と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

歯科医院に行っていたので

2014年12月04日 08時49分59秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

目標はまだ先にある

 

 

歯科医院に行っていた。昨日の午後のことである。知人に紹介していただいた歯科医院である。以来、ずっと行っている。歯の手入れのためである。3ヶ月に一度のわりで行っている。ちなみに、虫歯は一本もない。20代の時に、一本抜糸して以来、全部自分の歯が残っている。差し歯も入れ歯も全く無いのが、唯一の自慢である。それしかないのである。自慢できるようなものが。

髪の毛はまったくないし、後頭部にチョロチョロとある程度である。そうなのである。ジョセイとは縁もゆかりもないっていう寸法である。モテ期なんて経験したこともない。だから、恋愛小説とか、渡辺淳一センセの書いたようなおどろおどろしい不倫小説なんぞ、ばかばかしくて読む気もしない(って・・実は読んだけど)。村上春樹もそう。ハラが立ってゴミ箱に投げ捨てたこともある。なにが愛だの恋だのいい気になりやがってという、モテないオトコの僻みでしかないのだが。笑っちまうな。まったく。

いや、話は歯科のことである。

毎回ながら歯科衛生士というのか、名称はよくわからないのだけれども、実に上手なのである。むせるのがたまに傷で、これは私の呼吸法が悪い。どうしても歯の方に意識がいってしまって、鼻呼吸をするのを忘れてしまう。非常に少ない量ながら、水がシューっと出ているから、むせてしまうのである。

昨日も何度か、中断してしまった。そのたびに

「大丈夫ですか」

と優しく云ってくださるのである。

こんなに優しくしていただいたことは、これまでの人生でまったくなかったから、感激していたのである。そして、クチをクチュクチュしてからまた手入れをしていただく。これの繰り返しである。

よくもまぁ、こんなキタナイじじいを面倒見てくださるものである。ありがたくて涙が出る。もっとも涙は、むせたから出たのかどうかよくわからないのだけれども。

さらに、一度だけ拙ブログにちょっと書いたことがあるが、外部協力者として関わっている大学がある。在籍大学、講師(非)として勤務させていただいている大学、と都合3つに関わっている。中身は書けないし、書くつもりもない。このブログは在籍大学だけをピックアップして書いているから、それだけを専門としているように誤解されているらしいが、そうでもないのである。塾にも関わっているので、こちらも専業でやっているように思われているけど、それもただのアルバイトでしかない。

で、つまりなにを書きたいのかというと、歯科関係の大学であるからである。3つめは。だから興味があるのである。歯科医院に。ま、それだけである。歯科関係の職業もよく知らないのであるからたいしたことはない。

看護師の仕事もよく知らない。知らなかった。先月まで。相変わらず、看護婦さんと呼んでしまったし、婦長さんと云ってしまった。師長とお呼びするらしいということも先月初めて知った。間違っていても、知らないのだからしょうが無いということである。まったく恥さらしである。

病気については、まったくあらゆる病気について素人である。というか健康というものに興味を持たなかった。テレビでも健康番組なんて、全く興味が無かった。私は、自分を鉄人だと思っていたらしいのである。病気はオレに関係がないって豪語して、いい気になって酒を飲んでいたのだからしょうが無いバカじじいであったのである。

そんなバカでも漸く目が覚めた。

健康オタクになろうとしている。あらゆる健康番組を録画している。さらにBRDに落として一大健康映像コレクションを作ろうとしている。やる気になったら徹底的である。

そうなのだ。「死にたくないから、生きている」からである。今、しばらくは平気で生きていきたい。

やることがまだまだ残っているではないか。

ゴミ論文も、中断している。先月から。A4でまだ377枚しか書いていない。目標はまだ先にあるのだ。500枚である。500まで行って初めて自己満足できそうな気がする。まだまだである。だから生きていなくちゃしょうが無いのである。やることがあるからである。

 

そういうことである。そういうこと。

 

(^_^)ノ””””

コメント
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12月3日(水)のつぶやき

2014年12月04日 08時00分06秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

それは今回の選挙で候補者に問われているのは知性でも想像力でもネットワーク形成力でもないということです。このような状況を評するに「知的退廃」という以外にどういう言葉を選んだらよいのでしょう。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

それは「想定されるリスク」のリストをできるだけ網羅的にすることが彼らの本務だからです。その仕事のためには知性と想像力と良質な情報をもたらすネットワークが必要です。でも、外交も安全保障もエネルギーも今回の選挙の争点からははずされました。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

外交において「この提案にあの国がこんな反応をするとは思わなかった。想定外だった」と言う外務大臣や「この地域にこんな地政学的リスクがあるとは思わなかった。想定外だった」という防衛大臣は、その任に堪えないということは誰でもわかります。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

今夏の消費活動が低調であった理由を首相はあっさり「冷夏のせい」で片付けました。たしかに異常気象に政治家は責任を負うことはできません。政策は正しかったが、結果は失敗だった。それは政府の責任ではない。そういう言い分が通るのは経済政策「だけ」です。だから、経済政策が争点に選択された。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

AERAの連載えくり。なぜ経済だけが選挙の争点になるかについて書きました。経済政策は一国の政策の適否とアウトカムのあいだの相関が低い政治的論件です。ドル「ショック」やオイル「ショック」やリーマン「ショック」という言葉が示すように、破局はしばしば外部から到来する。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

おはようございます。今日は朝稽古ないけど、ちょっと早起きしました。夜東京で矢作俊彦さんの新刊出版記念パーティがあります。矢作さんにお会いするのは一年ぶりくらい。源ちゃんや『GQ』のスズキさんとも会えるはずです。矢作俊彦の新刊が読めるぞ!

