涙そうそう/ギター弾き語り・cover(老人ホームの夏祭りにて)★高1
KSC南箕輪老人ホーム 童謡・唱歌 ボランティアコンサート
2014年7月30日 老人ホームでボランティア その2 ゾンビーボール
ダンス・マツケンサンバ2(2012.12.9).老人ホームにて
ボランティア するより される方・・・・とは思いつつも、老人大学での課題として意識しています。
美容師が特別養護老人ホームをボランティア訪問〈常陸太田市〉茨城新聞ニュース(2015.9.9)
カントと、おバカキャラのミニスカオネーチャンが対談したら・・
哲学者カントというのはチョ~有名人である。
しかしながら、その著作群は、それこそ群を抜いて難しい。つまり、彼の哲学そのものが難しいから、出来ることならおつきあいしたくないというのが、正直なところである。
哲学なんて、こんな小難しいことをやらなくても、生きていけるではないか。世間智と、小心者の狡猾さと、テキトウに妥協しながら生きているのが、私のような庶民である。
確かに哲学は難しい。
哲学者の書いた論文なんか、何度読み返しても、アカン。理解できない。だからもう諦めてしまった。オノレのアタマの悪さにまたまた絶望してしまった。なに、若い時からである。
学部時代は、周囲の友人に哲学を専攻している男子が多かったから、彼らにおおいに触発されたのであるが。オノレの身になったものはあまりなかった。なぜなら、理解できなかったからである。
しかしである。
哲学は理解できなくても、哲学者のことは理解できるのである。そうなのである。両者は違うものであるからだ。哲学者をこちらの側に引き込んでしまって、私のレベルでもって読書体験をしていくと実におもしろい。
もっとも、そういうのは本流ではないというご指摘やご指導もあるだろう。しかしである。私は、そもそも本流を歩んだことはただの一度もない。ないから、気楽にやれる。読書である。文学とか、歴史とか、哲学もいっしょくたにして、それこそ同時並行で読む。
ま、病気してからはなかなか座って読書するっていう気取った行動をすることができなくなったけど。ちなみに、この記事も立ったまま打鍵しているし。健康のために。
わはははっはははっははっははは。
カントに戻る。
カントは結婚しなかった。
そのことを書いてみたいのである。
カントは生涯結婚しようとしなかったと私は思う。ましてや、表題にあげたような「おバカキャラのミニスカオネーチャン」なんかとの出会いも対談も絶体になかったであろうし。もっともミニスカオネーチャンなんかいなかったか。1700年代には。
研究者の中には、違う、カントは「二度恋愛し、二度結婚しようと思った」と言われる方もある。(ボロウスキー)
身持ちの堅い哲学者であったことは間違いないだろう。この辺りは私もそうだ(え?・・・)。
なにしろ、まったく決まった時間に歩いていた御仁である。帰宅して、決まった道筋を決まった時間に散歩した。あまりに時間が正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したと言われる。
こういう人である。
だから好きなのだ、私は。とてもそんな風にはできないからである。真似たいけど、できない御仁というのは世の中にごまんとおられるが、カントがその筆頭であろう。
教師としても、かなり優秀であったらしい。なにしろお会いしたことがなかったので書かれているものから知るしかないけど。
で、WIKIには「カントはケーニヒスベルク大学の哲学教授となったが、その授業の様子を、当時の弟子のひとりであるヘルダーが伝えている。ヘルダーによれば、カントの講義は精彩に富み魅力あるものであった。カントはいきいきと語る熱心な教師であった。カントが旺盛な知的好奇心を持ち、その話題が豊かであったことからも、教師としてのカントの姿が彷彿とされる。」と、教育者カントのことが書かれている。
これがホントだとしたら、私は絶体真似したい。
「旺盛な知的好奇心を持ち、その話題が豊かであった」という部分である。
生涯学習の理想ではないか。
じいちゃんになったからと言って、なにも消極的に生きている必要もないからだ。話題も豊かな方が、おおいに結構である。ただし、説教は良く無い。黙っているにかぎる。後輩とか、年少者に対して不満に思うことがあっても、そんなこたぁクチに出してはならない。
ただの意地悪ジジイでしかない。
文句を言いたくてもじっと我慢しているのが一番である。これが生き延びるコツでござんすよん。マジに。
あ、カントであった、カント。元に戻ります。
結婚しなかったカントということで書き始めたのであった。思い出した。
それで言いたいことが「生涯恋愛しなくてもなんら不思議なことはない」ということである。そもそも結婚の前提として、恋愛があるっていうのが、私は不満なのである。
?
