皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 第十章 飛鳥・大和三山の謎に迫る 改訂版
90歳まで元気で生きてみたいなぁ~、マジに
昨日、孫が来た。むろん孫の両親共々である。つまり、私の娘と婿殿である。
孫は、二人とも男の子である。3歳と1歳。かわいい盛りである。昨夜は、全員で夕食を食べた。中国風の丸テーブルのある中華レストランである。部屋が中国風になっていて、結婚式もできる店である。したがって大きい。大きいけど、料理はメニューがたくさんあって安い。安いけど、美味いので好きな店である。
これで二晩連続して外食である。一昨日は、義母の90歳のバースデイを祝って外食していた。そうなのである。私と古女房ドノ以外が風邪をひいて都合が悪くなったから、延期していたのである。こっちは、完全に和風の料亭でやった。つまり寿司屋である。回転寿司ではない。和室の離れである。そういう部屋が昔からあるのである。他に密談もできそうな部屋もある。気に入っているのだ。なんでか。中学校の教員をしていた時代に、ちょくちょくこの店には来ていたからである。なにしろ中学校の野球場からすぐである。独身時代は、まことにお世話になったもんである。
しかし、義母は90歳でもまだまだかくしゃくたるものである。見習いたいものである。記憶もしっかりしている。漢字の記憶がいい。だから呆けないのであろう。年齢相応に体力は落ちてきたが、健康である。
病気は抱えている。一病息災というのがあたっている。健康にも、アタマにも気をつかっている。そういう人なのである。義母には孫にあたる私の子供達は、私たち夫婦が両方とも働いていたので、殆ど義母に育てられたようなもので、今でも義母には感謝しているのだ。私の子供達は、ましてや、義母を実の母親のように思っている節がある。感謝してもしきれない風である。だから、私の長男は義母の誕生会の費用を全部支払ってくれた。しかもバスケットに入った花まで用意していた。
いい老後である。見事なものである。90歳まで生きてきたという事実もさることながら、健康で、アタマもしっかりしていて、好きなように生きていくことができるだけでも実にいい見本である。しかも、90歳になっても社交ダンスをやっているのだ。週一回である。老人大学に都合7年間義母は在学した。その時の部活動である。それ以来ずっとやっているのだ。老人大学は私の先輩になる。大先輩である。あ、私は社交ダンスはやらない。相手がいない。それに照れくさい。わははははっははははである。老人大学の部活道は、木曜日になっていて、こっちは都合が悪い。非常勤講師をしている大学に出かけなくてはならないからである。もっとも、こっちもいつまでもやっていられるわけでもないから、クビになったら部活道でもやるつもりだが。その時は太極拳がいい。健康になるらしい。マジに。でもあれも格闘技の一種である。だからのめり込んだらいかんとは思っている。基本的に格闘技が好きだからである。
ま、いろいろあるGWである。
でも、どこにも出かけない。混んでいるからである。出かけるなら、平日である。平日が一番いい。どこに行っても安いからである。なんといっても、こちらは年金生活者である。カネのかかることはできるだけ避けたい。当たり前である。昔からつつましく生きてきたから、慣れっこになっているけど。
それに、高速道路の渋滞も耐えられない。卒倒してしまう。あんなの地獄そのものである。若いときは、なんでも耐えられたが、もう無理である。自分のファミリーを乗っけて、どこへでも出かけた。そして渋滞なんかなんのその。春夏秋冬、本当にどこへでも出かけた。ファミリーとしての思い出作りである。それが父親としての義務だとも思っていた。これは間違いがなかった。全員無事に育ってくれたからである。しかも、孫までいる。こういう私と古女房ドノの子育ては、おそらく継承されていくのに違いないだろう。
運動部の顧問をしていたので、休みもなかった。野球、バレーボール、柔道とやっていたのである。土・日は殆ど練習試合と、大会である。朝練習もやっていたし、夜は遅くまで生徒がいるから一緒に練習をしていた。教材研究はそれからやるのである。つまり部活道が終わってからである。これはけっこうきつかった。世間の人は、教員なんか誰でもできるとか、教員採用試験なんかバカでも通るとかのたもうが(事実、塾の関係者にもいた)、そんなことはない。千葉県でも社会の教員の競争率は13倍である。保健体育も11倍。これじゃぁ、若い人がかわいそうである。それだけ苦労しても、見返りも少ない。昔からガッコのセンセは、貧乏であったからである。私の亡母も教員であったが、私の大学の学費を出すほどの余裕はなかったからである。
