青山繁晴ザボイスそこまで言うか!_2014年12月04日
年貢
飯岡駅の周囲についてもう少し語る。しばらくこの飯岡駅を中核として拙ブログの記事を書いてみたい。
駅周辺は、現在でも農業が盛んな土地柄である。人柄の良い人が実に多い。妙に威張る人もいない。人品が賤しくない。これは古代からの伝統なのであろう。万葉集の貧窮問答歌に出てくるような生活ぶりがない。生活で困っている人というのを聞いたことがない。おおらかなのである。
しかしである。豊かな海と、農業が盛んで食糧自給率全国一の房総、とりわけ房総半島の北東部でも近世の世では、苦しめられたことがある。
重税である。つまり年貢のことである。なんだか、現代の消費税騒動のようなことを想像してしまうが、いつの世でも庶民は重税では苦労してきた。
房総は江戸に近かったから、大大名というのはいない。佐倉の堀田の殿様くらいで、それもたいした禄高ではない。十一万石くらいである。もっとも、江戸の近辺に大大名がいたら、徳川幕府はもたなかったにちがいない。
だから在地領主がいなくて、代官とか名主が治めていた。
その年貢の取り立てが厳しかった。
四公六民といって、十俵米を取ったら、四俵は年貢として納めなくてはならなかった。しかし、徳川吉宗のあたりから、幕府は財政再建のためと自称して、重税を課した。四公六民から、五公五民にして、十俵のうち五俵を年貢として課したのである。これがエスカレートして、六公四民になっていった。佐倉藩は、さらに七公三民にして重税を課した。これでは農民達がたまったものではなかったに違いない。
ちなみに、社会福祉国家であるスウェーデンは、消費税三五%である。給料が十万円なら手取りが六万五千円になるとのことであった。ただし、世界一の社会福祉国家であるから、病院も無料、大学も無料というように国民にサーヴィスを徹底的にやっている。このあたりは、たいしたものである。貯金をするひともいないらしい。老後の心配がないからである。全部国家が面倒を見てくれるということである。
元に戻ろう。
であるからして、在地領主がいないから、代官・名主は年貢を厳しく取り立てたというのは、自分の成果を上げるためである。そこには政治がない。民衆のためという発想そのものがない。殿様が在地にいないのである。江戸で贅沢な暮らしを楽しんでいたわけである。しかも、房総の殿様たちは、一定範囲を領地として治めていたわけではなかった。トビトビに領地があった。複雑怪奇である。細切れ領主であったのだ。
旭市の市史に出ているが、今の後草を領地としていた殿様の書き付けがある。
「百姓は雨が降ったら傘をさしてはならない」
「羽織も着てはならない」
「酒も二人以上で呑んではならない」
と書いてある。
つまり、徹底的に庶民をいじめたわけである。思えば、不思議な時代である。武家社会というのは。だから、スウェーデンと違って、老後は保障されていなかった。
老いたら、勧進をするしかなかった。
本来、勧進とは、寺院の建立や修繕などのために、信者や有志者に説き、その費用を奉納させることをいう。そのことにより人びとを仏道に導き入れ、善行をなさしめるのが元来の意であったが、のちには寄付を集める方法として興行を催し、観覧料の収入をもってこれに当てるという意味としても広く用いられた。中世においては、橋や道路の修理・整備から官寺(鐘や仏像、写経をふくむ)の建設や修造など、本来は朝廷(国家)や国衙(地方行政機関)がおこなうべき公共事業も、勧進によってなされた。勧進をおこなう者は、勧進帳(後述)をたずさえて諸国を遍歴したり、橋のたもとや寺社の門前、関所などで「一紙半銭」の寄付を募った。(ウキペディアによる)
この場合は、宗教家の宗教活動である。
しかし、勧進は別の意味もある。「乞食」ということである。
老いた爺は、勧進となって放浪の旅に出たのである。つまり、自殺への旅である。全国どこに行ってのたれ死にするかわからない。それでも結構ということである。旭市網戸の岩井太郎兵衛という人が、勧進の許可証を出していたようである。もっとも、これは出羽三山信仰等も関わってくるのであろうが、私は研究者でもなんでもないから、このまま書き進める。
老人ばかりではない。
幼児たちも七歳になると奉公に出た。
食い扶持減らしのためである。悲惨な生活をしていた。もっとも、私の住んでいた東北はもっと悲惨であった。近世の飢饉があった時にどれだけの死者が出たかということを考えると気が滅入る。しかし、唯一、山形県の米沢藩は、名君上杉鷹山が出たから、飢饉に対しても万全の対策を講じていた。餓死者がでなかった藩であった。産業を育成していたからである。経済を重視している現政権にも鷹山のことを勉強していただきたいくらいである。ケネディ大統領も、尊敬する日本人として鷹山をあげているくらいである。
米沢藩は、徳川幕府にとってよほど目障りであったらしく、実は藩内に天領がある。今の、高畠町である。ここが上杉一派のお目付役であったらしい。赤湯は市町村合併で南陽市となったが、高畠町は未だに独立独歩である。相容れないのであろう。拙ブログにも書いてみたいのであるが、まだまだ東北の歴史まで手が及ばないからちょっと無理である。
房総に戻ろう。
とここまで書いて、字数が気になりはじめた。
一気に打鍵することもない。
私の楽しみで書いているだけであるから。
それに、これから学生さんをやってこなくちゃならない。じーさんになっても、結構忙しいのである。
次回また書かせていただくことにする。
(^_^)ノ””””
スマホは悪党か?
