難しいですなぁ~まだまだですがな(゜◇゜)ガーン
ピンインと四声の歌
京極夏彦センセの本を眺めて、別段、ノートにとって「研究」して「大論文」にしあげようとして読んでいるのではない(アタリメェだけど)
巷説百物語 (角川文庫) 文庫 – 2003/6 京極 夏彦 (著) 角川文庫
この小説をトイレや風呂の中で読んでいるが(その程度の本だから)、ファンタジーである。まったくの楽しい・愉快なファンタジー・・・と書いてみて、あっと思った。伝承・口承文学もそうだったのだ、と(ついでに言えば、村上春樹も)。オレのやってきたこともまたそうじゃなかったのではないのかということも。また現代文学も。真っ赤なウソ話であるからだ。
こんなことをやっていたら、確かに生産性はない。だから、文科省から文学部廃止を通達されるのであろう。生産性がないからだ。カネにはならないからだ。せいぜい、老人の手慰みでしかないと言われれば肯定せざるを得ない。
理科系の学部がもてはやされるのはわかるような気がする。しかし、時代の変遷と密接につながっていることも、また否定できない。つまり流行廃りということである。
看護学部が彼方此方で出来ているが、これも需要と供給のバランスが崩れたら経営破綻を来す私立大学が出てくるだろう。薬学部もそうだ。微妙なバランスの上に成立している。そういう意味では時代の流行廃りという要素から影響を受けるということは否定できないことである。
理科系ではないが、法科大学院もそうだ。需要と供給の微妙なバランスの上でもって成り立っている。最近の法科大学院の廃校・学生募集停止は非常に関心があった。なぜこうなったのかということである。完全に司法試験制度の側からのある種の意向がこの法科大学院の存続を決定している。もしかしたら、もしかして業界団体の意向も影響しているのだろう。そう思わざるを得ない。
さらにある種の思いつきでもって、政策決定がなされているのではないのかとも思った。政策決定の評価(総括とも言う)が無いからだ。さらにアカウンタビリティがなされていない。政策のである。政策の「評価」に関する当局自体のものがどこにも出てこない。幾多の教育改革と一緒である。国民の税金を投入しているのが財政政策である。つまり、財政主導でもって、教育の政策決定がなされている以上、政策に関するアカウンタビリティは重要である。そう思うのだが、なかなかお目にかかることがない。
ま、これ以上は書かない。理系学部と言っても、旧制帝大系のような本格的な学問をやっている大学は安泰であろう。なぜなら、カネを念頭に置いていないからだ。もしかしたら、就職もアタマの中に無いのかもしれない。
そういう世間離れしたのが、本格的な学問志向の大学である。だから魅力的なのだ。そう思う。私立大学でも、流行に乗っていない伝統大学の方が本格志向であろうと感じる。文科省の先日の国立大学から人文科学系学部再編通知というのは、そういうことであろう。
さらに旧制師範学校や専門学校を新制大学にしたのが戦後の学制改革であるが、それも見直ししようというのが透けて見える。これをやるとすると、専門職大学院なんて吹っ飛んでしまう。そういう魂胆があるというのは、田舎教師をしていた私でもわかるくらいに単純な話の展開である。ご自分の教育改革政策の評価無しのまま、またまたこういう展開がなされてきたからびっくりしているのである。
大学の評価とか、就職率というのが大事なのはよくわかっている。なにしろ高校側にいたからである。つまり送り手の側にいたからである。これは若い高校生には慎重に対処してあげないといけない。
当たり前である。これから長い人生を送って行かなくちゃならないからである。
しかし、今、田舎に住んでいるタダの生涯学習者となってからは、そういう世間的な評価とか、就職率とかアタシャもう関係がないから、関心もない。どうでもいいような話である。でも、これから学者センセや研究者、あるいは就職して活躍していきたい、世間に雄飛していきたいと思っている方々には真剣な問題であろう。
これはこれで真剣に考えてあげないといかん。若い人々の将来をおちょくってはならない。
アレレ・・・・
冒頭に揚げた京極夏彦センセからずいぶん脱線してしまった。
なんでこうなったのかね?