教員が贅沢できないというのは、今でもそうだ。でも好きだからできる仕事である。子供達のことが好きでないとできない仕事である。もっと収入を上げてやってほしいと思う。デタラメな教員はクビにしてもいいだろうが、真面目にやっている人が多いのである。そういう人は立場があるから、こんなブログなんか書かない。書けない。書いていたら、立場が危うくなる。だから、もう関係の無い私が言うしかない。
私の孫もどういうような先生に教えていただくのだろうか。楽しみである。高校、大学と行くのかもしれない。行かなくてもいい。それなりに自分の道を発見してくれればいい。最後まで見ていたいものである。私が、生きていればである。生きていれば。
だから可能なかぎり長生きをしてみたい。
孫の成長を見ていたい。ほんとうにそう思う。
90歳。
いいなぁ~。
義母のようにである。
じゃぁ~ねぇ~。
そろそろ孫が起きてきそうだから。
(^_^)ノ””””
笑顔のなかにナミダがあったりして
昨日もいい一日であった。このような日々が続くことを願っている。
それだけである。
以上。
以上終わりとなってしまうか... goo.gl/cKIQhk
人間ていうのは滑稽なものであるということを常々思うべきなんや。・・・・・・滑稽なものやで、人間のやっとることは。俺は絶対正しい思うとる奴ほど敵わんものはないな。-日本人を考える 司馬遼太郎対談集
ゴールデンウイークまっただ中。県内には日帰りで行ける観光スポットがたくさんありますが、記者の一番のお勧めは自然豊かな横須賀市。自衛隊グッズ専門店から猿島まで、家族で楽しめる観光コースを紹介。goo.gl/9WR3P4 pic.twitter.com/hloXNv0ICj
【千葉県立中央博物館_周辺の自然情報】
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今年もやるよ。
暮らしと手しごとをたどる上映会。
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@kashiwagiyugehi
私は佐藤進一先生の『中公新書日本の歴史 南北朝の動乱』で、顕家さんの戦死の地が石津と知って、阿部野神社の方は知りませんでした。
阿部野神社の方が世間的にはメジャーなんですねぇ。
だが、なるようにしかならぬ。わたしは自分も、大日本帝国も何かスソ鉢の壁のようなところを少しずつずるずる下って行っているような気がしてならないのだった。ひょっとすると、このおれと大日本帝国とはひどく似ているのかもしれないぞ。-帝国軍隊における学習・序
自分は技術者である。つべこべ政論をたたかわせているよりも、技術が現実の歴史を解決してゆくことを知っている。 司馬遼太郎 著 『花神』 より
【奇跡の絶景】トマム山の「雲海テラス」が早朝営業スタート
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発生確率は30~40%と、見られたらラッキーな雲海。標高1088mに作られたテラス空間で、スペシャルな“朝の時間”が満喫できる。 pic.twitter.com/GnACoHGfBo
岐阜大仏:岐阜県の黄檗宗金鳳山正法寺にある。江戸時代、住職の惟中は相次ぐ大地震や大飢饉に心を痛め、亡くなった人々の菩提の為に大仏建立を図るも志の半ばで亡くなった。暫く中断したが、跡を継いだ肯宗和尚が大仏を完成させた。日本最大の乾漆像。 pic.twitter.com/8GpblZIE7T
習主席に脅威 側近に“黒いカネ”爆弾 「反腐敗運動」トップ自ら汚職疑惑 - ZAKZAK zakzak.co.jp/society/foreig… @zakdeskさんから
【静岡・島田大祭帯まつり】<寅巳申亥年10月中旬>大井川鎮護や安産の神を祀る大井神社の祭り。島田宿に嫁いできた者が安産祈願で神社へ参拝した後、宿場内で帯を披露していたのがいつからか大奴が帯を太刀に掛けて練り歩く形になった。 pic.twitter.com/e5NV8zzPPx
あるとき主イエスがNHKを通りかかると、民放の取材班がクロ現のスタッフに石を投げていた。 主イエスは言われた。「この中で『やらせ』をやったことのない者だけが石を投げなさい」。すると、いつの間にか誰もいなくなった。