昨日の夜にNHKクローズアップ現代を見た。読書をしない若者が多いことを扱っていた。私はこの番組を見るのが、好きだ。なにしろあの女性キャスターの「こんば... goo.gl/fxUuZe
[戦争を生起する]閃光の暗い輝きのうちで描きとられる存在論的な出来事によって、それまではそれぞれの同一性につなぎとめられていた様々な存在が、運動の中に投げ込まれる。その存在論的出来事は、絶対的で孤立したものを、誰も逃れることの出来ない客観的な秩序によって動員する。-全体性と無限-
リアリズムが、すべての現象の全体的連関から、ある特定の現象―例えば社会的関係―を取り上げようとすれば、好むと好まざるとにかかわらず、虚構の世話にならざるをえない。そして虚構はその時々の文化に結びついているのだ。 『エンデのメモ箱』
道徳家は自分が身にそなえている徳以外のいかなる徳も他人にすすめてはならないなどというのは、そもそも道徳家に対する奇妙な要求というものである。
【イオン柏】チンドン屋さん新春獅子舞スペシャル 1/2 13:00~館内練り歩き 14:00~こどもチンドン体験ショー 15:00~館内練り歩き 16:00~こどもチンドン体験ショー ow.ly/FI50e
【山形県南陽市作占い③】苗代の周りに小豆をまくと葬式の赤飯用になるから止めた方がいいよ。土台石が湿ってくると雨が近いよ。小正月の団子飾りの団子が落ちると旱で落ちないと雨が多いよ。宮内熊野神社の公孫樹の葉が落ちると雪が来るよ。
【赤湯温泉起源】南陽市。米野与惣右ェ門という、薬師如来を信仰する者がいた。夢枕に薬師如来が現れ、「もうすぐ弘法大師がこの地を訪れる。大師はここに湧く湯の出口を知っている」と告げた。礼参りに薬師堂に行くと、弘法大師がいた。大師は山中で湯源を発見し、与惣右ェ門が湯の守り役となった。
え?自民党の憲法草案って何?という方もひょっとしたらいらっしゃるかもしれませんがもう2年以上も前に発表されて誰でもPDFファイルで読むことができます。「難しそう。汗」という方は自民党がQ&A方式で要点をまとめていますのでこちらをぜひ。jimin.jp/policy/pamphle…
欲を捨てるなんてことは考えるな。
欲があるから生き甲斐が生まれるのであり、
その欲を満足させるところに楽しみはある。 bit.ly/17CH4t1
「Windows 10のリリースは来年秋」とMicrosoft幹部 bit.ly/1vS0yJA pic.twitter.com/ZNScKytE1X
お疲れ様でした!
また飲みプレイしましょう
いま、修論まとめ本に奮闘中です
RT @wireless_RAN: 修士論文、無事提出完了いたしました!2月に語学試験と口頭試験があるので、まだ卒業確定ではありませんが、やっと解放されました。ためてることをいろいろ進めます!
飯岡駅
房総の地に飯岡駅というのがある。
千葉駅から電車に乗って、一時間三〇分はかかる。各駅停車である。現在は旭市... blog.goo.ne.jp/tym943/e/f9798…