それでダメならおしめぇだ
一日中、ある漢語を捜して無為に過ごしてしまった。折口信夫博士についての論文を参考にさせていただいていて、その論文はある大学の先生のものなのだが、参考文献リストをたどっていっても、当該書籍の当該頁に無いのだ。書かれていないのである。これは困った。前後の文章を実際に拝見したかったからである。そこで、ずっといろいろな図書館で捜していたのである。それでもない。在籍校の図書館でも昨日から捜していたのだが、当該書籍はあったが、当該頁にその漢語が無い。ううううううううううううううむ。
今日の午後に、もしかしらたもしかして、その大学の先生の勘違いかもしれないとハタと思ったのである。徒労になったが、しかし結果的には、今まで見たこともないような漢文だらけの貴重本を眺めることができた。感謝である。こんなあふぉ~な愚生に、努力することを教えてくださってありがとうございましたってやつだ。本当である。だから書くときは気をつけなくちゃならんのである。愚生のような粘着質が、どこまでも追っかけて行く可能性があるからである。ま、いいか。ケチをつけて、溜飲を下げるという気持ちは最初からないし。その先生の大学は、それなりの大学でしかないということであろうから。全国的にも有名なんだけどねぇ。あ、これ以上は言わぬが花か。もうオレには関係の無い世界であるからなぁ。今更、学会だの、なんかだのってぇのは。(^▽^)
しょうも無いから、四書五経の台湾の書店から出ている漢籍を午後から眺めていた。これは神田の古書店から20代前半の時に買った本で、もうかなり古くなっている。若いときは、うんうん唸りながら学部の授業で参考にさせていただいた本である。日本語が一切書いていないから、難儀するのだ。そして思った。そうか、もう40年立っているんだと。さらに、先日、碩学のブログで教えていただいたように、マーカーで漢語に印をつけて注釈本を参考にしながら書き込みを始めてしまった。むろん、今まで十分世話になったから供養はして差し上げた。ありがとうねぇって。で、茅屋の書庫を捜してみたら、あるわあるわ。台湾の本が。しかも、学部卒業後は殆ど読んでいないのだから、始末に負えない。
中学でも、高校でもこんな本格的な知識は必要ではなかったから。特に、高校での受験勉強ではまったく無用のカテゴリに属すだろうから。関係ねぇもんなぁ。オイラもかなりの進学校を出たけど、それでもオイラの母校は、国語の先生方は受験に関係のない、そういう漢籍の話とかしてくださって、オイラはかなり感動していたっけ。米沢の上杉家には、上杉本とか言われる貴重本がかなりあって、全国から学者先生が来られるのだ。そんな話にムチュウになって聞き入っていたのであるから。オイラはやっぱりあふぉ~でんな。
当時、母校の先生方は殆ど母校の先輩で、校長が東京帝国大学、教頭が東京文理大学で、オイラの国語の先生は仙台の東北帝国大学卒で凄かった。教頭せんせにも教わった。あだ名が”ゴジラ”であった。怖いけど、凄くおもしろかった。文法にやかましくて、往生したけど。あの先生がたは、今なら確実に大学の先生くらいやれる実力を持っておられたなぁ。
で、ふと気がついたことがあって、ジムの帰り、NHKの中国語の講義でも聞いてみようと思って、テキストを買ってきた。また、三日坊主になるだろうけれども、今度は周囲に留学生がいっぱいいる。ちょこちょこと試しをしたい。ハハハ。できるかな?できねぇだろうなぁ・・でも、宣言してしまえば、クラスメートが許してくれないだろうから、やるっきゃない。ムリかな?ムリだろうなぁ。許してたもれ、愚生の語学のせんせの方々。
それと、愚生はやっぱり夜型であるなぁと思っている。ちょいと健康のためにと思って、朝早く起きようと思ったのだが、ダメ。起きられない。夜、ぽつねんと起きて、誰もいない闇を見つめて、駄文を書く。これがたまらなくいい。勉強は孤独でないとあかん。テレビを見ながら、配偶者と冗談言いながら論文を書くなんてことはできない。そんなの舐めているでっせ。人生を。(^-^)/
だから今日から夜型に戻す。
それでダメなら、おしめぇだ。
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