長州征伐すらそうだったのか
昨日も良き日であった。毎日良き日が続いてくれることのみ祈っている。
しかし、こういう気分を退廃だとか批判する人もいるのかもしれない。なんでか。江戸末期と同じだからであろう。つまり歴史の激変という時代。いわゆる幕末である。
維新というか、幕末の庶民たちはあの革命をどう受け止めていたのだろうと思うからである。
現代と似ているのではあるまいかと感じる。感じるのであるから、さしたる根拠はない。根拠はこれから自分なりに見つけていきたい。それが私の興味関心をさらに広げていくことになるだろうからである。楽しみでやっていることだからだ。
しかし、江戸末期はたいていのことが、パフォーマンス感覚で受け止められていたのではないのかとだけ、今のところは書いておこう。これからあちこち調べていきたいからである。
慶応元年(1865)に長州征討の幕府軍が江戸を出発した。将軍の14代家茂を立ててである。大軍であった。250年ぶりに将軍自ら軍を率いての出立である。なにしろ派手であったらしい。金扇半月の馬印を立て、将軍の前後を歩兵が囃しながらの行軍であったらしい。鼓を鳴らし、大砲を運ぶのに馬を以てし、威を示して行軍したとある。「防長回転史」という大著である。これは高い。入手できない。だからデジタルデータでちょっとだけ読むしかない。その程度の知識しか無いが。
つまり将軍の晴れの出で立ちを勇壮で威風堂々としていると描いているわけである。大時代的なパレードである。
ところがである。
ところが、このパレードを見させて一儲け企んだのがいたのである。
まるで落語である。
尾張町二丁目の家主源七、平次郎、長次郎、利兵衛等である。
見ていた人たちから金一分もらったというのである(又は二朱)。それが露見して、彼らは牢獄に入れられた。
このことが江戸末期の庶民には、パフォーマンスとして受け止められていたということを示している。幕府の起死回生の企ても、半分遊びなのである。
町人だけではない。東海道を大挙して移動していった幕府軍もあまり士気が高いとは言えなかった。道中で、侍たちの脱落、失踪、病欠、自殺、乱心等々があったのだ。侍の士気も衰えていたのだ。しかも、戦う前からである。
将軍自ら出かけてきたから、長州ごとき、恐れ入って降参するだろうと思っていたのであろう。まるで現代の赤い中国のようである。
ところがおっとどっこいである。長州は降参するどころか、クーデターで長州の実権を握っていた高杉晋作とか桂小五郎が、軍備を完全に近代化していた。
これ、先日の古文書講座でも人生の大先輩たちが、「カネがあったから、長州も薩摩も明治維新ができたんだよ~ん」と、愚かな私に教えてくださったことである。
カネがあったかどうかは、詳しくは知らない。知らないけど、ひとつの卓見である。
しかも、長州は、この時点でもはや幕藩体制から逸脱していた。もう徳川の体制下にはなかった。つまり私的な集団体制であって、藩ではなかったのである。これがこの時代を理解する上でのkeywordであると思う。この旧幕藩体制から遅れたのが、その他の諸藩であろう。我が故郷の米沢藩もそうだったと思う。乗り遅れたのである。
しかし、幕府軍は大阪で遊び惚けていた。遊んでいたんじゃ、そりゃ最初から無理である。一年間もである。
ということで、つまりは何を書きたいのかというと、政治の変わり目というのが現代でも迫ってきているのではないのかと思うからである。
なんだかきな臭いことが、山のようにある。
これって、大丈夫なのかと思う。あくまでも極楽とんぼを決め込んでいると、幕府軍のようになる。物見遊山でいいのだろうか。
メリットとか、デメリットとか、儲け話ばかり考えていると、幕末のような時代様相を示すことになりはしないか。
なんでもかんでも、恋だの、愛だの、不倫だの、おつあいと称して異常な男女交際を繰り返して、デカダンを気取っていたら時代は終わる。
ましてや、薬物中毒とか、もう人間を捨てているとしか言えない。
しかも、自然災害が起きた。東日本大震災もそうである。連続して、山崩れとか、洪水とかいろいろと起きた。
政治の変わり目と自然災害とはつながっているというのは、ちょっと言いすぎであるのかもしれない。しかし、1855年の安政江戸大地震は、江戸幕府崩壊のきっかけとなったという感覚は大事にしたい。
こういう体験をすると、普段生活している日常的な場面では対応できないという考え方が支配するようになる。マスコミをはじめとして、なんでも信用できないという考えがはびこることになる。さらに、大都会一極集中主義が崩壊することになる。
地方が勝手なことを始めるようになる。
そこまで考えて、前の政権政党にデタラメを許したのだろうかとまで考えてしまう。誰があんな奇妙キテレツなシナリオを書いたのであろうかとまで思ってしまう。誰かが書いたかもしれないということは考えていてもいいのかもしれない。そう思うからである。
そうすると、江戸末期と現代が奇妙につながってくる。
まさか、東京の軍隊が、現代の長州征伐をするわけもない。ましてや、今の総理は山口の血が流れている。そんなことはあり得ない。
また、そういう世の中を招来させてもならない。
されど、されど、地方が独自にアンテナを立て始めたということも否定できないのではないのか。
大阪都構想というのもそうだろう。独自のアンテナを所有したいということである。
また、国立大学が独立行政法人になったというのも、独自アンテナを立ててしまったのである。
スマホもそうだ。勝手に個人が独自アンテナを立てて、いろいろと議論している。SNS もそうである。他人のことは言えないケドね(^_^)。
いい時代になったのかどうかはわからない。コンピュータとか、スマホなんてよく知らないからである。スマホに至っては、私はまだまだガラケーを使うつもりだから、まったくご縁がない。これからも無いだろう。
阪神大震災の時も、社会党の村山首相だった。無類の善人であった首相である。しかし、この時期に首相だったということが、歴史の悪戯だったような気がしてならない。東日本大震災の時も、いつもニタニタ笑っている笑顔の素敵な善人首相だった(ホントはどうか知らないケド)。なんだかつながっているような気がしてならない。
漫画的な滑稽さが、現代でもあるのである。
こういうことが幕末と似ていると思う。
それにしても、異常な政治体制だけは御免蒙る。
庶民の爺としては、そう願っている。
マジに。
(^_^)ノ””””