自立に寄り添う①介護の仕事
いい第二の人生を迎えたいもんだ(もう迎えているか・・・)
昨日もまた感謝の連続であった。老人大学で合計5時間も勉強させていただいた(昼食時間を含む)。どんどん新しい仲間も増えている。ありがたいものである。皆、それぞれ背負ってきたカラーがある。しかも、そういうものを誰しも出さない。昔語りはしない。せいぜい孫の自慢くらいしているだけである。かわいいもんだ。孫自慢くらいなら。ちょっとそういうのからは、外れている方もチラホラいるが。婆たちに多い。息子が医者をやっていて・・・・とかいう台詞を昨日聞いた。そんなことは言わないほうがいい。あるいは、定年前に、**会社という一流企業にいて、管理職をしていたとかいう御仁もたまにいる。めったにいないが。良識があるからだ。そういう馬鹿話を言っていたら、バカにされるということをである。
退職して誰も相手にしてくれないからだ。
私もなんにも言わない。言ったら最低だ。なんと、二ヶ月前には現役の大学生をやっていた、ミニスカオネーチャンとか、イケメンとか、たくさん周囲にいた、ゴミみたいなバカ論文をA4 で500枚も書いてなんにもならなかったとはクチが腐っても言えない。言ったら基地外扱いされる。自覚しているからである。私の方が。
でも、定年退職してから一回大学生をしたというのは、ある意味、ワンクッションある。ソフトランディングというか、ダイレクトに暇な爺になったわけではなかったからである。これはありがたい体験をさせていただいたものである。ただし、最終学歴が、**大学大学院中退というのではあまりありがたくない。しかも、学業劣等である。もう二度と来るなということである。正門をくぐることもできない。恥ずかしくて。マジに。大学当局には、どったけ迷惑であったろうかと慚愧の思いでいる。60歳を過ぎてから入学したのだから。しかし、私のような爺が入学してくるというのは、大学当局としては宣伝材料にはなったのかもしれない。私ならそうする。したであろう。事実、全国にいる私の生涯学習仲間で、大学のパンフレットに出た御仁もいる。写真付である。大阪の方の私立大学であった。もっとも彼はイケメンじーちゃんである。私と同年なのに、未だにイケメンなのだ。あああああああああああ、カミは不平等である(カミの毛もそうだったよん)。私を宣伝材料に使うワケがないですな。この間まで通学していた大学では。納得、納得。わははっはははっはは。
ま、今となってはどうでもいい話である。
さて、「定年難民」という言葉がある。あ、これは再雇用で定年を先延ばしした方も同じような問題を抱えてまっせ。マジに。私は、定年退職したら再雇用していただけなかったので(その意志もなかったケド)、関係ないが。
現実には、地域にも家庭にも身の置き場がなく、図書館、パチンコ店、ゲームセンターやデパート等々で一日中時間つぶしをしている御仁である。ただ時間がたてばいいという方々である。
なぜ、そんなことになっちまったか?
それは定年後も(再雇用契約満了後も)、まだまだ元気だからである。隠居を決め込むにはまだまだ早かったのである。
退職後のあまりの時間の長さに辟易している方々である。
その長い時間をどうやって過ごすかという問題を考えてみたこともなかった方々である。そのうち考えたらいいとか、ヤメタ時に考えるとか、その時はその時と安易にやっているとツケがまわって来る。
定年後の(死ぬまでの)長い時間をこころ豊かに生きていきましょうぜ!というのが、拙ブログの隠された意図でもある。私自身の問題としてもである。
あるいは、自由時間の楽しみ方、共に歩く家族や仲間たちとの良好な人間関係づくりも私のテーマである。
勤勉な方々というのは、仕事・仕事であくせくして来た。それはそれですばらしいことである。十分尊敬に値する。しかしながら、気がついたら定年になっていたというのが多くの方々の正直なところであろう。
定年になったらその時はその時で考えるというのでは、Tシャツで冬山登山をするようなものである。十分な準備をしてから、登山をすべきなのに、それじゃぁナメテいる。すべてをである。人生も、登山もである。
これからも拙ブログで定年難民にならないコツみたいなものを、あちこち書き散らしていく。そのつもりである。なんらかの参考にしてほしいというのではない。オノレ自身のためである。再確認である。
その一つに図書館がある。
