鏡なんて捨てた
昨日は柔道を久しぶりにやった。冬の間は寒くていけない。いけないものはやらないにこしたことはない。第一、健康によくない。もう技術的な向上も愚生はあり得ないし、体力もつかない。ナイナイづくしである。しかし、このところの暖かさに冬眠から眼が覚めた熊のようにのこのこと居住地の道場に出かけてしまったのである。
立ち技をやっていた。ところがである。ちゅーぼーとやって息がきれるのだ。わらっちまったですなぁ。こんなんじゃなかったはずだと思うのだけれども、思うだけである。まったく情けない。
小さいときから、愚生と稽古してきたから、相手のちゅーぼーは普段は手を抜いても愚生とやるときだけは全力でくる。眼が真剣である。こっちは、ふらふらである。振り回されて、何度も膝をつく。相手を褒めて自信をつけさせるというような余裕はない。じじぃになったなぁとしみじみ思ったのだ。
時々、負け惜しみでいうことがある。美男子は、金と力がないものであると。その冗談が冗談ではなくなってしまった。ホントウに力がない。あ、金は元々ない。さらにかつての美男子であったと~ま君は、老いてしまったのである。見る影もない。かわゆい少年であったのに、時間は実に残酷である。だからもう鏡を見ない。鏡なんて、捨てた。もう二度と愚生の前に現れないように、と。(^0^)
もう他者にどう思われているかなんて、無いのだ。だから、平気でいられる。頭髪が無くてもである。ハハハである。おしゃれもしない。ヘアトニックとか、ポマードとかもつけない。つけるケがないのだ。その「気=ケ」がないのだ。あんまり気にしないから、配偶者が怒る。いろいろ着る物を買ってきてくれる。もう面倒くさいでござる。リタイアしてからはスーツを着ることはまったく無くなった。ネクタイもしない。よほどのことがないと。
普段は出かけるときも、自由人のようだ。まるっきり。ブレザーくらいは着るが。シャツもボタンダウンでネクタイはしない。靴もそう。いわゆるビジネスシューズは捨てた。
これからはもっと自由にしようと思っている。赤シャツでもいいと思っている。還暦を過ぎたのだから。次に買う車は、真っ赤な色にしようと密かに計画しているくらいだ。ロータリーエンジンのスポーティな車がいい。
大型オートバイにも乗っていた。55歳くらいまで。こっちの購入計画も立てていたら、配偶者にばれてしまった。400くらいのヨーロピアンを、ホンダあたりからと思っていたら、頓挫した。
いつ死ぬかわからないからと思っていたら、まだ長生きをせよとのたもう。オレなんか生きていたら、生涯学習ばかりやっていて、まだまだどっかの大学に通うだろうから、金喰いじじぃでございますよ。ハハハ。
明日から、在籍校ではない大学で講義をしなくてはならない。けふはその準備もしていた。なかなかおもしろい講義にするつもりだ。拙ブログでは話題にできないから、ちょこっとだけ書かせていただくのだが。どんな学生さんが来るのだろうか。なにしろ教員採用試験を受けたいと希望しているまじめな学生さんである。こちらも真剣にやっている。人の一生を左右するからである。だから資料は実に充実している。自画自賛かな?・・そんなこともないと思っているけれども。
その大学は在籍校と愚生の居住地を挟んで反対側にある。北と南である。だから、あっち行ったり、こっちへ来たりで楽しいのである。まためまぐるしい新年度が始まる。ありがたいものである。
冬眠から目覚めてよかったと思う時節である。
もっとも、永遠に目覚めなくては、あっちの世界の住民になってしまう。そいつは、まだまだたまらんことである。やるっきゃないですな、やるっきゃ。
そういうことである。そういうこと。
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