[せめて世間様のために]
一度発した言葉というのは怖ろしいものである。このブログのことを言っているのではない。これまでの来し方を思って言っている。仕事でいろいろなことを言って来たが、あるいは私生活でもいろいろと発言をしてきた。計算しながら話したことは無かったのだけれども、発言にはくれぐれも気をつけた方がいいという古来からの教えは本当だったなぁと、今になって思う。
普段から人間についてどう感じているか、あるいは考えているかというのが如実に出るからである。その最たるものが、発言によるトラブルであろう。相手がどう受け取ったかということを、おもんぱかることなく、でたらめに発言をしてはならない。うぜーって思われている可能性だってある。ブログならまだいい。気に入らないなら、他のサイトに行けばいいだけである。発言はそうはいかない。聞きたく無くても、聞こえてしまう。愚生なんかは、悪口専門に聞こえてしまうから始末に負えない。マジに。普段は耳の悪いふりをしているから、他人の言うことなんぞ聞こえないんだけれどもねぇ(^0^)
ある程度他人の評価も気にした方がいいだろうとは思う。厳しくあなたを指導して、大いなる成長を期待しているのかもしれないからである。それを全く無視してはいけない。素直にそれはそれで受けとめるべきであろうと思う。それでないと成長しない。問題は、気にしすぎの場合である。あまりに神経質にあれこれ気にして病になってはいけない。ダメだったら、ダメでいいのである。しかたないではないか。ダメだったら、また新しい世界や場所でがんばればいいだけである。その点、愚生のやっている生涯学習はなかなかいい。ダメ元であるからである。またどっかでがんばればいいだけであるから。
生涯学習で無駄になったものは何一つない。全部、すてきな体験であった。回り道をしていただけでないかと、言われた時も随分あった。その結果がこんなもんかぃ?って。いいんだ、いいんだ。棺桶に片足入れた時に、「あああ、この世は美しい」って言われたブッダのように、オレも死んでいきたいだけであるから。今まで書きためた論文・愚生の原稿の載った雑誌や書籍を突っ込んでもらって。
いいじゃないか、こんなもんで。これで愚生には精一杯なんである。一生は短い。時間がない。いつ死ぬかわからない。愚生は再生や、輪廻を信じないし、人生一発勝負と思っているけれども、だからこそ今この瞬間の連続がいとおしいのである。
来月から二年生になるようだ。ようだというのは、まだ学費請求用紙が来ていないので。払うつもりでいるし、退学も自分からはしたくないので。これでまた新境地を開きたいものである。愚生の勉強範囲は非常に幅広く多くの書籍や論文を読むしか無い。だから時間がもったいないのである。朝から晩まで、ずっと読書して、ノートやカードをとっているのも、時間がもったいないからである。思うに、本当に良い時間を過ごさせていただいている。地位も名誉も、金も、力も、勲章もなぁ~んにも、全部無縁であるが、納得できる境涯である。
他人になんと言われようと、そんなの関係ねぇ(小島よしおみたいだが)なんである。誰に言われなくても、自分のやりたい分野の勉強をしていくしかない。成果がでなくても、途中で放り出されようとも、それは自分が招いた結果責任である。最低でも、在籍校にだけは迷惑をかけないということをこころがけてはいるが。
夕方になった。さ、これからジムに行って、夜は町内会役員会である。
せめて世間様のお役に立てるようにやりまひょ。
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