なんでか。
青年時代は、恋愛に没頭していく時代であると信じて疑わない御仁がいるから気にくわないのである。またまたあるいは、フロイトのような性的な精神分析をもってして、安易に他人のこころを分析して一人悦に入っている御仁もいる。
精神分析家が嫌いなんである。アタシャ。四年前、京都龍谷大学で行われた仏教心理学会で私が研究発表をした時の夜に打ち上げがあった。アタシはその打ち上げの二次会でもって酩酊していたのだった。いい気持ちで酔っていたのである。そしたら、自称・他称精神分析家も同席されて、アタシャいとも簡単に精神分析をされてしまったのである。
あれはハラが立った。それでもって、すぐ西本願寺の側にあるホテル(東横イン)に帰った記憶がある。
ま、そんなことよりカントである。
カントの女性についての指摘にこんなのがある。
「女性は弱いがゆえに狡猾である」
「女性の方が強いのは、弱いからである」
「理性的な人間なら女らしさこそ、男性を操ってこれを自分の意のままに使用する起重機であることをよく知っている」
どうだろうか?
「起重機である」とまでカントは書いている。愉快である。まさにそのとおりではないか。大笑いである。男は、つり上げられてしまった餌でしかないからである。こんなに男の惨めさを表現している文章はない。だから恋愛でもって男は騙されるのである。
女性は、一見すると愛らしい。恋愛をするとそう感じてしまうのであろう。愛らしいと思う男はバカである。経験上。そうではありませんか?・・・そちらの彼氏や、あっちの旦那さま。
しかし、女性の愛らしさのウラには「したたかさ」も含まれているのである。
そういうことをカント先生は書かれているのである。人間に関するあらゆることをカント先生は知っておられるとまで、私は尊敬申し上げている。
あれ・・・・・・なにを血迷ったか、もうとっくに予定字数をかなりオーバーしている。これ以上書いていると、おバカキャラのミニスカオネーチャンに叱られるからなぁ~。
(・u・)>ベー
やはりこっちのと~ま君ジジイも、女性からは逃れられないようでございますよん。
そろそろコレにて退散いたしまひょ。
2960字も書いちゃったから。
(;_;)/~~~
【高知・いざなぎ流】香美市物部の民間信仰。家や氏神を祀る「神祭り」「病人祈祷」神憑りして占う「祈祷」、山の神や水神を鎮める「鎮め」の4種の儀式を太夫が担う。神の依代となる御幣には決められた形が500種あり、御幣には目や口が作られる。 pic.twitter.com/RlRXniWYvs
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ゴジラが破壊しているのは、私たちの心の上に体積していく有の沈殿物であり、私たちはくり返し死んで、ふたたび肯定する力とともによみがえるために、ゴジラの出現を迎えてきたのだとも言える。ゴジラは、日本人の抱く生存の理念に、すばらしい造形を与えたものなのだ。~「ゴジラ対Godzilla」
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日々気晴らしにバイトをさせていただきながら・・・と言っても週に数時間だけだけど goo.gl/osJMIJ
「超勉強法(実践編)」に書いてあったこと。
それは、「英語以外は、これでいいのだ」というふことなり。
ちょっと気が楽になったけど。
どうしてもマスターしなくちゃと思って... goo.gl/v2l1IR
ドイツ観念論哲学の父カント はじめに 観念論の3つのタイプ
カントと人間の自由の形而上学的問題 - ヴォルフガング・エアトル
夫婦(47):カント:コペルニクス的転回 ~ 竹下雅敏 講演映像