遠吠え
柳田国男全集と折口信夫全集を再読している。
神田の古本店から、それぞれ一万円以下で購入したのである。全部で、それこそキロ単位で買った。合計で2万円しないのである。これには笑った。私の大学生時代は、こんなキロ単位で買えるような本ではなかった。高かった。憧れの全集であった。いつかは買ってみたい、もし自分の家を建てることができたら、お二人の碩学の全集と一緒に余生を過ごしたいと思っていた。そしてとうとうそれが実現した。大学院に入学してからであるから、わずか3年前である。
神田の書店である。45年前の学部生時代から通っていた東陽堂書店で買ったのである。ちなみに、この先代の店主は、面白い人でいろいろと雑談をしたことがある。お茶の水駅あたりにあるいくつかの大学のワルクチを云うのが好きで、それこそ糞味噌に云っていた。「あんたも、 M大学か?」と聞かれたことがあったっけ。「いやぁ~、あんなエリート大学なんて受けたこともないし、だいいち受からないっすよん」と云って、「そらそうだわな~、その顔じゃ」とかバカな話をしていた時があったのだ。
いや、話はそんなことではない。なぜ再読しているかというと、負け犬の遠吠えであるからである。もう完全に能力、実力が無い、最初から無いと思い知らされたからである。最初からやり直したいと思ったからである。全部である。なんの能力もないということである。英語も数学も、中世文学も、仏教も、宗教学も全部である。一人前に、ウエから目線で、くだらないことをくっちゃべっていたら、人倫の道に反する。さらに、健康面でも敗退してしまったのである。現役だったら、それこそ採用されない。
しかし、これもまた考えようである。
逆から人間心理や、世間を見ることができるからである。負けたからできるわけである。負けるってことは、柔道でいくらでも経験してきたから慣れているのだ。そして、負けると敗因を探ることができる。なぜ負けたかというところから、分析して考えることができる。こいつは得がたい体験である。
なぜか。
たいていの師匠は、負けたことがないからである。つまり、負けたことが無いから師匠ができるわけである。その道その道で、人より抜きんでることができたから、尊敬されるわけである。
私には無い。なんにも無い。負け続けで、勝利したことなんかただの一度も無い。無い、無いのパ~である。
いろいろな道の師匠というのは、負けた犬は相手にしない。あるいは、エリート街道を突っ走っている人というのは、勝ってばかりだから、負けた人間への慮りは無い。負けた人間は相手にしないっていう寸法である。成果主義者の常である。そして、そういう人間は、パワハラとかアカハラとか、セクハラとかで失脚する。
失脚というのは、隣国の二つの国に学ぶことが非常に多くある。あまり書くと、あちらの国に行った時に、困ることになるから書かない。そろそろ行ってみたいからである。ドクターの許可がないと行けないのではあるが。
負けた犬でも、やれることはあるのである。
負けたからこそ、そういう心境になったという方が正解であろうか。いまさら就職もできないし、そういう煩わしいことは(^.^)ご(-.-)め(__)ん(-。-)ね(^.^)である。まったく、もうゲップが出るほど世間のことでは、心労を重ねてきた。本当である。
あ、こういう態度では、出世できませんぞ!
お若い方に、それだけは申し上げたい。
それもあれか。
負け犬の遠吠えだと嘲笑されるだけか。
わははははっははである。
(^_^)ノ””””