日がな一日、図書館でボーッとしている高齢者がいる。新聞を読んで、そのまま居眠りしたり、視聴覚の席を独占して、つまらない映画を見ている御仁である。しかも男性が多い。おそらく家庭内にいられない事情があるのだろう。奥様に追い出されてしまったとか、あるいは、奥様の方が出ていったとか。
私は図書館に長時間いない。いるときは、論文をコンピュータ席で書いていた。でも、今はもうそういうことをしない。やっていると縮こまっているから、エコノミークラス症候群になってしまう。再入院である。それはもう金輪際ご勘弁いただきたいから、やらない。
図書館だけで時間つぶしをしているのは、みっともない。そう思う。仕事からは退職したが、人生そのものからは退職したわけじゃないだろうからである。
図書館は読書をするためにある。
それでもって利用するのはおおいに結構である。ましてや、仕事をしていた時とまったく傾向の違う本を借りて読むのは、大いに意義がある。借りて読むのである。年金暮らしをしているのだから、借りた方がよろしい。なにも全部買う必要はない。ただし、借りた本には書き込みをしてはならないけど。
次に、「朝の散歩から小さな幸せを見つけよう」ということである。組織に属していたら、そんな時間は無かったに違いない。なにしろ忙しいだけの人生である。余裕がなかった。私も。だから病気になった。そんなに忙しがっていても、なんにもならなかった。そもそも、男というのは、仕事でもってどれだけつかえる人間であるかというのが、生きがいになっているのだろう。そう思う。そんな比較の狭い範囲で生きているつまらない生き物が、男なんである。オナゴは、もっとたくましい。考え方も生き方もである。くだらんことで忙しがったりしない。そもそもそんなくだらないことを考えている時間もないだろう。
朝の散歩で得るものは多い。
まず太陽である。むろん雨の日はさすがに私でも、散歩は行かないから、お日様に出会えない。出会えないから、こういう日は市営のGymに行く。
十分な太陽の光をあびて、草花を愛でながら歩く。これがたまらないほどいい。たまには、写真に撮りながら歩く。
計画もなにもありゃしない。これから何をしようとか、スケジュールをどうしようかなんてもんもない。
そして、決して無理をしない。スピード優先ではないからである。ゆっくり歩いている。結果として、ダイエットできたから私のやり方は間違いではない。
別に手を大きく前後に振って歩いているのでもない。
気楽にゆっくり歩いているだけである。午後のGymは、時間を計ってやっているから、朝はそれでいいのである。
ダイエットよりも、気分の問題である。
十七年も生きた紀州犬ジョンと一緒に学んだ散歩の仕方である。
(^-^)/
私は、ワンコにも学ぶんである。
わははっはははである。
ワンコの方が賢かったな。
我が愛犬の紀州犬ジョンは、ゴミ論文なんか書かなかったからである。
さ、今日午前中は居住地の方の古文書講座「土佐日記」を教えてもらいに行く。
夜は、居住地の方の中国語講座が始まる。開校式である。今年からはビデオを撮らしてもらうことにした。でないと、全部忘れてしまうからである。
所詮バカ爺だからなぁ~。
後悔ばかり多いですよん。
(^_^)ノ””””
2010年の「国勢調査」によると,有配偶で労働力状態が家事の男性は118万人。これが主夫数の近似値かな。2000年の66万人に比してかなり増えている。
積み上げた砂山から銅鐸…「国宝級発見」評価も- 記事詳細|Infoseekニュース fb.me/43P3K7r1E
平成27年度千葉県郷土史研究連絡協議会文化講座
№ 月 日 演 題 講 師 会 場... fb.me/7jyjBph9K
「私は爺でありますが、私には夢がある」
昨日はいい天気であったが、今日は朝から雨である。ま、いいか。こんなこともあるだろうから。
今日はこれから老人大学に行く。ピ... goo.gl/9aTgC0
わははははっははははっはははっはああああああああああああああ!
実に笑いましたよん。 fb.me/1Fgyy5Mwp
おおっ、書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで、百人一首の文安2年・尭孝筆本(=書写年次の判明する中での現存最古写本)の、全丁カラー画像が見られる!国文献のモノクロマイクロ画像じゃなくて!
