踏みつけられてしまった野草
昨日もいい一日であった。
いつも散歩をしている。日課である。一日二回。雨が降らないかぎり、朝と夕方。もっとも夕方の方は、市営のGymでやる。トレーナーに考えていただいたメニューどおりにやる。それにちょっぴりオリジナルのを付け加えて。なにしろ、トレーナーの先生は、私の教え子であったから、指示通りにしないと後がうるさい。病気の治療のためにやっていることも正直に言ってある。言ってあるから親身になってくれている。ありがたいものである。
運動をしないと、なにしろ市営の巨大病院に迷惑がかかる。もっとも、あまりにも巨大過ぎて独立法人組織になるようだが。それでも、市営であるから、居住民にはなにかと便利がいい。おむつも無料であるし、健康講座をはじめ、市民優先にいろいろと便宜を図ってくれている。感謝している。だから治療のために、運動をしているというのはウソではない。また病院に舞い戻って再入院をしていたら、自分も当然困るが、市だって困る。カネがかかるからである。利益にもなるのだろうが、微々たるもんであろう。よく知らないケド。
昨日の午前中の散歩は体調が良かったのでちょっと遠出した。ある小学校まで行ってみた。けっこう距離がある。
一時間以上歩いていた。
なかなかここまでやることは無かったのであるが、もしかしたらできるかもしれないと思ってチャレンジしてみた。
できた。うれしかった。素直に喜んだ。
かなり体力が回復してきた。もうそれだけで嬉しくなってしまう。
体力というか、身体機能というか、そういうものが一番重要であると宗旨替えをしたから、なおのことである。そう、去年までは唯心論で武装していたからである。こころの働きが一番であると思っていたからだ。
散歩からの帰り道、野草がいろいろとあった。中には綺麗な花を咲かせているのもある。
野草だというのがいい。
名も無い花だというのがいい。
実にいい。
なんでか。
私のようであるからだ。
無名で、なにも誇るものなし。
ひまわりのような華やかさもない。
田んぼのあぜ道でひっそりと咲いている。中には、トラクターとかコンバインとかに踏みつけられてしまった野草もある。仕方なし。そういう運命であったのだろうから。
そうなのだ。そういう仕方のない運命であったのだ。まるっきり自分のことのようだ。
仕方ないから、生きているだけかもしれない。
でも、はっとした。それでも、野草はしっかりと根付いている。生きている。
そういう野草をデジカメで撮ってもくる。それもまた良し。そういうひっそりと生きている姿がいじらしいからである。私のような暇な爺くらいしかいないだろうから。物好きは。
さらに路傍に石仏がけっこうある。馬頭観音が多い。これは居住地の特徴でもある。土俗信仰と、農耕馬を大切に思ってきた居住民の信仰と結びついているのだ。古文書講座でお世話になっている大先輩の父上も、路傍の石仏の著書があり、コピーして所有しているからなおさらのこと、興味関心がある。私には。
馬に乗った観音像があちこちにあるのである。
なんだか、土俗信仰とも結びついているのではないのかと思ってしまう。
こういうのがあるから、散歩が楽しいのである。
馬頭観音は合掌をしておられる。
これがたまらないのである。
まるで、一般大衆である私を憐憫の情でもって合掌してくださっているようである。そう感じるのである。それだけである。
そして、私もまた合掌をさせていただく。
ありがたいもんだと思うからである。
こんな愚昧な爺でも、そう思うのである。鏡のようでもある。観音様から合掌をしていただいて、さらに合掌をお返しする。素直にである。普段、シニカルに物事を考えてばかりいるからなおのことである。素直になれる唯一の時間である。
もう競争社会にはいないから、他人がなにをしていようとまったく興味がない。塾でもそうだ。他の講師がなにをしていようと、まるで関係がない。クチも出さない。私の書いた指導記録を訂正してくる講師もいるが、相手にしない。どっちもたいしたことはない人間だろうと思っているからである。全部そうだ。組織で動くなんてことは、もう飽きた。完全に飽きた。好きなようにさせてもらっている。それに収入がそれこそ雀のナミダである。それでもって生計を立てられるほどもらっていない。趣味でやっているだけである。それに呆け防止のためである。
もっとも、仕事である以上、責任はある。あるからかなり準備はやっている。やっているからできるようなものである。専門学校でもやっているが、こっちも責任は大きい。こっちは塾とは違っている。この学校のことは、これくらいにする。書くのは。
これから非常勤講師をしている大学にも行く。
これもまた責任は大きい。だから昨日のうちから準備していた。教科書的な資料はすでに全員に渡してある。170枚くらいある。さらに毎回資料を準備して大学についてから、印刷して渡す。なかなか面白くてためになると学生たちが言ってくれる。全員、前の席に座ってノートをとったり、質問に答えたりしてくれる。教員採用試験で成果が上がっているわけである。やる気が違う。
そういうことである。
私のような野草でも、お役に立つことがあれば、どこへでも出かけていく。
野草だからである。
根付いた土地もなんにもありゃしない。
風の吹くまま、気の向くままである。
それを馬頭観音が見ていてくださるだろう。
さ、それでは時間でありまする。
出かけてきます。非常勤講師として。
(^_^)ノ””””