すべてのものはメッセージだったから・・・特に奥羽山脈と九十九里海岸から見える太平洋からのは格別であった
※youtubeでやっていた・・・・・・昨日ふとしたことでこれを聞いた
昨日、youtubeでユーミンの歌を見ていた(聞いた)。そうなのだ。私のような老人でもユーミンに関心があるのだ。もっとも、年代的にはあまり変わらない村上春樹だって、いろいろな音楽を作品に登場させている。さらにイケメンの(?)主人公を登場させて、モテモテの人生を送らせている。反則である(^0^)。こちらとしては、いじけているしかない。あんな風に生きてみたかったが、もう遅い。遅い上に、ドンファンで生きるようなお顔をしていない。こっちは。資格要件に欠けるっちゅうなわけである。あああああ、バカバカしい。
ユーミンである。
この方も年代的には私と変わらない。マジである。1954年の生まれだから、私の方が年長ではあるが。え?がっかりしたって?ごめんなさいよ。ユーミンの方がウント若く見えるからだねぇ~。それに作る歌・歌詞すべてが、若々しい。すばらしい世界を展開している。そして独特である。
ユーミンの歌を聞きながら、高速道路をドライブしていると集中できる。「中央フリーウエイ」だったっけか。アレを聞きながら吹っ飛ばしていると(スピード違反はしていない=なにしろこっちは、免許取得後ただの一回も違反をしていない超優良運転者であるから)、快適であったからだ。もっとも、あの歌は傍らに恋人がいる。ワシにはいない。こういう情けなさが、生きる力の源泉になるから不思議なモンジャ。モンジャの輔である(意味不明だけど)。
ユーミンである。
「やさしさに包まれたなら」である。これが実にいい。歌詞を一部分引用してみる。
「小さい頃は、神様がいて
不思議に夢をかなえてくれた・・・・」で始まる。
そして
「カーテンを開いて静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつるすべてのことは メッセージ」となる。
著作権の関係上一部分の引用しかできないのが残念である。が、なかなかの歌詞である。
スタジオジブリの「魔女の宅急便」のテーマソングにもなったことは、記憶に新しい。
ユーミンである。(もうこれで三度目か)
「小さい頃は、神様がいて」である。そうなのだ。小さい頃は、神様がいたのである。どこに?・・・自分たちの心の中である。アタマの中といってもいい。どっかに自然を怖れる気持ちというのがあるからだ。海でも山でも平地でも、どこでもある。無いのは唯一人工的に作られたものだけ。そりゃそうだ。東京スカイツリーを見ても、あれを神様が作ったとは思わない。いかにと~ま君がバカでも、そうは思わない。作ったのは建設会社であり、設計したグループたちの意図のもとでできただけだ。
そういうのを神性とは誰も思わない。
九十九里海岸に40年以上住んでいるが、アタシャ今でも太平洋を見ていると怖れおののく。こういう雄大な海を誰が作ってくれたのだろうかと思う。感じる。まさか一神教でいうところの神ではない。聖書はキリシタン版とか、遠藤周作、椎名麟三、ドストエフスキーを理解するためにかなり読んだ(通算7回)。しかし、「小さい頃は、神様がいて」というのは、ジイジになった今でも心の中にいる。怖れである。大自然に対する怖れがあるのだ。
これは生まれ育った奥羽山脈にも感じる。今でもである。帰省したときに、連綿と続く山並みがある。東北自動車道を福島で降りてそれから延々と米沢にむけて国道13号を走る。ハンドルを握って、途中二つの栗子トンネルを通っていく。そうすると山並みが迫ってくる。
山に対する怖れおののきというものが、ジイジとなっても未だにあるのだ。
小さい頃に、悪童たちと一緒に山番というものに追いかけられた経験があるからかもしれない。あるいは、山には物の怪がいて、いつでも悪さをする悪童をかっさらっていくからということを、親や、叔父伯母たちに言われてきたからかもしれない。
確かに、あの奥羽山脈の山並みは恐ろしい。
伝承やむかし話があるからかもしれない。それでも、私は怖かったけれども好きだった。山々がである。なんとなく自然を超越したあるものがおわすというような感覚があったからである。それを簡単に神とは呼びたくない。
むしろ「原始宗教性」といったものではなかったのか。そう思う。そう思うから、仏教学にも関心があって、大学の学部もそういう関係を選んでしまったのである。両親や親戚中から大反対されたっけ。だから学費を自分で稼いで(生活費も)、全部自分でやった。そして、今がある。仏教専門の修行もすることができなかったから(あまりにも罪悪まみれのアホだったから)、民俗学と仏教の融合したような形を好んで学んだ。修士論文もこれである。しかし、残念ながら、博士は中途退学であったけれども。あたりまえである。こんなのいかがわしいと言われたら、ギャフンである。学問的な価値はない。引き下がるしかない。
撤退もまたやるべきときは、迅速に行動すべきだからだ。
ユーミンである。(四度目)
「カーテンを開いて静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつるすべてのことは メッセージ」
これである。これ。
特に最後の「目にうつるすべてのことは メッセージ」である。まさに私の幼児体験がこれだった。そして今でもそうだ。大自然からの「メッセージ」なのだ。
それがあるから、生き残ってきたのだ。
去年の十一月に入院したときも、あの巨大病院から太平洋が見えた。13階建ての巨大病院で、そこの7階に入院していた。院内歩行をしてよいとなってからは、あちこち彷徨していたからである。太平洋は大きい。雄大である。真っ青である。つまらない世間のことなんか、まるっきり関係がない。
あれでもって人生観が変わってしまった。
学位をとりたいとかつまらないことに拘って、人生を(特に余生を)捨てるこたぁねぇって教わったのである。死んだらおしめぇではないか。学位よりも命である。生きていなくちゃ話にならん。そんな簡単なこともわからなかったのだ。バカであった。大金はたいて大学院に入って、なにをしていたのだろう。健康や命が大事だよ~んということを、初めてしみじみ感じたのである。遅きに失した。
太平洋からの「メッセージ」であった。
これ以上無い「メッセージ」である。
ありがたいもんである。
感謝である。
今?
今はもう好きなことだけをやっている。ストレスもまったくない。これまたありがたいことである。
生きているだけめっけもんであるからだ。
だいじにしていきまひょ。
(^_^)ノ””””