刑部岬からは、冬、富士が見える
飯岡駅の改札口を出ると、すぐ目の前に四〇年前には朝日館という旅館があった。江戸時代から抜け出してきたようないい建物であった。残っていたら、テレビの取材があったかもしれない。それほど、趣味のいい旅館であった。まだまだ若い二十代のころに、何度かここで宴をもったことがある。先輩たちと呑んでいたのである。
その先輩達も人柄が良かった。おおらかで、酒も強い。様々な教育談義に非常に勉強になった。いちいちノートにとって、先輩達の話を聞いていた。その中の五人の先輩達とは、今でもおつきあいいただいている。そうなのである。もう四〇年である。途中から高校教育界に放り出されてしまった私を、それでも捨てないでいただいた。ありがたいものである。イニシャルで書くと、三名の方が「i」である。さらに、「a」氏と「t」氏である。この中のお二人が後に教育長になられた。そして、全員校長までやられた。私のようなよそ者を、見捨てず、あまつさえ指導までしてくださったのである。だから、この飯岡駅のある海上町が好きなのである。
さて、この旅館の前を左折すると駅前の商店街に出る。すぐのところに信号があって、そこを右折するのである。左右に商店が並んでいる。今でも商売をやっている。かつては隣町であった旭市にショッピングセンターができたせいで、栄枯盛衰いろいろとあったらしいが、よくは知らない。
その先に海上町立の海上中学校というのがあった。私の就職先である。この学校の思い出はまた拙ブログに書いておきたい。なんといっても、私のような”マレビト”を採用していただいた学校であるからである。しかし、今は書かない。先の楽しみにとっておく。
さて、今日は刑部岬(ぎょうぶみさき)である。
この岬には、タクシーでないと行けない。旭駅から銚子行きのバスもあるが、本数が少ない。バスに乗れば、刑部岬入り口という停留所で止まってくれる。その停留所から歩いて一〇分である。
飯岡駅の左側にずっと、飯岡の丘陵地帯があって、それがその先の海岸まで続いている。ずっとである。それに、遠い。さらに、丘陵が海岸に到達したらと思ったら、突然突端がほぼ直角に海に潜ってしまう。それが「刑部岬」である。
飯岡町の市街地を抜けて、銚子に行くための坂道をちょっとだけのぼると、刑部岬への案内看板がある。そこからさらにのぼっていく。小さな灯台がある。漁船を導いた灯台である。そして、その灯台の真下に、飯岡漁港がある。かなり大きい漁港である。第1種漁港で、東側には屏風ヶ浦と呼ばれる海食崖があり高さ四〇から五〇メートルの断崖が約十キロメートルにわたって連なっている。西側は刑部岬を境として九十九里浜の砂浜が続いている。漁獲量は千葉県内で二位だそうである。
ここが東日本大震災では、かなりの被害を受けた。
合計で十四名の方が亡くなっている。
なんとういうことであろうか。
大津波が、飯岡漁港に押し寄せてくる映像をYoutubeに載せていた方がいて、私もそれを見た。そして、それらの映像がこの刑部岬から撮られていたのである。震災後、天皇陛下も来られて、励ましをしていただいたことを記憶している。それほど、被害が大きかった。
ちなみに、この九十九里海岸というのは、何度も津浪や地震に苦しめられてきた土地である。それ故にこそ、人々の祈りの証である供養塔があちこちにある。人々の祈りというのは、非常に大切なものである。否、九十九里ばかりではない。日本という国は、自然災害と戦ってきた国なのである。だからこそ、日本人というのは、祈りと自然を大切にしてきた。怖れの気持ちもたぶんにあったのかもしれない。
私は、その供養塔を追いかけて、九十九里海岸の南端である太東岬まで六十六キロをカメラ片手に写してあるいた。その結果は、在籍大学の「文明の科学」という研究誌に載せてある。それほど私には、九十九里の人々の祈りというものが魅力的なものに思えるのである。
九十九里南端の一宮町にある供養塔には、「津波精霊様」とも彫ってある。こういうように、亡くなった方を大切にしてきた土地柄なのである。
以下はその時の写真である。あえて解説はつけない。
元に戻ろう。
例によって、旭市の公式HPから紹介してみよう。
http://www.city.asahi.lg.jp/kanko/tanbou/01/ 平成26年12月13日(土)現在
刑部岬(ぎょうぶみさき)・飯岡刑部岬展望館 ~光と風~
屏風ヶ浦の南端にある刑部岬からは太平洋の大海原と白浜の美しい九十九里浜などを一望することができ、「ちば眺望100景」「日本の夕陽・朝日百選」「日本夜景100選」「日本夜景遺産」などに選定されています。 また、晴天時には、水平線に浮かぶ富士山を見ることができることから、「関東の富士見百景」にも選定されています。
飯岡刑部岬展望館~光と風~ 01:51 2007-12-20撮影
ここからの眺望はすばらしく、絶好の撮影スポットとして多くの人々に親しまれています。
陽の光に輝く、眼下の海、漁港。
夕陽と街灯りが織りなす、美しい夕景、夜景。
訪れるたびに違った表情に出会えることでしょう。
公式HPは、景観がすばらしいと書いている。
確かにそうである。
若い男女のデートスポットとしては最適であろう。私はとてもじゃないが、行く気がしない。さらに相手もいない。一人で行ったら、怪しい爺に見られてしまう。ま、それでもめげずに時々は行く。なぜなら、冬、富士が見えるからである。大した景色である。これはほんとうにお勧めである。それに、冬は、いくらアツアツでも、さすがに岬の上は寒い。だから、恋を語らうお二人さんはあまりいない。爺くらいしかいない。それも風邪をひいたらつまらない。ホッカイロを持って、背負って、足にもつけているだけである。風情もへったくれもありゃしない。
そんなものである。
そんなもの。
寒くなったら、灯台の真下にある民宿であったかいものを食べてくる。「岩壁荘」という。ここの店主というか、経営者は、飯岡丘陵の山の上に別荘を所有していて、一度見せていただいたことがある。そうとうな趣味人である。なかなかの家に住んでいる。丘陵の上だから、眺望もいい。
年をとったら、無理をしないで、趣味に生きることである。そういうことを教えていただいたような気がする。
岩壁荘は灯台の下にある右側の建物
岩壁荘主人の別荘に咲く可憐な花
また、字数が気になり始めた。
あまり、長く書くと喜ばれない。
よって、これくらいとする。
また明日。
(^_^)ノ””””