台湾紀行 アミ族のショー
来年行ってみたいですね。
退屈しないことである
また旅の精霊が私においで、おいでと誘ってくる。
司馬遼太郎を読んでいて、そう思った。しかし、冬になったから東北はムリである。暖かいところがいい。さらに、クルマでいくのではなくて、飛行機がいい。近距離なら行けるからである。
台湾が候補に挙がってきた。
台湾は、私の生涯学習のテーマである「芸能と宗教」の資料である目連救母劇を見ることが可能らしい。しかし、まだ情報が不足している。そこで、とりあえず行ってみたい。台湾先住民族のアミ族の舞踊を見てみたい。来年の冬にあるのを見つけたからである。格安ツアーである。五日間の日程である。
そして、論文に書いてみたい。たとえゴミとなってもいいのである。それが私の趣味であるからである。
それに来年は老人大学という社会教育講座を受ける。(合格すればという話ではあるが・・定員内ならたぶん大丈夫だろう)千葉県がやってくださっているものである。正式の大学ではない。しかし、ありがたいものである。在学期間は二年。専攻科もあるから、都合三年。なに、さらに友人を作りたいと思っているだけである。会社関係とか、前の仕事関係者とか、柔道関係とかささやかな人間関係しか私にはないから、楽しみである。まったくご縁のない方々と、談笑できる機会というのは、そういう機会を自ら求めないとできないことである。
だいいち、退屈しないではないか。
ふむ・・・この退屈しないというのは、結構大事なことである。退職して、日々を退屈して過ごしていたのではいけない。時間と金のムダだから、生涯学習なんてヤメチマエとずいぶん言われたが、退屈していることの方こそ、時間と金のムダである。健康にもよくない。もっとも、健康のことはあれこれ言える資格はないけれども。
退屈しないということでは、塾も健康にはいい。こどもたちが実にかわいい。週に二度、たったのフタコマしかやっていないけれども、楽しいのである。気晴らしにやっていると言ったら叱られるけど、本当なのである。在籍大学での資格試験にそなえて英語も勉強していたから、最近英語を教えるのも楽しくなってきたからである。数学もそう。なかなかアタマの体操になるから、本当に楽しい。昨日の晩は、中間連結定理の証明問題で問題を解いて、説明していたが、なかなかである。楽しくてどうにもならない。
英語といえば、大学受験用の問題集を解いてきたが、問題に出題した大学の名前が書いてある。
こいつが楽しい。昨日はお茶の水の入試問題で四苦八苦していた。さすがの大学である。他にもいろいろな大学名が書かれていて、学習院なら入れるとか、津田塾ならとか、遊びながらやっているのである。もっとも女子大は、入れないけど。絶対に。
さらに、昨日は、私が最後に退職した高校を志願している中学生が数人いて、私の担当になったのである。思わず合掌してしまったよん。こういうのは結構嬉しいものである。経営者も粋なはからいをしてくれるものである。しかも、私のことを紹介したのである。前の職業を。え?っと中学生が言っていた。ホント?って。これはインパクトがあるだろうなぁと思った。
頑張ってほしいものである。
そういうことである。
(^_^)ノ””””
たまたま複雑な社会に生れ、なるたけ御多分に洩れぬ様に物事に処している御蔭で複雑になった人間の、複雑なのは現代人の特権だという様子ほど見ていてうんざりするものはない。何んという醜態だろう。ただ意志を紛失しているというに過ぎないではないか。
(川端康成)
【山形県南陽市俗信③】柿は冷えるから食べちゃだめだよ。産湯を捨てる時にハンゾウ(お歯黒を染める時に使う盥のことか)を4回叩くと次の子は4年後に生まれるよ。卵を食べると年子が生まれるよ。お産のあった家で御粥を御馳走になると孕むよ。夜泣きしたらこけしを添い寝させるといいよ。
大学ランキングに我が母校(高校)が載ることはまず無い。「載ってる!」とか「順位下がっちゃったよ」と一喜一憂することも無い(できない)。まあ大半の高校はそんなものさ。
ゼミもってたとき,「ネットにはこう書いてましたよ」と発言する学生が多数だった。実際に検索して,「ほら」と誇らしげに見せる子も。閉口したもんだぜ。
“@BEAR_NEWS” RT @hide_luxe 岐阜高山には熊退治のスペシャリスト集団、デンデラ婆の急派が待たれる。 pic.twitter.com/9phHGl2To7
先月体調を崩してから、なんだか清々した
この3年間を振り返ってみて、楽しかったなぁとしみじみ思う。なに、老人学生としてであった。まだ終わ... blog.goo.ne.jp/tym943/e/6d300…
誤った因果性の概念、継起と結果の概念の混同。[…]クサ・カフェル族の王は漂着した錨の一部を取り外した。そして、その後間もなくして死んだ。それ以後、全てのカフェル人は、錨を生命ある存在とみなして、彼らは錨に近づいた時には即座に恭しく錨に敬意を表している。-ギリシア人の祭祀-
心身統一をすると、
どういうわけで、そうした精神的、肉体的な力が
非常に豊富になってくるかというと、
その説明はきわめて簡単です。
いわく、心身を統一して生きるという活き方が、
人間本来の面目である、言い換えりゃ… bit.ly/ZYOacn
司馬遼太郎の湖西と韓の国1 blog.goo.ne.jp/tym943/e/d263d…