いつもそうか。脱線ばかりしてきた人生だったからなぁ~。
書きたかったことは、妖怪とか怪談話のことである。この京極夏彦センセの文庫本は、真っ赤なウソ話ではあるけれど私のような一般大衆が、どのようにして妖怪とか怪談民話を受け入れてきたかということがよくわかるから買ったのである。実に楽しい。
しかも108円であった。
別にこの本を見て、ノートにとって、なにかを暗記しようとしたのではない。そんな価値はない。ただのファンタジーでしかない。真っ赤なウソ話であるからだ。別段、ノートにとって「研究」して「大論文」にしあげようとして読んでいるのではない。
簡単である。
ただ楽しむためにやりたいというだけである。退屈しないという理由だけで読んでいるだけだからだ。これを持ってトイレや風呂の中でニヤニヤ笑いながら、あるいはフンフンと読んでいると時間がたつのが実に快適であるからだ。フンフンと読んでいると、うんうんとなって、トイレも快適になる(笑)。バカみたいな話である。もっともバカだから、こんな小説を選んで読む。そして読んだら捨ててしまう。古本店には売らない。なんでか。
どの頁を見ても、折ってある。さらに書き込みもある。トイレや、風呂の中で読んでいたのだ。売ってはならない。引き取りもしてくれない。
ゴミとして捨てるしかない。読書ノート、あるいはカードには書き込まれるが。
そういう運命である。
ある意味、アタシと一緒ですな。捨てられる運命。
そういうことである。そういうこと。
さ、今日は夜に塾がある。それまで教材研究だよ~ん。暇だし。やることないし。
(^_^)ノ””””
【明治後期】「若菜集」で詩壇に影響を与えた島崎藤村でしたが、この時代の詩は、詩人の生活を支えるものではありませんでした。明治三十年から三、四年の間に「夏草」「一葉船」「落梅集」を出した島崎は詩作をやめ、散文作家になろうと決心することになります。
>グローバル改革やガバナンス改革といった目先の改革も必要ではあるが、中長期を見据えた大きな変化を追求する事も必要になってくる
ナルホドねぇ・・・・・・・・・その結論としての生涯学習なんだ。
ナルホド! fb.me/24cXu3pPk
2030年に向けた国内大学のパラダイムシフト (3) 教育プログラムの転換 - 競争原理の萌芽 | マイナビニュース news.mynavi.jp/series/educati…
遺体確認目的で帰省か、知人に伝えず…中1遺棄- 記事詳細|Infoseekニュース news.infoseek.co.jp/article/201508…
【9/10発売】「職業としての小説家」
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<村上春樹私的講演録>に大幅な書き下ろし150枚を加えた読書界待望の渾身の一冊。
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■「おまえが大きな船に乗り、私が小さなカヌーに乗っていても、私たちは同じ生命の川を分かち合わねばならない。」 【アメリカインディアンの古老・オーレン酋長】
【茨城・悪態まつり】<旧暦11月14日>江戸時代中期から続く祭り。領主が住民の意見を聞くため、この時に限りどんな悪態をついても罪に問わないとして始まった。「早く登ってこい」などと悪態をつかれる天狗役は言葉を発してはいけない。 pic.twitter.com/5zKTJ8A9dJ
■「沈黙とは、体と精神と魂が完璧な釣りあいをとっていることである。自己を保っている人は、葉の一枚たりとも動かぬ木のように、小波ひとつ立たない輝く池のように、つねに静かで、実存のあらしに揺すぶられることがない。」
【宇佐八幡宮神託事件】769年、宇佐八幡宮より称徳天皇に対して道鏡が皇位に就くべしとの託宣を受け、弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされる一連の騒動。道鏡の皇位継承は和気清麻呂が阻止した。道鏡はこの事件を機に失脚し、下野国へ左遷された。pic.twitter.com/ypVmBEx18z
【栃木・強飯式】<4月2日>日光責めともいう。読経と護摩供養の後、山伏が大げさな動作で責め具を床にたたきつけたり、平伏した頂戴人の頭上に大杯を載せたりして酒や飯、菜膳を強いる。儀式後は奉納品を参列者へ配る「がらまき」を行う。 pic.twitter.com/0c5wnW0u9p
過去問集なんかバラバラにしちまぇ・・・・え~いとばかりに破いて(^0^) goo.gl/ShDmWL
■「わたしの後を歩くな。どこへ行くか分かっていないときもあるのだから。
わたしの前を歩くな。わたしが君についていかないこともあるのだから。
歩くときは横に並べ。さすればわれわれもひとつになれるかもしれない。」【ユテ族】
