あぁ大変
Twitterでいろいろな方の書き込みをリツートさせていただいて、拙ブログに次の日反映させていただいている。なかなか参考になる。こういう使い方ができるとは知らなかったから、ありがたいツールができたものである。仏像のTwitterもあるし、マザーテレサのTwitterもあるし、世界遺産のTwitterもある。よりどりみどりで、大変勉強になる。昨日のTwitterでS女史のつぶやきには、アタマをがーんとやられたような気がしたから、さらに勉強になった。それは、一冊の本を丁寧に読むこと、キーワードを探すような斜め読みはいかがなものかということであった。S女史の言われるとおりである。大変な研究者であるから、言われることに重みがある。
こころに残ったTwitterのつぶやきをこうやって拙ブログに残しておくと、拙ブログは後で、書き込みをダウンロードできるから、永久に保存できるのである。これまたありがたいことである。そしてまず発信をしていくことから、Twitterは始まるから、実際行動が積極的になる。もじもじとしていたんでは、何事も始まらないのであるから。だから他者はオレのことを理解していてくれるはずだとか、オレの実力を認めてくれないのは上司が悪いとか、言わないことである。
他者は、とっくにオレのことなんか見極めているかもしれないではないか。あれはダメだ、使い物にならねぇとか(^0^)
こりゃまるで、愚生のことを言っているようだなぁ。天に向かって唾するってやつだ。ハハハ。
だから、愚生はそう簡単に他者への評価を下さない。あたりまえである。オレ自身に、自信がないからだ。そんなことをしちゃぁいけねぇよん、と~ま君っていつも自分に言い聞かせているのだ。
昨日の晩に塾に行った。今度英語教育が大幅に変わる。英語で説明して、英語で考えさせるのだそうだ。そこで愚生はある人に質問をさせていただいた。つまり、愚生は英語で語って、英語で考え、英語で文法事項を説明できないからである。だったら、退職するしかないではないか。まっとうな自己評価でもある。簡単なことである。学校の英語の授業もどうするんかねぇ。楽しみでもあるけど。そうなると塾は、英語の得意な先生しかいらなくなる。数学が得意で英語はちょっとという先生もどうするのかね。
ま、そんなことを考えるのは、愚生くらいなものか。後は、全国各地でどのように英語教育が展開されていくのかということである。
大学院のオリエンテーションでも、国際アドミニストレーションという修士課程の説明は、英語で先生が説明して、英語で受け答えをしていた。もの凄いものである。日本語、英語はできて当たり前の時代が来ているのだ。凄いものである。さらに留学生達は、母国語がある。つごう3つの語学ができるというわけである。すばらしいことである。
とうとうついていけない時代がやってきたのだなぁと慨嘆していた。
でもあれかなぁ。オレでもこれからまだ間に合うかなぁ。語学である。受験英語ではない方の。それに中国語とか韓国語もやってみたい。できるかな、できねぇんだろうなぁ。なんちゃって。わははは。