ウンチを教えることができるようになった時は、ジイジである私が孫のおちんちんを持っておしっこをさせていた時だった。
今日で孫が帰ってしまう。しくしく・・・(´;ω;`)。
それにしても楽しかったなぁ~。孫二人と過ごすことができた14日間であった。まるで孫にとっては、二週間にわたる九十九里浜合宿であったはずである。おしっこもできるようになったし、ウンチもできるようになった。これが一番の収穫である。孫の母親も喜んでいた。
保育園に入っているから、どうしても他のおさな子たちとの比較が孫の母親には視野に入ってくる。当たり前であろう。相対化である。それがあるから、人類は教育に熱心になるのである。
こういう時は、ジイジ・バアバの出番である。
経験値が違う。
事実、ウンチを教えることができるようになった時は、ジイジである私が孫のおちんちんを持っておしっこをさせていた時だった。
こういう体験の積み重ねが孫を成長させる。さらに、言葉の発達ということでも、ジイジにお任せなさいということでもって二週間つきあった。語彙力はかなり増えた。こんなことは得意分野である。
公文や七田式のトレーニングペーパーも孫の母親は持参してきた。ちょっと早いのではないかとも思ったが、保育園で相対化の経験をした以上、後戻りできないのであろう。
要するに作業学習である。だからコツは簡単である。最初に指導者であるジイジの私が、孫の前で「やってみせる」のである。それから孫に同じことをさせてみる。「させてみる」のである。できたら褒める。できなかったら焦らないで、修正作業をくりかえしやる。最近私が自分でも実践している「作業学習」である。
やる気にならなくちゃどうしようもない。
作業学習が終わったら、最後に大きく大きく「ハナマル」をつける。プロッキーというuniから出ている裏うつりしない赤のマジックでもって、しかも太い方で大きな「ハナマル」をつけてあげる。
さらに、赤字で「good!」と書いてあげる。そうすると孫はさらに喜ぶ。
枚数なんか関係ない。孫の母親は一日一枚と書いてあるからといってきちんとそれを守っていた。しかし、この幼子の時代には、やる気になっているときが勝負である。興味関心ということを維持しないとなんにもならない。
孫の食べるもんは、古女房ドノが担当した。つまり、ジイジ・バアバの分業システムである。
これでいいのである。
若い夫婦だけでいると子育ても独善に陥る。独善からはなにも生み出せない。
さらに子育ての批判を極端に怖れる。それが若い夫婦の特徴であろう。だから批判しないで上手にシステムを修正してあげることが、老人たちの使命である。
経験値が違うというとそれっきりだが、実は大事なことである。
だから若い夫婦も学ぶことである。相談することである。周囲の大人たちに。それでいいではないか。それで。
困ったら、経験値の豊かなジイジ・バアバにでも相談されればいい。公的機関でもいくらでもある。そういう場所が。Doctorでもいる。
言葉が遅くても、おしっこやウンチのしつけでもって悩まないで相談されることである。経験値の豊かなジイジ・バアバが世の中にはいくらでもいるからである。
なんの心配も要らない。
結局、親のコピーができるだけであるからだ。
つまり、親のように育ち、親そっくりの顔をして、親のように反抗しながら大人になっていくのである。
計画的に子育てしたからといっても、決してそのとおりになるわけではない。むしろ真逆の場面が多いであろう。
裏切られ、どっかに行ってしまって、親一人残される場合もある。
当然、そういうのは受容しなくちゃならない。そういうように育ててしまったからである。
都会への憧れが親の方にあったら、当然子どもも都会に憧れる。したがって、都会に出ていく。親が田舎を軽蔑していたら、当然自分はあたかも昔からスマートな都会人であったように勘違いをする。
都会っていっても、江戸(東京)だって、まだまだ新開地ではないか。
およそ歴史と伝統なんて自慢げに言っても、たかだか数百年のあゆみでしかない。例外はあるけど。
大自然の歴史から見たらである。
マジに。
人間なんてちっぽけなものだからである。それに日本は狭い。まったく狭い。カナダ・アメリカ、ヨーロッパ大陸に行くとしみじみとそれを感じる。こんな世界でよう生きてきたもんじゃと思う。
実にせせこましい職業だけの世界でこれまで生きてきたが、もう退職したからきれいさっぱり忘れられている。だからかえってありがたい。老醜をさらすことがないからだ。忘れられていれば、現役世代に嫌われることもない。わはははっはははっはははっははははである。
それに、いつまでも昔の人間関係にしばられることもない。
こんな気楽な世界はない。
こっちには再雇用の能力もなかったし、その気も無かったからである。こういうジジイもいていいのである。言い訳かな?
ちょっとそうでもないような気もしているのだけれども。
ま、ともかく孫とオサラバである。
哀しいこと限りなし。
しくしく・シクシクである。
元気でねぇ~!
(^_^)ノ””””