっているけれども、我がご先祖様たちは、東洋の世界だけではあったけれども、なかなかしたたかに生きていたのだ。
そこには、日本古来の民族が持っている大いなる大地信仰というものがあって、アニミズムとドッキングしたところの土着信仰と、神道が合体している。後から仏教が入ってきて、それこそ神仏習合的な形態になっていったのだけれども、まだまだその影響は現代の日本人にも影響している。無宗教であることを誇りに思うような、世界の中では特異な民族になってしまったけれども、まだまだいろいろな意味で習俗を気にしたりする人は多い。仏滅とか、大安とか、大吉とか、大凶とか。さらには、日本国民ほとんど全員がキリストの誕生日を祝っているという実におもしろい国でもある。つまり、古代からふわ~っとした信仰みたいなものを持っていたんだろうと愚生は思うことにしている。大地や海、大自然への限りない畏れと信頼が同居していたのであると思っている。それが如実に信仰に現れていると。ま、今はそのことには触れない。これからの愚生の追求課題であるから。
大地への、海への畏れと信頼があるから、逆にどこへでも出かけていたのだ。天竺というのは大げさとしても、中国南方とか、インドシナ半島あたりまで。しかし、今日は北方にもいろいろと出かけていたらしいということを、知った。さすがである。つまり津軽海峡をどうどうと小舟で行き来していたらしいのだ。確かに、去年大間の港から見えた函館は、渡るのに不可能な距離ではないようにも思えた。
コンパスの針をどこに置くかである。関西に置けば、関東は遠くの地。関東に置けば、その逆である。八丈島に置けば、関東も近在地になる。八重山諸島にコンパスの針を置けば、また違って見えるのが本州であろう。
地域学というのは、このコンパスの針の置き方である。どこに置くかはその人の自由である。視点といってもいいけれども。それによって、人生が変わってしまう人もいるかもしれない。
愚生のように。
ハハハ。
(承前)『大日本史料』に引用されている「柳原家記録」には、仙台藩お抱えの大鼓方幸流・白極善兵衛言次が伯耆大掾に補任されている記事がある、と読んだのですが、未だ確認できていません。ただその引用文には「太鼓打」との注記があり、その「太」の文字に()つけて「大」と訂正してありました。
観世音寺馬頭観音立像:馬頭観音は怒りの激しさによって人びとを苦しみから救い、馬が牧草を食うように悪趣を取り除くといわれている。観世音寺は東大寺、下野薬師寺とともに「天下三戒壇」のひとつで、開基は天智天皇である。 twitpic.com/9cgiee
”神は矛盾の典型である。小さなことにこだわり、人を巧みに操り、懲罰的である一方で、度量が大きく、率直であり、寛大である。” j.mp/JbrSrn 『旧約聖書のゲーム理論 ゲーム・プレーヤーとしての神』S.ブラムス
おはようございます。本日正午より目黒の喜多六平太記念能楽堂において喜多流職分会自主公演「自然居士」「西行桜」「鉄輪」でございます。私も「経政曲」の仕舞を、勤めさせていただきます。また開演前に事前講座もございます。ご高覧お待ちもうします。
だいぶ前に録ったBSプレミアム新日本風土記の佐渡の回観てるけど、佐渡にはムジナ(狸)信仰があるのか。狼とか蛇とか狐とかいろんな動物信仰があるけど、これってその土地で親しみがあったり象徴する動物に「自然」の力や不思議を見てるってことなのかな。素朴だけど真摯な祈りを感じる。
キーボードを交換しました。時々、こうやって気分転換しています。ちょっと軽めのタッチのを使っていたのですが、やや深めのにチェンジしました。
けふ、小さな旅というNHKの番組を見ていました。草津温泉をやっていました。温泉もなんもどこにも行ったことがないので、興味深くいつも拝見させていただいているのですが、今日のは「遅咲菩薩」というのが草津にはあるのだそうで。なかなかいいネーミングですよねぇ。オレも参拝してみるかな。
新薬師寺十二神将像:本尊薬師如来坐像を囲む。12躯のうち、1躯のみ昭和の補作である。各神将がそれぞれ7千、総計8万4千の眷属夜叉を率い、それは人間の持つ煩悩の数に対応しているという。 twitpic.com/8mtdzh
1055 上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな(スッタニパータ)
ブログ更新。恒例、本棚に入れたい新刊書等をリストアップしました。今週は若干多めなので二回に分けます。『歴史の彼方に隠された濁点の源流を探る』(汲古書院)『漢字雑談』(... d.hatena.ne.jp/consigliere/20…
宇都宮大学が、よくある私大のような宣伝をし始めた→「知ってますか?(宇都宮大学サイトより)」utsunomiya-u.ac.jp/docs/130311_Ut… twitpic.com/cdxjt2
【利根川図志】飯沼観世音 飯沼山円福寺、十一面観世音(坂東二十七番)…。そもそもちょうしといえる名は、志摩の国の答志と音かよいたれば、仮名も天不志(てふし)とかくべく、詞の心は出伏(でふし)、または遠伏(とおふし)などのよしなるべくおぼゆと、与清鹿島日記にいえり。
【利根川図志】滑川観世音 滑川村にあり。滑川龍正院という。坂東順礼二十八番の霊場なり。本尊十一面観世音(御長一丈二尺、定朝御作)、脇立不動明王・毘沙門天なり。…承和七庚申の年草創、御堂の側に船越地蔵の堂あり。この地蔵尊、網もて朝日淵よりすくい上げたまうという。
みんなの声が届いたみたいで、NHKの教養系番組が4月から強化されるそうです。不定期放送だった「古典芸能への招待」も毎月放送に!yomiuri.co.jp/entertainment/…
「主よ、あなたを愛します。主よ、お許しください。主よ、あなたを信じます。主よ、あなたに頼ります。あなたがわたしたちを愛してくださるように、わたしたちも互いに愛し合えるようお助けください」と祈ればいいのです。祈りを通じて学びあうとき、そこからあなたの力が生まれてきます。