ワシには授乳の経験がない。あたりまえである。おっぱいが出ないからだ。残念ながら(^0^)
基本的に男性というのは、子育てが苦手であろう。そう思う。経験上。
どうやって小さい子に接したらいいかよくわからないからである。
孫に接していて全くそう思う。なぜか。それは男性にはなかなか母性の感覚が持てないからだ。授乳をすれば、母性の感覚が持てるという。と、「孫の力」の著者島泰三先生は言われる。そうかもしれない。
ワシには授乳の経験がない。あたりまえである。おっぱいが出ないからだ。残念ながら。
孫だからと言って、私が母親の代理がつとまるわけがない。さらに、母親である私の娘のような細かい気配りもできない。
ただひたすらかわいい・かわいいとデタラメをやっているだけである。
Youtubeでお祭りの動画を探しだして、見せているとたちまち孫の母親からクレームがつく。孫は無類の祭り好きであるからだ。
このあたりは私に似たのかも知れない。祭を映像で撮って、その歴史的背景とか精神史、宗教史まで手を広げて駄文を書いていたからである。ましてや、それでもって学位をとってみたいというような可能性のまったくない大望を持って、3年間も博士後期課程に通学していた阿呆なジージである。
当然であろう。
ジージに任せていると、自分の子どもがバカになるからである。
なんの責任もないし、結局は自分で考えて、自分で判断して大人になっていくしかないという妙な開き直りがジージにはあるからである。
教育もそうなのではないか。期待したとおりにはなかなか育たないのである。国家や、文科省や、親の期待から外れていくのが子どもである。ましてや、最近流行の地域の教育力なんて昔からあったのだろうかとふと思ってしまう。そりゃ、たしかに小うるさいジーさん、バーさんは昔からいた。
でも、あれってご自分のストレス発散で悪童のワシたちを怒鳴りつけていただけだったのかもしれない。それでも、有り難かった。
なぜなら、そういううるさいジーさん・バーさんに出来るだけ見つからないように注意をして行動していたからである。それがなによりの学習だったのである。成長するための実に良い機縁であったからである。
私は、赤湯温泉という奥羽山脈の麓にある温泉町で生まれ育ったから、旅館がたくさんあった。19軒くらいあった。だからその裏庭に忍び込んだり、裏口を発見したりとか、悪さの種は尽きなかった。だから怒られたのである。
旅館の番頭さんとか、その手下とか、いろいろ待ち構えていて、とうとう全員顔を覚えられてしまった。
しょうがないから、それから隠れて遊ぶようになった。山がいくらでもあったから、洞窟遊びなんて得意中の得意であったのである。
町内に六つある共同浴場でもおおいに遊んだ。
日頃の悪童たちが、集うのである。一日中源泉から温泉が出ていたから、何時間でも温泉で遊んでいた。
たまにはハラを立てたオフクロたちが、怒鳴り込んでくる。あれにはマイッタね。男風呂だろうがなんだろうが、関係ないのだ。いつまでも出てこない悪童どもに鉄槌を下すのだから、よほどアタマに来ていたのだろう。だから怖れおののいていた。昔のことだから共同浴場の中に時計はない。あたりまえである。貧しい、ひなびた温泉街である。今でも好きだけれど。
悪童というのは、周囲の大人たちの反応を確かめているふしがある。
つまり、それを一番言いたいのだ。
孫を見ていると、悪さの限りを尽くしている。しかも悪いとわかっていて悪さをやっている。おもしろいものである。大人が困っているのを見て、それでもって喝采を叫んでいるのだ。わかるのである。それが。
だからあまり調子に乗りすぎて、母親にいい加減にしなさいとぴしゃりとやられると、しょげる。この世の末とばかり反省する。笑ってしまう。だったらやらなければいいじゃないかと思う。思うけれども、そのままにしておく。
そうなのだ。
そうやって学習していくのだろうから。
やっていいこと、悪いことを段々と学習していくのである。孫を見ていると、余裕ができたジージとしては可能なかぎり客観的に子育てが楽しめるという案配になる。
結果責任を問われることもないからだ。
もっとも、そういう態度が孫の母親には気に入らないのだ。どうでもいいのかと、孫の母親に問い詰められることもある。黙っている。熱心に教育した結果が、おめーさん(孫の母親)だよーんと言ってやりたいが、それだけは言わないでおく。反対に私の結果責任がこっちに矢となって打ち返されてくるからだ。それだけは御免蒙りたい。
孫は、そういう過去の育児体験を思い出させてくれる。
どうやって一人前の大人になってきたのか。あるいは、どのように育児と関わってきたのかということをである。
仕事が忙しいからと言って関わらない男もいるらしい。それでいいのかとは思う。思うけれども、事実上母子家庭状態になっているエリートサラリーマン諸君も多いのだろう。いろいろと聞く。そういう話を。
朝から晩まで、仕事・仕事でもってやっている方々である。仕方がないということもあるだろう。
それでも、可能なかぎり育児には関わっていった方がいい。子どものためになるし、なにより自分のためになる。
孫ができたらさらにそう思うからである。
さ、今日も一日中孫と遊ぶ。
それがジージの一番大切な仕事だからなぁ~。
(^_^)ノ””””