生涯大学校というのが千葉県にはあって
なんでも素人というのは、かえってありがたいものであって、私にはおよそ専門分野などというものが無いから、チャレンジの連続である。学会に出席して、あれこれと厳密にご指導をいただくということもないし、要するに放っておかれるというわけである。顔を見たらわかるというわけである。なんだ、じじいではないか。なに?生涯教育を気取って、定年退職後に大学生をやっているって?・・・と笑われるのがオチだ。ま、どうでもいいや。そんなの慣れっこになったからである。
しかし、素人なりに拘りもあって、最近は柳田国男を再読しているから、いろいろと新発見もある。つまり、柳田国男の本質というか、民俗学への動機というか、そういうことを考え始めたからである。ノートをとって、いろいろとやっている。これまでは、京大式の情報カードをとっていたから、本格的にノートをとって始めたのは久しぶりである。中学校の教員時代に、国語の授業で「雪国の春」をやって、あれ以来柳田国男を読み込んできたが、どうも文学作品としてしか理解が及ばなかった。
今日は、居住地の図書館で、午前中食い入るように柳田国男を読んでいたのである。なに、家からwalkingをするのにちょうどいい距離なのである。しかも遠回りをして歩いていく。手に小さな黒いバッグを持って、中に英語の大学受験問題集と、柳田国男について書かれた学者センセのホンを持ってここんところは毎日行っているのである。一挙両得である。運動にもなる。さらに、家に居ないから配偶者の邪魔にもならない。
そして、柳田国男について新発見をさせていただいた。柳田国男はご存じのとおり、東京帝国大学を出た農政官僚である。しかも、超一流の農政家である。そういう観点から柳田国男を見たことはなかったので、新発見だといっているのである。ま、私の不勉強ということにもなるのだが。
遠野物語は、彼の農政マンとしての啓蒙の書であるというのである。マイッタね。そうかもしれないと考えたことはあったが、正直そういう観点からは考えたくなかった。あの遠野物語の叙情性というか、懐旧のおもむきというものが好きだった故にである。
そうならば、柳田国男を再読する価値はある。まだまだ知らないところがたくさんあるというわけである。
さらに、私のような読み方をする民俗学者のAセンセとか(NHKの番組にも出てくるようなエライ人)の論理的な矛盾というのも厳しく書かれていた。
Aセンセは、私より一歳下で、女性ファンも多い。甘いマスクと、さびしげな言動で人気がある。4輪駆動車で山形県の民俗資料を尋ねあて、さらに山形の私立大学でフォークロアを講じておられた。東北学というのも始められて、私もある意味ファンであったからである。今は、東京の有名私立大学で教えておられる。出身はやはり東大であった。やはりというのは、やはりである。研究者というのは、やはりなのでうある。なにを云っているのか、わからなくなったケド。(^w^)
厳しいものである。
こういう世界で生きてこなくてよかったとしみじみ思う。耐えられない。私ごとき素人では。
しかし、素人だからできることもまたたくさんある。これまた楽しみである。いろいろと興味の赴くまま、読書して、誰も読まないゴミ論文を書き散らして一人悦に入っているからである。
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今日は市役所の社会福祉課に行って、千葉県生涯大学校というところの志願書をいただいてきた。そうなのである。来年この生涯大学に入りたいのである。学費がベラボーに安い。年額1万5千円である。在学期間は二年間である。その上に専攻科というのもある。週に一度通学するだけである。むろん正式な大学ではない。いわゆる老人大学である。89歳になる私の義母もOGである。
私の場合は、お友達を作るだけが目的である。
中国語の社会教育講座も受講しているが、友人知人がたくさんできてきたからである。ただし、こちらは半年だけである。週に一度彼ら彼女らとお会いして、話をしたりするのが実に楽しい。中国語も、永遠にできないほうが、精神衛生上はいい。あんた、何年やっているんだなんて叱られたりしないからいいのである。できないなら、できないで放っておかれるから実にいい。
だから、キーワードは、絶対に指導的立場に立たないことである。なんにもわからない方が、他人は喜んで教えてくれるからである。しょうがねぇ~なぁとか云われているほうが、病気にならない。
素人は素人であるが故に、楽しいのである。
もう、プロとして胃が痛むようなストレスを抱えて、生活したくはないからである。もういいのだ。もう結構。結構毛だらけ、猫灰だらけである。(この後は、ケツの周りは・・・と続くが、これくらいにしておく=私のイメージが壊れるので)
素人であって悪いと云われる筋合いはない。
思えば、なんでも素人だったなぁと思う。柔道もそうだった。50年近くやってきて、未だに4段である。永遠に昇段しないのである。しかも、体力もなくってきた。技はもともとない。ないないづくしである。
いろいろある老後である。
お笑いくださりませ。
(*´∀`*)