希望を失っちゃならんのだ。 頑張ろうじゃないか。慢心せず。オレは、オノレは秀才である、評価してくれないのは、世間が悪いという悪い冗談だけは、金輪際言わないこった。そう思うのである。 goo.gl/3tCQE
”学生のアンケートで、ときどき意外な調査結果に出合うことがある。心霊番組は「絶対に見ない」という回答の理由が、心霊現象の全否定かと思いきや、「見ると怖くて夜寝られないから絶対に見ない」” j.mp/yvu4Qx 『テレビと宗教 オウム以降を問い直す』石井研士
2011年中の少年鑑別所・少年院入所者の保護者。母子家庭や父子家庭が多くを占める。少年院入所者では半分以上。母数を考慮すると,これらの群からの入所者出現率は相当高くなる。詳細は→tmaita77.blogspot.jp/2013/03/blog-p… pic.twitter.com/eKTNwtyxcy
【キアズマ/近藤 史恵】食べるのも眠るのも生きるのも、すべて走るため。それはほんとうに、祈りみたいだ。何のためにそこまでって、もう思わない。 →bit.ly/XWNPnC #bookmeter
【新華社済南4月25日】中国の考古専門家は先頃、山東省湽博市の臨湽斉国古城内の今鬫家寨村の南側一帯で発掘調査を実施した。…約2年間の発掘と研究の結果、この遺跡は今から2000年以上前の前漢時代の銅鏡鋳造工房だったことがわかった。古代の銅鏡鋳造工房遺跡が見つかったのは世界で初めて。
歩き遍路、足湯で接待/坂出にヘンロ小屋完成 | 四国新聞社 shikoku-np.co.jp/kagawa_news/lo… 建築家の歌一洋近畿大教授がスタートさせた「四国八十八カ所ヘンロ小屋プロジェクト」の一環。場所は四国霊場78番札所・郷照寺から79番札所・天皇寺に至る遍路道沿い。
興福寺天燈鬼・龍燈鬼像:西金堂に安置されていた像で、通常四天王に踏みつけられる邪鬼に仏前を照らす灯篭の役目を与えた。ユーモアあふれる鬼彫刻の傑作。twitpic.com/8mus4n
菩薩練供養の全25回を達成へ - 中国新聞 chugoku-np.co.jp/News/Tn2013042… @ChugokuShimbunさんから 金色の菩薩(ぼさつ)の面を着けた女性が練り歩く「回向祭・二十五菩薩練供養」が27日、周防大島町久賀の浄土宗阿弥陀寺である。
教育支出、OECD諸国並みに…中教審が答申 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) yomiuri.co.jp/politics/news/…間もなく公表されるだろう。教職教養テキストに入れねば。
新入行員研修でお遍路巡り=徳島http://-WSJ.com on.wsj.com/ZJDVX0 @WSJさんから 徳島銀行はこのほど、新入行員研修の一環で、四国霊場八十八カ所を巡るお遍路を行った。地元の文化を体感し、目標を達成する大事さや諦めない意志を学ぶのが目的
現在国立能楽堂の展示室でも河鍋暁斎の絵を観る事ができます。こちらは、猩々の絵ばかり数点。お酒に群がったり悪戯したり。生き生きと可愛らしい!暁斎もお酒が好きだったとか。自身と猩々を重ね合わせていたのでしょうか。 ntj.jac.go.jp/nou/event/2553…
縁側でちょっとつまみながら酒飲みながら、自然を感じ、人生を考える。二年前に亡くなった隣のおじいはきっと毎晩そうしていた。島酒と島豆腐と少しの葉っぱ。たまに一緒に呑むといつも冗談ばかり。長生きはそういう時間から生まれる。
このコメントはありなのか→「京大院元教授「預けた金流用しただけ」収賄を否定」“辻本被告は、業者に預けていた研究費を私的流用しただけと主張”(テレビ朝日より)news.tv-asahi.co.jp/news_society/a…
東大寺重源上人像:東大寺俊乗堂の本尊で、1180年の平重衡による南都焼き討ちから東大寺復興造営にあたった大勧進俊乗房重源の肖像彫刻。重源に多くの造仏を依頼された慶派により、重源の死後、間をおかずに制作された。twitpic.com/8muq82
研究者として生き残りたければ、まず、提案をしないと。受け身でいたら、おいしい話は、待っていても、絶対に転がってこない。竹内健 @kentakeuchi2003
中央大学 理工学部 教授 スタンフォード大学 MBA 東京大学 PhD アート・子育て・LSIのデザイン 著書「世界で勝負する仕事術 最先端ITに挑むエンジニアの激走記」(幻冬舎)
愚生は研究者でもなんでもないただの道楽・偏屈じじぃであるが、上記のタイトルのようなことを耳にしたり、見たりしてすこぶる感ずるところがあった。中央大学理工学部教授の竹内健先生のTwitterからである。これは。「提案」の部分を「情報発信」と言い換えてもいいと思う。つまり、地域活性化とか過疎で悩んでいる場合にも当てはまるような気がするのである。どうだろうか?こういう問題に取り組んでおられる方々へ聞いてみたいことである。
地域の活性化とか、あるいは学校の活性化とか、生き残りとか、いろいろあるだろうと思う。愚生の場合は、学校に限ってささやかな仕事をさせていたいだただけであったから、そんな大言壮語はできない。そんな資格もない。ただし、愚生の現役の時に勤務させていただいた高校は、レヴィー・ストロースではないが、「生き残り」だけは成功したのである。もっとも、その生き残りということを徹底的に考えて、何をしたら良いのかということを、それこそ構造主義的に思考した結果だったとも言えると思う。ま、自分だけそう思っているのかもしれないがねぇ。
在籍校に入学させていただいてからも、この公式は当てはまった。院生に入学して、1年目からバリバリ論文を発表させていただいた。いろいろな幸運が重なったから、こうなったのであるが、まことに幸運の神々に感謝したい。
さらに根底には、「受け身」で無かったということがある。待っていたって、おいしい話はゼッタイにこない。学校の生き残り戦略もそう。論文の執筆機会を得るということもそう。底辺には、「受け身では無い」という姿勢があるからである。積極性と言ってもいい。
ともかく一歩を踏み出すことである。一歩を踏み出さなくては、何も実現しない。そうではないか。足はなんのタメにあるのか。ただ立っているだけなら、誰にでもできるのである。他人の真似をしていたって、なにも実現しないのである。足は使ってこそ足である。
天涯孤独の環境から、愚生は居住地に住むことになり、そして老いていくことになった。(事実、老いちゃったケド)さらに、この地で病を得て、死んでいくことになる。愚生の親に関連する親戚は殆どいない。言わば愚生は流れものである。マレビトのようなものである。ほんとうにそう思う。マレビトと違うのは、居住地にマレビト世を招来できなかったということくらいか。五穀豊穣の宝舟を、連れてくることもできなかったしなぁ。
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その代わりに在籍校に入学できた。ここが愚生の死に場所となるだろう。これでいいのだと思う。何歳まで生きるかわからないけれども、いい学校に入学させていただいたものであるとシミジミ思う。先生方は超一流だし、クラスメイトにも恵まれた。実にありがたいかぎりである。これ以上何を望むことがあろうかと思う。
感謝である。
まったくである。
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