優秀な人材について
優秀な人材養成について、なんだか胡散臭い博士倍増計画なるもんが出てきた。
へええと思ったが、Twitterでおもしろい記事を拝見させていただいた。「退職して、暇も持て余した人等が大学院に大挙して、どうなったかというと、ゼミはほとんど、単なる発表会になり、勉強する場じゃなくなった。暴挙だ」というようなことが概略書かれていた。ユニークな視点である。傾聴に値する。あ、この方に賛同するってことは、愚生のクビを絞めているってことになるか(^0^)
それでも、自分のクビを絞めてもいいから、優秀な人材には活躍していただたきたいと切に願ってはいる。もっともオレは、この方の言われるような意識低い系だし、ヒマをもてあましている醜悪な老人だろうからなぁ。屁みたいなもんだわな。
もうひとつある。
昨日、ジムに行く前に100円ショップに寄った。またまたつまらないものを買った。はがきである。メモとか、読書カードに使っているのだ。最近はすっかりはがきサイズにはまっているからである。安いし、便利である。50枚で100円というのは、年金生活者で、暇人で、大挙して大学院に押し寄せている老人の一人である愚生にはぴったりの品物である。しかし、大学院のゼミが老人の駄文発表会の場に成り下がっているとはよくも言ったり。たいしたもんである。その自信たるや。あふぉ~な愚生は、へぇ~って笑っているしかない。
学問をやるってことは、人格向上のためというインテリが多い。しかし、実態はいかがなものだろうか。競争社会であることには変わりはないだろうし、成果主義がここにも押し寄せている。そもそも、成果主義というのは資本主義の最たるものであって、貨幣に魂を売り払ってしまった輩の主張であるとしか見えないのだが。オレのようなオロカな者にはである。
そういう方々は例えば伊能忠敬のような人を、やはり暇をもてあました老人の道楽として笑うんであろうか。そこまで言うなら、優秀な人材というのは、まったく一握りの人間しかいないはずであり、東台の博士以外はみんなゴミだと言っているに等しくなっちまうではないか。駄文を書いて、人を蹴っ飛ばすことしか考えていないって輩からは人格の向上なんて、どこをひっぱたいても出てこないではないか。そういうのが、将来の日本をリードしていくとなると、暇なじじぃとしてはうそ寒い心境になる。それでぇぇんかねぇ・・・。学者様は。それで。
産経新聞のオピニオンで教育の特集がある。引用させていただく。
【忘れ難き偉人伝】
伊能忠敬(上)「人生二山」を生きた男
2013.3.30 07:43 (1/2ページ)
50歳を過ぎてから測量を学び、人生50年の時代に「人生二山」を生きた男である。
下総国佐原(さわら)村(現・千葉県香取市)の伊能家の入り婿となった忠敬(1745~1818年)は酒造や運送業などの商いに精を出し家業を拡大、商人として大成する。これが一つ目の山だった。
領主に隠居を願い出た忠敬だったが、どうしても領主は首を縦に振らない。仕方なく気晴らしに近隣の村の有力者10人でお伊勢参りに出かけたことが「四千万歩の男」として名を残すことになる。
一行は東海道を下り、名所旧跡を巡り、伊勢神宮を参拝する。この際、独学で天文や測量を学んでいた忠敬は磁石や望遠鏡を手に岬など方位角の測定や天体観測で緯度を推定している。
同行者に久保木清淵(せいえん)がいた。師(学ぶ人)、友(語る人)、後輩(学ばせる人)、人生には三通りに人間との出会いがあるという。忠敬は清淵の漢学の素養の高さに驚き、17歳年下ながら師と仰ぎ、旅の最中、漢学を学ぶ。
旅が終わり、もっと学びたいとの思いがますます募る。そのとき、幕府の改暦事業計画の噂を聞きつけ、さらに「暦を改めるため大坂から高橋至時(よしとき)、間重富が招聘(しょうへい)された」との情報がもたらされる。居ても立ってもいられない。再び強く隠居を申し出る。
ようやく隠居が許されたのは49歳。「勘解由(かげゆ)」と名を改め翌年、江戸に向かう。深川に居を構え、その足で高橋を訪ね、「お弟子にしていただきたい」と申し込んだ。20歳ほど年上の弟子入り志願に戸惑う高橋だったが、独学ながら忠敬の知識の深さと熱情に打たれ、弟子入りを承知した。
西洋の暦学や天文学を学び、深川の自宅には天文観測所も作った。あまりの熱心さに、高橋は年長の弟子を「推歩(すいほ)先生」と呼ぶ。推歩とは天体の運行を推測するという意味だ。忠敬は決まった観測時間となると、そわそわし始め、途中でも話を打ち切り、自宅に帰り一心不乱に観測を始めた。
忠敬50歳。四千万歩のうち、まだ一歩も進んでいない。(将口泰浩)
オレは、伊能忠敬をこころから尊敬している。この人のことを精神分析した医師のホンを読んだことがあったが、あまりいい事が書いてなかった。ただ歩いていただけではないかというものであった。偏執狂だとも書いてあった。ある程度それはあるのかもしれない。されど、人のことを分析する前に、てめぇのけつを拭けってことも言えるのではないかとも思った。
あ、また長々と書いてしまった。
実は昨日の100円ショップで、優秀なちゅーぼーに出会ったのである。
愚生が、そのショップを出ようとしたら、「おじーさん、どうぞ」と言って、自動ドアの向こうで愚生の出てくるのを待っていてくれたのである。感激した。だから「どーもありがとうねぇ」と感謝の言葉をお返しした。こころから、いい少年だと思ったからである。
そしたら、「いいえ、後のおじーさんに言ったんです」とおっしゃる。
わはははである。
愚生の背後に、愚生よりも相当先輩のおじーさんがおられて、腰を曲げてよろよろと出てこられた。ああああああ、我が国もまだ捨てたもんじゃないなぁって、庶民のオレは思ったのである。このちゅーぼーこそ、優秀な人間なんじゃないのかと。
いい一日であった。
(^_-)-☆