葛井寺乾漆千手観音坐像:大阪府所在。彫像の千手観音像は40本の手で「千手」を代表させるものが多いが、本像のように実際に千本の手を表現する千手観音像は少ない。葛井寺像は藤原広嗣の乱鎮圧を祈念して造立されたものであるとする説もある。pic.twitter.com/RhI6UOAmXV
“@usausa1975” RT @kiwi250r 千葉拘置所で接見をして大嘘判例八百選を受け取りました。 pic.twitter.com/lx1W8en2Pm
熊本城の塀が倒壊 重要文化財が台風被害に
5.tvasahi.jp/000057440?a=ne… pic.twitter.com/5Aort4YfBM
ABO式血液型は、赤血球の表面についてる糖の鎖がどんな形をしているかで分類する血液型だよ。A型、B型、O型、AB型の他に、ボンベイ型っていう特殊なタイプが存在するんだ。
「一般入試で合否判定ミス 大阪府立大、2人を追加合格」
・採点担当の教員4人が受験した82人の小論文を誤って100点満点で採点。
・採点担当者「200点満点か100点満点か迷って100点にしてしまった」
asahi.com/articles/ASH8T…
2人とも入学の意思ありとのこと
司馬さんに進路を聞きにいく日本人が増えすぎたんですよね。それで司馬さんも同じように日本がどうなっていくんだろうということを非常に心配されていた。進路がどうなっていくかは、実はわからないですよ。それを負わされてしまったということは大変だったんだなという……。
能を楽しむことと、野球やサッカーなどのスポーツを楽しむことは共通です。もちろんプロのすばらしい技術を観る楽しみもありますが、実際自分でやってみる楽しみもあります。観るだけでは判らないことも、やってみれば解ることもあります。
6世紀初めの磐井の乱と663年の白村江の戦いは区別をしっかりつけとかなくちゃね。磐井の乱は、筑紫の国(現在の福岡ら辺)で起きて、これに対してヤマト政権は北部九州に屯倉を設けたわ。白村江の戦いでは、大宰府の北方に水城、対馬から大和にかけて朝鮮式山城が設けられたの。
お笑いの本質にも近いところはあります。その意味では、天皇制というのは、巨大なトリックスターです。その本性はお笑いだと僕は思っているんだけれど、それくらい柔軟に生きぬいてきたものの本質を、男系だけで決定はできないだろうと思っています。つまり、女性天皇もありです。
名付けとは創造的な行為によって誰かや何かと関係を作り、それを通して初めて、その何かに現実性を与えるということです。その際、名前自体は重要ではありません。名前を持たないものは私たちの意識の中に存在しません。名がないことの苦痛は、幼心の君が患う死の病です。『Lexikon』
事柄に対する情熱。――事柄(学問・国家の福祉・文化問題・芸術)に情熱を向ける人は、人間に対する情熱から多量の火を引き去る(政治家・哲学者・芸術家達が彼らの諸創造の代表者であるといった具合に、人間がああした事柄の代表者である場合でさえも)。-人間的、あまりに人間的-
あんまり受験じゃ見かけないけど、bereaveっていう単語は日本語と少し視点が違う単語なの。robとかdeprive系統の動詞だから分離の意味でofを使うんだけど、bereave A of B「(事故や死が)AからBを奪う、死別させる」っていう意味。
どこか遠くへ行きなさい。仕事が小さく見えてきて、もっと全体が
よく眺められるようになります。不調和やアンバランスがもっとよく見えてきます。
そのようにして漠然と時が流れ、日が沈んだ。サンライズ・サンセット。僕は一人の平面的パックマンとしてあてもなくただぱくぱくと点線を食べ続ける。 ―ダンス・ダンス・ダンス(下)
大気の上端はどこなのかしら。大気は上空に行くにつれてだんだん薄くなっていって気が付いたら宇宙空間になってるの。でもそれでは不便だから様々な方法で大気の厚みが表現されているわ。残りの字数では表現しきれないけどそのうち紹介するわ。
トドロフの『幻想文学論序説』は比較的手に入り易い研究書として人気があるわね。確かに「幻想」が「驚異」と「怪奇」のあいだの躊躇いの中で生まれてくるという指摘自体は、柄谷の他者論辺りまでの射程をもったもので興味深いのだけど……。これって「幻想文学」の話になっているのかしら。
「米国の腐りきった金融業界は、世界中に何の価値もない証券を売りまくった。人類史上これに匹敵するひどい詐欺があっただろうか。」 エマニュエル・トッド
【プレート境界】「狭まる境界」は近づき合うプレートの種類によって、形成される大地形が異なるわ。そもそもプレートには「海洋プレート」と「大陸プレート」の二種類があり、海洋プレートは大陸プレートよりも重いから、もしこの2つが衝突すれば前者が後者の下に潜り込むの。「海溝」の形成よ。