かりに全共闘が住民の怒りを組織化しよう思うても、全共闘はインテリやろ。インテリのいうことは庶民はわからんちゅうことになっとるねん昔から。いうてる理屈がわからんから、民衆の中にはいって一緒に運動しようと思っても、民衆が散ってしまうのや。-日本人を考える 司馬遼太郎対談集
鶴岡八幡宮薬師如来懸仏:懸仏とは円板に仏像の鋳像を付けた姿で室町時代に流行した。当宮は鎌倉武士の守護神で源頼朝縁の寺社。戦国期には里見氏によって焼討にあうも北条氏綱が再建。江戸時代には再び幕府庇護を受けるも明治期には廃仏毀釈にあった。 pic.twitter.com/fKyd2YFzoi
“@usausa1975” RT @tmaita77 #就職 の意志のない進学者を除いた,卒業生ベースの就職率推移はこう。これだと8割くらい。まあ回復はしている。私は,どん底近辺の99年の卒業。ザ・ #ロスジェネ 。pic.twitter.com/08hqLmmn5L
【Facebook更新】「和歌山県の高野山、白浜、熊野古道を訪れました。」総理メッセージの続きは⇒ twme.jp/jpn/001n pic.twitter.com/vPv4ZfhWKa
昨年のゴーヤーの日(5月8日)、沖縄でのウリミバエ根絶プロジェクトについて書きました。南方から侵入したウリミバエが果実を食い荒らすので、その分布拡大を防ぐため、かつて沖縄のウリ類は県外に出荷できなかったのです。その根絶事業の中心的な役割を果たした伊藤嘉昭先生が亡くなられました。
この天使と悪魔の話に、真面目に戻らせてください。私自身、まったく父と同じく、それらが存在することを確信しています。この宇宙には、人間以外に色々な叡智存在が実在しています。 『三つの鏡』
「信仰がすべての災いのもとで、宗教を信じる人が不毛な殺し合いばかりを続ける。カトリック教会とプロテスタント教会が和解し、宗教戦争がなくなったら、今度は民族という宗教が生まれた」亡命チェコ人ズデニェク★佐藤優『プラハの憂鬱』◎2015 pic.twitter.com/q6riafuqFg
【東大寺大仏殿の戦い】1567年の半年間にわたり松永久秀・三好義継と三好三人衆・筒井順慶らが東大寺で繰り広げた市街戦。東大寺は1180年の南都焼討で一度戦禍を被ったため2回目の兵火といえる。また、1988年に行われた金剛力士像の解体修理で、この戦の物と思われる銃弾が発見された。
【晴天と暑さが続く 北は気温差に注意】 tenki.jp/forecaster/dia… この先1週間は晴れる所が多く、北海道や東北は最高気温が平年より6度以上高い日も。関東から近畿は真夏日.. pic.twitter.com/i84RzwRzmV
冷酷な現実(これは一箇の冗語法とも響く!)として、物事の過酷な教訓として、戦争は、純粋な存在をめぐる純粋な経験という形で生起する。しかも、幻想という覆いが燃え上がり、まさに閃光を放つその瞬間に生起するのである。-全体性と無限-
お前は自分の認識しないものは価値がないというのか?ファンタジーは現実ではないというのか?しかし、未来の世界はファンタジーからしか生まれ育たない。我々が創造するものの中でこそ、我々は自由なのだ。『サーカス物語』
病で苦しかったらねえ、今までみたいに、「ああ、こんなに苦しきゃ死んじまいやしねえか」とか「長生きできないんじゃないかしら」「いつまで心身統一法やったって、いっこうに治らない。こう思ってみると結局、私なんかくずじゃないか」という… bit.ly/1gFsclo
CiNii 論文?-? 戦国期の守護権をめぐって--越前朝倉氏の場合 ci.nii.ac.jp/naid/400165600… #CiNii
よくわかる認知症講座「認知症の人に対する生活援助の方法」 goo.gl/z1qlzn
「東北の方へまいりますと、人が死んだりなんかしましょう。そのときのアイサツに『残酷でござんした』とか『残酷でございました』とかいうように、いい、つかっているんです。…わたしはそのことばには非常に愛着を持っているんです。」宮本常一/『『日本残酷物語』を読む』より