ゴミ箱行きの小説は、かえって貴重な体験でしたかな?・・・不快さに耐えるという意味では(^w^)
私の嫌いな作家に村上春樹と渡辺淳一がいる。どれくらい嫌いだというと、彼らの小説は読了後すぐゴミ箱行きになるからである(いちおう読むのだが・・時間の無駄であっても)。
なぜか。かなりのインテリに見えるような男女が、「非現実性」を生きて居るからである。もっとも、村上春樹と渡辺淳一の二人とも真っ赤なウソ話を書いては大御所としてかなり儲けていらっしゃる。だから、なにもハラを立てる意味もないのだけれども。
しかしである。村上春樹の「ノルウェイの森」なんかは、どうみても世間からはじき出されてしまったまともでないような人々が、次から次へと登場してくる。しかも、みんな知的にも肉体的にも経済的にも世間の中流以上。否。かなり恵まれている生活をしている。ここらへんが、貧しい苦学生をやっていた私の相容れない部分である。相容れないどころではない。ハラが立って仕方がなくなるのである。貧乏な私の被害妄想だと言われてしまうけど。
特に、女性陣。
みんな綺麗な美女なんだろうなぁと想像させてくれる。「debuでbusuで誰にもモテない」とか「三流大学ですら合格できない」とか「家庭内暴力で育って」というような環境に無いのである。そして、みんな早熟であって、性的な発達だけは見事にやっている。映画も劣情をそそるようなシーンだけが目立つ。
さらに、たいした理由でも無いのに簡単に自殺してしまう。抽象的な理由でもって。こころを病んで、である。全員が、ワケのわからない抽象的な理由でもって簡単に世間を忌避して(あるいは世間から忌避されて)、なんだか浮いている。おそらく、早稲田の学生であろう主人公と、学生寮に入っている方々の天国にでもいるような金持ち金満富裕層(中国の富裕層もびっくりするような)の生活そのものであるよん。バカバカしい。
これは、渡辺淳一の名作と呼ばれる(黒木瞳主演の映画にもなった)「失楽園」もまったく同じである。抽象的な理由づけをもって、自殺の理由としていて、これもまったくハラが立つ。そんなもんではない。ハラワタが煮えくりかえる。
「失楽園」も、また美人で、世間の荒波に翻弄されることもなく、「debuでbusuで誰にもモテない」とか「三流大学ですら合格できない」とか「家庭内暴力で育って」というような環境に無いのである。
しかも、失楽園の方の女性はちゃんとした家庭まで持っている。それを、つまりは家庭を・結婚をどうやって否定するのかと思って、読み進めてみたのである。かつて。そうしたら、まことに身勝手。自分のご都合主義であった。必然性のまったくない台詞が臭すぎる。肌のふれあいが愛だという台詞があったが、思わず吹き出してしまった。まるっきりコメディである。台詞が。これを大まじめに演技と自称している俳優たちがかわいそうになってしまったよん。ある意味予想はできたのであるが。
こっちも、流行の恋愛(不倫)至上主義である。愛とか恋とか、そんなに価値が高いものなのであろうか。あんな程度のものがなぜ愛になるのであろうか。なぜ疑問に思わないのであろうか。なんだか騙されているようであるという自己認識がなぜ無いのであろうか。次から次へと疑問がわき出てきて(*_*) マイッタ。それに、台詞が臭い。大いに臭い。小説も、映画も。
要するに、メシを食っていくのにたいして困らないから、こんな浮ついた生活をしていられるのである。
「ノルウェイの森」も「失楽園」もである。現実味がふっとんでいる。そして、なぜ最後が「死」なのであろうか。もっとも、「ノルウェイの森」のワタナベ君はなかなか死なないけれども。この男は、冒頭からかっこういい登場の仕方をしてくる。
「僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。・・・」と書かれているのである。
かっこうが良すぎる。まるでマンガである。飛行機と言っても、ビジネスクラスなら、こういう登場の仕方もいいだろうが。これがエコノミーだったら、笑ってしまうぜな。まったく。疲れ果てた「ワタナベ君」が、どんな顔をして飛行機に乗っておられるんだろうと思うと、ますます吹き出してしまうのである。
ハンブルク空港だって、場所の設定自体臭い。大いに匂ってくる。読んでいる方はそんな空港に行ったことがないだろうからという計算も見えてしまう。海外の空港だからかっこうがいいとは限らないからである。キタナイ空港だって世界にはいくらでもあるだろうに。私はあまり海外には行ったことが無いから、よく知らないのであるけれども。
なんだか、そういう生きること、永遠に生きていることが大前提でいいのかね?
そう思わないからこんな小説なんか書いていられるんだろうなぁと感じるのである。でも大儲けしたからいいのか。
どうせ人間は100%死ぬのである。それをなにもこの二人の小説のように、急いで死ぬ事はねぇだろうにと思うからである。そもそも小説設定自体に無理がある。上っ面の愛情悲劇だけを追いかけていれば、それでいいというのでは、私のような偏屈ジジイには受容出来ない。
私も相当ひどいジジイであるが、ここまでひどくはない。そう思っている。
ま、すべてどうでもいいような話ではある。
さ、これにて退散。もう過ぎ去ってしまったことがあまりも多くて、ジジイは退散するにかぎりますな。ただし、惚け防止のためには努力するけれども。
(・u・)>ベー