人生万般趣味でやっている
ここんとこ孫と毎日を遊び暮らしていたら、まったくコンピュータの前に座れないことに気がついた。ま、これでいい。これで稼いでいるわけではないからである。趣味でやっているだけだからだ。もっとも、そんな能力もねぇのだが。当たり前だけど。
趣味というと、人生万般趣味でやっているのではないかと思う。そもそも、趣味だということは好きだからやっているのではないか。さらに発展して、仕事もそうだ。好きだからできる。生活のためといっても、好きだから長年できるのだ。
語学も、数学もそうだと思う。塾の講師をさせていただいてから余計にそう思うようになった。好きなのである。そりゃ、レヴェルは低い。高校受験程度のものしかやっていないのだから。一部の自称秀才には、なんだそんな程度かと嘲笑されるのは当然である。
しかし、大きな若返り効果がある。私には。
それは、かわいい子どもたちと対話ができるのである。高校受験という共通の目標を持って、いろいろと話ができる。これがいい。実にいい。とりわけ、私だけが、現役の高校教師をリタイアして塾業界に入れていただいたから、子どもたちにはいい情報源になる。そして、真剣に取り組むことができるわけである。
学生ではない方の大学、つまり講師(非)をさせていただいている大学の方で、教育工学を前期だけ講義しているが、これもそうだ。塾と似ている。私のこれまで修行してきたことを、まるで武道の稽古をしているかのように、若き大学生たちに伝授しているのである。おかげさまで、成果があがっている。教員採用試験で、ある。大学の売りにもなるだろう。
問題は、私の専門である中世芸能史である。こっちは捨てるしかないのかと悩んでいる。中退は目前に迫っているし、どうやっていくべきかと考えている。
幸い、郷土史の会に入れていただいているから、こちらの世界でこれからは小出しにやらせていただくしかないのであろう。
論文書きをやっていると病気になるというのでは、洒落にもならない。どっだけ不勉強であったのかということを如実に示している。
天罰である。
天は見ていたのだ。
私の自堕落な生活を。
趣味でやっているとかなんとか言って、ふざけた生活をしていたからである。
今更反省しても話にならないが。
来年は、老人大学に行く。
さらに中央仏教学院も検討中である。
他人はムダなことばかりやっているというが、友達をつくるためである。それもまた私の趣味である。
趣味。
お笑いくださいませ。
わははっはははっははは。
(^_^)ノ””””