三内丸山遺跡1994
(この動画は、NHKとは関係ありません)
今日は、老人大学登校日。講師は、私が末席を汚している郷土史の会大先輩のM先生。郷土史の講義をお聞きする。これまたタノシミ。
昨日もNHKの録画を見ていた。「NHKスペシャル アジア巨大遺跡第4集 縄文・奇跡の大集落~1万年持続の秘密~」が2015年11月8日(日)NHK総合 21時放送であった。
録画しておけばいつでも見られるから、気楽に見ていた。で、その録画を昨日見たのである。暇だから(いつも暇だけど)。
そしたら、驚いた、驚いた。縄文文化が約一万年以上も続いていたとNHKは言っていた。当然、現在の我々が生きている文化は、弥生文化の後継であるから、我々よりも遙か以前から連綿として続いているということになる。それに驚いてしまったのである。中国文化よりも古いことになるのだそうな。
ま、遺跡そのものは、そんな期間は継続していないけれども、それにしても古い。日本書紀や、古事記はそれよりもずっと新しいわけであるから、なんという歴史であろうか。そう思った。こりゃ歴史について「も」、素人だけれども、これまでの認識を改めなくちゃならんと正直思ったわけで。
さて、三内丸山遺跡の公式HPから概略を引用してみよう。↓
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/main.html
「三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。 平成4年からの発掘調査で、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかりました。 また、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えました。 平成12年11月には国特別史跡に指定されました。」
以上である。
NHKが面白かったのは、食糧問題に絞って放送していたことである。これは目から鱗であった。稲作文化がなかった縄文時代にあって、縄文人は栗や、どんぐりなどの豊かな森林資源を活用していたという視点から放送していたことである。ここが楽しい目の付けどころであった。
縄文時代に行われていた狩猟採集文化は、貧しく、未開文化の匂いがするっていう感覚でいたからである。もしかしたら、言語文化もなかったかもしれないとも思っていた。
なんだか、今までのデタラメな知ったかぶりが大いに訂正されたような気がしている。
土器にしたって、あの文様に意味があるのかも知れないと紹介していた。ニューギニアに縄文土器の文様と似たようなものがあって、大学教授が研究中だとのことである。それぞれの文様の意味についてである。
タノシミな御研究である。まとまったら、資料を入手したいと思った。マジに。さっそくどっかの博物館もチェックしていこうと思っている。
さらにある。
それは主食であった栗の実を採取するために、計画的な植樹をしていたというNHKの指摘である。いわば、森を破壊しない上に、環境循環型社会を実現していたという点である。
そもそも農耕社会は、自然を破壊することから始まる。当然であろう。稲作は、森林の伐採から始まるからである。森を切り開き、田畑にしてからでないと何にも始まらない。それから水路を切り開き、稲作を始める。そしてその稲は、富のもととなっていく。富を蓄積した一部権力者も発生する。そして部族を形成していく。権力は、社会を構成していって、さらに他部族との合併や侵略をしながら、自称文化を形成していくわけである。
そういう営みをしながら、我々の祖先は生きてきたわけだ。自然破壊をしながらである。
結局すべてが、森の中にある。農耕文化もまた、森との戦いであった。
だが、縄文人は、森と対峙しなかった。森を利用して、あるいはその恵みをいただいて、生命を維持していた。それに驚いたのである。そういう視点から考えてみたこともなかったからである。
だから、弥生人に負けたということにもなるのかもしれないが、ある意味、現代人のユートピアが縄文文化にはあったのではあるまいか。ふと、そう思ったのである。
環境について発信する方々は多い。環境というと誰も反対できない。環境を守ることは実に大切である。しかしながら、そもそも農耕文化すら、環境破壊をして現在があるとなると、ちょっと今までの考えを改めなくてはならないと思う。
こんなことを考えるのは、もしかしたら私だけかもしれないけど。それでもいいんだ、いいんだ。
縄文文化は東北に残っているというのも面白い。なぜなんだろうか。日本はやはり弥生人に征服されたのであろうか。鉄器と、武器と、稲作文化を持った先進型の人種に。
わからないことばかりである。
勉強不足ですなぁ~。
まったくそう思う。
縄文文化が、我々の先祖の土着信仰にもいろいろと影響を与えているという指摘も読んだことがあるし。それが、房総の地にはいくらでもあるからだ。さらに、故郷のみちのく(奥州)にも。
これからタノシミである。
また興味関心が拡大したからである。
今日は、老人大学登校日である。講師は、私の関係している郷土史の会から来られる。大先輩のM先生である。郷土史の講義をお聞きする。これまたタノシミ。
さ、これにて退場します。
また!