アタシャ、本当にズレているのだろうか?・・・最近わからなくなってしまったよん
おめぇさんはズレているということをずっと言われてきたから、本当に私はズレているのだと思っていた。これまでは。
マジに、還暦過ぎて生涯学習を気取って、某大学大学院博士後期課程に入学した。それだけでもズレているのだろう。
親しい友人たちには、高い学費を払ってナニしに行っているんだとか、学部に入学した時にまったく勉強していなかったからまだ拘っているのだろうとか言われてしまった。もっと言われたのが、せっかく大学院に行くのなら学歴ロンダリングをなぜ狙わないのだということであった。一人暮らしを覚悟したら、国立でもなんでも大学院なら行けたではないかと責められてしまったのである。
学歴ロンダリングとは、学部とか修士課程がさほど評価の高くない大学を出ていて、大学院だけは超一流を狙うというものである。書きたいこと、やりたいことがあるならばそういうのもいいだろうとは思う。しかし、それも身の程を知らなければならない。それに一人暮らしで、三畳一間のアパートでやっていけるのかという疑問もあった。さらにさらに、もうそんな学歴云々でまるで戦士のように戦う時代は過ぎ去ったのである。そもそも最初から戦士としては、通用しないまるでダメな戦士であったからねぇ~。
あげくの果てに「本当におめぇはズレているよなぁ~」っていうワルクチを聞かされてしまった。
事実、知人・友人・家族にも散々言われっぱなしであった。
大学院進学の理由はいろいろとつけることができた。学位を取りたいとか、知的生活の向上とか、やり残した専門分野の追求とか、生涯学習をしていきたいとか。しかし、いくら言っても信用してもらえなかった。
ふざけた知人・友人は、そんなにアレか?・・その某大学っちゅうところには、美人女子大生でもいるのかとからかってきた。笑ってしまう。美人女子大生は山のようにいたけど。殆どはクチもきいてくれなかったし。妙なジジイが若い人たちと一緒に教室にいるのだから、邪魔にならないようにしていただけである。そのうち段々とクチをきいてくれる院生もできたけど。文学専門だから女性が多く、美人の院生たちだったよん。(^□^)
マジに抗弁すればするほど、私の真剣な学びへの憧れというのは、阿呆なジジイの狂った行動とされちまったのである。
だから、私は相当ズレているのだと思ってきた。
周囲からの感化というのは確かにあるからである。
しかし、違うのではないかと最近思い始めた。
ズレているのは、私自身ではなく、むしろ周囲の人々ではないのかということに気がつき始めたのだ。
だいたいにおいて、ジジイになったのだからおとなしくしておれ!というのが気にくわない。
そういう思い込みというか、固定観念は絶対に避けるべきである。
ジジイはジジイらしくというのは、かえって気持ちが悪い。
なんでそういう平均化というか、同質化というか、なんでもかんでも他のヒトと同じ事をせよと迫るのだろうか。
どうも、東日本大震災以来、日本社会全体が少し変質してしまったような気がする。全体性というか、まとまって何かをやろうという姿勢がありすぎて、ちょいと違和感があるのだ。
東京オリンピックもそうだ。あの「お・も・て・な・し」という美人キャスターの気持ち悪い台詞には吹き出してしまったのである。私は。まるで巧妙に計算された女優の演技を見ているようだった。
なにも東京オリンピックに反対しているのではない。あれはあれで良かったのであろう。それでもって経済効果をねらっている人もいるのだろうから。でも本当にそれでいいのだろうか。経済効果があるからオリンピックを招致したのだったら、オリンピックの本質とはズレているのではないのか。あれって参加することに意義ありとか小学校の時に習ったような気がするのだがねぇ~。
新国立競技場の問題もなんだかちょっと違和感がある。ズレているのだ。問題の本質が。これも、誰かが巧妙に計算してシナリオを書いている田舎芝居ではないのかと思う。高額の建築費を問題にするのだったら、むしろNHKの新社屋の方が、新国立競技場よりもちょうど1000億円高いはずであり、マスコミもまったくそれを問題にしていない。
さらに文科省の担当官僚を更迭したとかいうことである。それでいいいのか。問題の本質が見えていないというか、隠されているというか、本当に田舎芝居のようである。
更迭された担当官僚がかわいそうだと私なんか思ってしまう。ご自分の生活もあるだろうに。どうやって生きていくのかね。
さらに、同質性という点では、政治もそうだ。見ていると情けなくなってくる。長いものには巻かれてしまえ、ホトトギスである。自分の意志で行動しているのだろうかと思ってしまう。いろいろな法案について、賛成側も、反対側も同一行動をとってなんら恥じることがない。
そして何年かしたら、法案の成立をめぐってあれこれあったことはナカッタことにされてしまうのだ。
みんな忘れたふりをしているのだ。
消費税を値上げしたのだって、当時のN総理はもっとカッコのいい事を話していたのに、なんだか今は胡散霧消しているではないか。
もっとある。群馬県のダム建築も、工事を中止するといっていたのに、いつのまにかそんな話は胡散霧消である。消えてしまったのだ。なかったことにされてしまったのである。
ズレているなぁとしみじみ思う。
政権を批判してあれこれと言っているんだったら、なんでオレにやらせろ!と言わないのであろうか。マスコミ政策立内閣というのがあってもいいんじゃないの?と思ってしまうからだ。
真のリーダーがいないとか批判ばかりしているが、リーダー待望論というのは危険でっせ。独裁国家になる可能性があるからである。強いリーダーを待望するんではなくて、私たち一般庶民がもっと自覚を持たなければならないと思うのだけれども。強いリーダーになにもかも任せていればいいというのは、怠惰であるからだ。そしてそういう乱暴な論理を展開してくる御仁ほど、後になって「な~んにも起きなかった、ナカッタことにしてやる」というつまらないことを言ってくる。
批判するなら、当事者能力を発揮して、それなりの戦略を立てて頑張ればいいのに、言うだけ番長になってしまっている。やはりズレているとしか言えない。言いようがない。
ジジイになったから世の中のことが余計わからなくなってしまたのかねぇ~。
惚けて。
だったら、誰かこういう私のようなジジイに丁寧に説明してくれないのかね?
よくわかんねぇことばかりじゃよ。
で、やっぱり「と~ま君はズレている」って言われるだけなのかね。
まったく、まったく。
あまりにも暑いから、とうとう来ちゃったのかねと言われてもしょうがないケド。
そんな程度だから。
(^_^)ノ””””