友人達の活躍に刺激を受ける
大手前大学というところの大学のHPに、Oさんという方が在学生インタビューで登場している。
「新たな目標を見つけ、第二の人生を有意義なものにしたい。(正科生)これまでの知識を総括して、第2の人生に生かしたい」というタイトルで書かれている。愚生と同じ年齢である。技術系公務員で退職されて、修士のときに知り合った方である。仕事をやりながら、40代で法学、考古学を50代で、その後認定心理士をめざして心理学を学び、人間学(修士)をめざされた方で見事に修士をGetされた方である。実は去年京都の龍谷大学で学会発表をさせていただいたときに、久しぶりにお会いした。昼食を一緒にとらしていただいた。現在も学生をされている。その学部の友人をお一人紹介していただいたっけ。今でも、彼と彼の友人とはFacebookでいろいろとやりとりさせていただいている。ありがたいものである。
生涯学習というのは、言葉にして言うとたったの4つの漢字である。しかし、なかなか実践が難しい。仕事をしながら、学ぶ方が殆どであるからである。学生専門で、生きているならそれはそれで結構なことである。素直に応援させていただく。ある意味、愚生にはできなかったことであるからである。愚生は、遊学できたのは高校まで。学部も勤労しながらであった。昼間の学校に働きながら行くというのは、なかなか困難であった。それから教員をしながら、延々と専門学校や、放送大学等々の通信制大学を続けてきた。だから在籍校に通学してから初めてゆったりと学ぶことができるようになったわけである。こんな懶惰な人間でも入学させていただいたということに、在籍校には感謝している。在籍校の学部も修士も出ていないのに、入学させていただいたからである。これからご恩返しに、学会の研究発表にチャレンジして、在籍校の名前をオオイニ喧伝させていただくつもりである。龍谷大学での学会発表の時も、発表者の大阪大学博士後期在学中の女史に在籍校の名前を覚えていただいたし。知らなかったようであるから。(^0^)/
そういう意味で民俗学もどきものをやっていると、いろいろなことがあって楽しいものである。郷土史の研究会にお誘いをいただいて、今年から編集担当とならしていただいたし。また、各市町村にある郷土史研究団体の総括的な会であるから、非常に優れた方々が多く、学恩をいただいている。古文書まで教えていただたくのであるから、こちらもおもしろくてならない。毎月研修会があって、なかなかの盛況ぶりでもある。
現役時代は、ホントウに忙しくてできなかったことが一気に退職後にやれるようになったのである。感謝しなくてはならない。こんな老後が待っているとは、お釈迦さまでも予想できなかったであろう。なんて書いているとバチがあたりますかな。(^0^)
反面、柔道ができなくなった。老化であろう。体力がない。もう、大人と稽古することができない。高校生も、ムリ。中学生でやっと。ハハハである。小学生には、バンバン投げられてしまうし。かつて、140キロのベンチプレスをあげて、94キロも体重があった柔道マンには見えない。自嘲である。こんなはずではなかったなぁと思う。そもそも運動系はダメである。こころ優しい人間でもあったから、格闘家としては失格である。だいたい、顔がそんなに恐ろしくないのが最大の欠点であると思っているのだが。ま、誰もそんなことは言ってくれないから「自称」ですがね。
話を元に戻そう。生涯学習である。
Oさんも、それにIさんという方も愚生の生涯学習仲間であるのだが、二人とも次の進路を考えておられる。なんというスーパーマンであろうか。安住というのがないのだ。どこまでも貪欲である。Iさんというのは、大学院4つめである。銀行の方でこちらも修士の時に知り合った方である。刺激的である。そもそも二人がおられたから、愚生もやる気になったのだ。
再雇用の道を選択しないで良かったと今は思っている。知人達からいろいろなオファーもいただいた。望外の報酬も提示していただいた。しかし、仕事をしながらの学びはもう卒業したかったのである。専念したかったのである。
あと何年生きられるかわからないからである。「死」を射程に入れて行動しないと、後悔だけでご臨終とはなりたくない。死を見つめ、老いるということを真摯に見つめることが、修士のときにお世話になった大学の学びでもあったのだから。愚生の周囲に、サルや、ウサギや、熊さんとか、象さんとか集まってきて、泣いているような夢を見るようになったら、それはそれで愚生のこの世とのおさらばのきざしである。そのときは、そのとき。それまではしぶとく生きているつもりである。