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

テレビで「争点はアベノミクス」とかやってたけど、安倍さんが決めた争点を勝手に争点にされちゃうと、もうその時点で相手の掌の上にいるわけだからかなり不利です。でも、僕たちはよくこんな過ちをしますね。相手が決めた争点の上で論争をする。そんな時は争点自体をひっくり返すのがよいです。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

TVで、少し党首討論会を観ていたのだが、思わず口先野郎!と声が出てしまった。大事な選挙だと思うし、政策を検討したいのだが、口先だけだと思うと、それぞれの「人物」を見て判断するほかはないのかもしれない。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

昨日の夕方、TBS系のニュースを観ていたら、まるで明日の天気予報を述べるような気楽さで「投票率は低いでしょう」などと述べていた。公示もされていない段階で、視聴者が「今回も投票率が低いなら自分が行かなくても後ろめたいと思う必要はない」と思う空気を創り出すことにどんな意味があるのか。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

岩田先生のお怒りの通り「理不尽に対する感受性の鈍い人間」の育成は現代日本社会においてかなり優先順位の高い教育目標です。そんな人間を大量に作り出して何をする気か・・・と思うのですが、とりあえず「いったん『上』にいったらどんな理不尽も許される」仕組みの保持には有効なのでしょう。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

『独立器官』は女の人は「嘘をつく器官」を人格と独立したかたちで所有しているという話ですけれど、今日のは「両手首から先だけ」が独立器官として体幹と無関係に空中を浮遊するというイメージで身体を使ってもらいました。全員の動きが一変しました。人間の身体って、ほんとに自由奔放ですね。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

朝稽古だん。数えてみたら11日ぶりでした。いや~、道着を着て畳の上で動くとほんとうに気分いいですね。今日の気づきは「独立器官仮説」。ネタ元は『女のいない男たち』です。文学作品だって合気道の術技上の仮説を提供してくれるのであります。そして、この仮説、驚嘆するほど有効でした。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

今回長く寝付いたのは、10月11月の「非人間的スケジュール」のせいだと思います。二ヶ月間、休みがほとんど1日もなかったですからね。仕事が増えた理由の8割方は政治が悪いせいです。鼓腹撃壌して「帝力我に何かあらんや」と鼻歌うたっていたいです。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

五体満足でお稽古ができるということが、それだけでどれほど「ありがたい」ことか、10日休んで改めて思い知りました。他のことはもうどうでもいいです。お稽古のできる身体さえあれば、あとは何も要りません。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

幕末には「そういうことができる人間」がいくたりもいました。でも、20世紀の日本にはもういなかった。三島由紀夫はもしかすると「ひとりでも戦争を始めることのできる人間」を一定数確保できなければ国は保たないという暗鬱な直感にとらえられたのかもしれません。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

20世紀日本はほんとうの意味で「戦争のできる人間」つまり、「ひとりでも戦争を始めることの出来る人間」を育成してこなかった。そういう人間がどうしてケンブリッジやオックスフォードから生まれてくるのかについて問うたこともなかった。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

日本にも政府や議会の同意抜きで戦争を始めた「軍エリート」はおりました。けれど、彼らが戦争をしたがったのは「誰も責任をとらないなら、私がとる」という「ノブレス・オブリージュ」ではなく、むしろ「自分たちはどんな失敗をしても責任を取らずに済む」という免責特権のせいでしょう。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

上の指令なしでも戦争ができるのは、「公務」が何であるかが上位者からの指令によってではなく、個人のなかにすでに内面化しているからです。T・E・ロレンスもそうでした。シャルル・ド・ゴールもそうでした。ヨーロッパにはそういうエリートを育成する伝統があったということです。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

『秋刀魚の味』で加東大介が「負けてよかったじゃないか」という笠智衆の言葉に一瞬意外そうな表情をしたあと、「そうかも知れねえな。バカな奴らが威張らなくなっただけでもね」と答える場面があります。政治の良否は最終的に「バカな奴らが威張っている」かどうかで決まるという知見に僕も一票。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

げんこ書いてたら、玄関でピンポン。アポイントないのにな~と思って出たら、なんと武田鉄矢さんでした。神戸に仕事で来たので、ついでに凱風館見学においでになった由。少年部のお稽古を見学されてゆきました。合気道を始められたのだそうです。ぜひお稽古にも遊びに来て下さいね。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

武田さんと「高倉健さん、なくなりましたね」という話をしました。「武田さんの追悼コメント読んで泣いちゃいました」と申し上げたら「いなくなると、ほんとうに大きな存在だったということがわかりますね」とふたりでしみじみ。『幸福の黄色いハンカチ』もまた見ないと。

Waishan Richunanさんがリツイート | RT

今日は市役所の社会福祉課に行って、千葉県生涯大学校というところの志願書をいただいてきた。そうなのである。来年この生涯大学に入りたいのである。学費がベラボーに安い。年額1万5千円である。二年間であ... goo.gl/aQEC9H


コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/