と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

12月14日(日)のつぶやき

2014年12月15日 13時34分44秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

わはははっはは!
ここまで言われるようになったのか。
反論すればいいのに。 fb.me/3Pi6Y26LI


飯岡駅を出て、正面を右に曲がる。そうすると、踏切がある。後草(うしろぐさ)という集落に出る。もっとも、飯岡駅自体広原とか、後草という集落の一部に位置している。

私は、この集落も好きである。... goo.gl/6Ywg7U


.@dragoner_JP さんの「大船捕虜収容所と実松大佐」をお気に入りにしました。 togetter.com/li/756484

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もし、人より素晴らしい世界を見よう、そこにある宝にめぐり逢おうとするなら、どうしたって危険な道、恐い道を歩かねばなりません。そういう道を求めて歩くのが、才能に賭ける人の心構えなのです。

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CiNii 論文?-? 日本中世訴訟制度における《裁許前誓約》 : 鎌倉幕府による濫訴対策の一側面 ci.nii.ac.jp/naid/110006607… #CiNii

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薬師寺東院堂聖観音像:東院堂の本尊。衣のひだを通して脚が透けて見える技法には、インドのグプタ様式の影響が伺える。pic.twitter.com/Z3eNfOCgY4

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【松尾観音堂②】最初は松応寺として三仏を祀っていたが、室町時代に盗賊に仏像を全て盗み出された。しかし盗賊達が成沢まで来た時、急に天気が荒れ始め、盗賊達は仏罰を恐れて仏像を捨てて逃げた。無量寿仏は洪水で流されてしまったが、他の二仏は村人に拾われ、観音堂に戻ってきた。

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自民党と連携する宗教教団。統一教会、日本会議系教団、創価学会。日本の伝統から見れば新しく文化的には近代に形成された教団群。富裕層とセクト的・強硬派的教団との連携はアメリカの共和党に類似。togetter.com/li/700939   togetter.com/li/715216

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選挙が終わればブロガーはみんな選挙についてのエントリを書くだろうから、そこであたしはすかさず電気ストーブのアフィリエイトブログでも書いて、華麗に差別化したい。

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全体性と客観的な経験とのこの「彼方」を、にもかかわらず、純粋に否定的な仕方で記述することは出来ない。この「彼方」は、全体性と歴史の内部、経験の内部にも映し出されているからだ。-全体性と無限-

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信長は、結局、人間を道具として見ていた。道具である以上、鋭利なほうがよく、また使いみちが多様であるほどいい。その点、秀吉という道具には翼がついていた。(「この国のかたち」)goo.gl/NCVS

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同じことを絶え間なく、

はっきりした映像にして心に思考させれば、

言い方を変えれば、

心のスクリーンに

想像というありがたい力を応用して描けば、

それは期せずして強固な信念となって、

その信念がいつかは具現化する。 bit.ly/15UgiJW

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薬師寺金堂薬師三尊像:本尊の薬師如来を中央に、脇侍として右に日光菩薩・左に月光菩薩を配する。造像時期は、藤原京の薬師寺から移したか、平城京で新造されたかで学説が二分する。pic.twitter.com/zV7m4kN3sx

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今日は天気がいい

2014年12月15日 08時49分54秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

小人閑居して不善を為す

 

 

久しぶりに、身辺雑記に戻ってきた。

ここのところ、「房総をゆく」というカテゴリーで九十九里浜のことを書いていた。どうしても書いておきたいことがたくさんあるからである。そうである。私は、マレビトであるからである。つまり来訪者である。よそ者と言ってもいい。東北の片田舎の温泉町から40年前に房総にやってきたからである。しかし、スタスタ坊主のように素っ裸ではない。さらに、物乞いもしていない。一応、定年まで仕事をしてきたからである。なんの成果も上げていないけれども。マジに。

しかし、私には戻っていくところが、もうない。両親も死んでしまった。ふるさとには、両親の墓しかない。親戚とも殆ど会う機会がない。ある従兄に時々贈り物をしていたが、これも「もうやめにしようや」と言われた。従兄も年をとってきた。返礼が面倒になったきたらしい。「そうではない、あんちゃんと遊んでいた時期が懐かしいから」と申し上げたのであるが、それに「返礼も要らない」と言ってみたのであるが、かなりの高齢である。きちんとした性格であるから、面倒になってきたというのは、よくよくのことに違いない。

もう、ふるさとにも段々縁が無くなってきた。

あの懐かしい奥羽山脈も、たまに見るしかなくなってきたのかもしれない。

クルマの中からしか。

そういう寂寥が、逆に房総を大切に思うようになったのかもしれない。さらに、郷土史のメンバーに入れていただいて千葉県について知りたいと思うようになったのかもしれない。そうなのだ。私は、千葉県のことをよく知らないのである。歴史的にも、民俗学的にも。

ま、知らないというとなんでもそうである。

覚えても、次々と忘れてしまう。参る。まったく参る。そのうちには、きれいな美女のことも忘れてしまうのではないのかという不安もある。あ、アンタ、誰でしたっけ?とか言うようになるのかもしれない。もっとも、世の中には忘れてしまった方がいいということもあるけれども。

いつまでも、虐げられたことを覚えていて、いつか復讐をしてやろうというのでは情けない。もうそんなことは、忘れてしまうことである。それが老後を過ごすコツであろう。だから、過去の仕事仲間とは会わない方がよろしい。なに、理由は簡単である。思い出すからである。過去のことをである。それに、もう会いたくもないという方々も多いに違いない。

だから、出来るだけ私は過去の仕事仲間に会うことを避けている。もっともあれか。避けられているという可能性もあるけど。

しかも、会ったら会ったで、相当の量を呑むのである。相変わらず呑むのである。これはいかん。また体調を崩してしまうからだ。もう身体に悪いことはしないことにしたからである。

 

今日は、天候がいい。晴れている。出かけよう。ノートパソコンを持ってである。論文は書かない。書けない。ゴミだからである。その代わりに、柳田国男のホンを持っていく。メモを取る。パソコンで。毎日が休暇である。退職したからである。

どっちにしてもたいしたことではない。

小人閑居して不善を為す。

これだけは避けたいからである

 

(^_^)ノ””””

 

 

 

 

 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/