記憶とメモ
メモを取るとかえって忘れやすくなる? 確実に記憶するコツ(ライフハッカー[日本版]) - goo ニュース
上記のようなgooニュースを見た。
まんまである。そのまんま。
結論は、「メモをとらないで、記憶する」というものである。これはじじいにはきつい。果たしてそれでいいんだろうか?とも思ったけど、権威のある方が言われるのだからそうなのだろう。
私のような無学のモノにはついていけないなぁ~。しかたねぇや、シコシコとノートにとって、あるいは京大式カードとか、メモを各種紙片に書き付けて後から見直すしかない。
無学なモノには、それなりに生きて行く手段があるからだ。マジに。
博覧強記というと、民俗学の柳田国男翁とか南方熊楠翁とか、天才がたくさんおられる。とてもじゃないが、ついていけない。しかもこのお二人は、博士ではない。そもそも博士をとる気もなかったのではないか。
尊敬している宮本常一先生は、博士を東洋大学からもらっていたはずであるが。宮本常一先生は確か天王寺師範学校の卒業生である。この先生も私は非常に好きである。とうとう宮本常一先生の故郷である周防大島まで3年前行ってしまった。周防大島の宿泊したホテルに、宮本常一先生の全集がロビーにで~んと置いてあったのは、たまげたっけ。
その博覧強記の柳田国男が、晩年は記憶力が衰えて、同じ話を何度もやっておられたというある研究者の論文というか、メモというかそういうのを読んだことがある。訪問してきた来訪者の名前も何度も繰り返して聞いていたという。
あの天才的な碩学であっても、そうなのである。
逆に、メモもとらないで、なにもしないで、日々を懶惰に過ごしていたらどうなるのだろう。
なにも、高い学費を払って大学に行くのがいいと言っているんじゃないけど、本当にそう思う。学校なんか行っていなくたってメモをとったり、記憶力にチャレンジするのは必要なんだなぁと思う。
でないと、本当に呆ける。
だから、来年の四月から通学する生涯大学校といういわゆる老人大学がありがたいのである。格安の学費である。年額1.5万円である。たまらない魅力である。友達を作りにいくつもりである。選考は書類のみ。定員をオーバーしたら、抽選で決めると書いてあったから、それが唯一の不安材料である。
そうなのだ。
また生徒で通学するのだ。
ノートを持って、ルンルンと通学する。
年をとったかつての美男美女がたくさんおられるだろう。これが楽しみである。十月に穂高に温泉ツアーに行ったけど、これも、そうだった。ある信用金庫の友の会で企画していた旅行会に参加したのである。職業も様々であった。だから大変楽しかった。私はどこまでも、年金生活者であることで通した。何を言われるかわかったもんではないからである。マジにである。そもそも、退職したのだから、以前の仕事なんてどうだっていいではないか。そうでないと、世間でつきあってくださる方はいないでっせ。
いつまでもセンセ、センセと言われたらバカ丸出しである。
もっとも最初からバカだった私では、そんなの杞憂っていうもんじゃが。
わははっはははである。
(^_^)ノ””””