能楽大連吟2013 百万遍智恩寺
喪中のはがきをいただいて、亡父と亡母を思い出してしまったよ
喪中につき年賀の挨拶を・・・・というはがきをいただくようになった。
こういう時期である。しょうがないと言えば、しょうがない時期でもある。そして、そうなのか、あの人も喪中なのかと思う。そして、死のことを考えるのである。知人とか、友人であっても、喪中は他人のこと。葬式に行ったのならわかっているけど、死は他人のことである。自分の死ではない。もっとも、自分が死んじまったら、こんなアホブログなんか書けない。書いている場合ではない。天国のおつきあいで忙しいだろうからである。
しかしである。喪中の季節になると、そういうことをよく考えてしまうのである。
厳しい生き方をされた方もおられるだろう。あるいは、逆に楽しく一生を終えられた方もあるだろう。またまたあるいは、旅から旅へと一生涯を趣味で過ごされた方もあるだろうといろいろと想像するのである。
人それぞれである。人それぞれ。だから人生は楽しい。現役の大学院生時代(この3月まで)は、それこそいろいろな国から留学してきた方々とクラスメイトであったから、その人それぞれというのが実感できたっけ。いろいろな人生があるんだろうなぁと思ったのだ。まことにまことに、すばらしい秀才ばかりであったから、ジジイになってからの現役大学院生活もいいもんじゃと思っていたのであった。ま、もう終わったけどね。それに、やはりどんなに考えてみても、異端児ならぬ異端爺であったことは否定できないことであった。迷惑だけの存在であったのだろうなと思うと、大学関係者にはまことに申し訳なかったと思っている。可能ならば、退学した大学の広報でもやって、恩返しをしたかったのであるが、それもできない。当然である。ご縁がなかったのであるから。
でも、まだまだ生涯学習の源流は断ち切れない。老人大学の後に、なにかやろうと思っているのである。老人大学は、あと一年ある。その後である。その後またまた新たな展開が待っているような気がするのである。タブン。健康ならである。
おそらく、私のことである。性懲りもなく、新しいことを始めるのであろう。
老人大学で陶芸の勉強をするかもしれない。あるいは、園芸の勉強をするかもしれない。そういうカリキュラムもあるからである。それに実に安価である。学費が。陶芸で5万。園芸で3万。それぞれ一年間の学費である。
さらにある。放送大学である。こっちもかなり調べ始めている。そうなのである。生涯学習に興味を持ったのは、放送大学がきっかけであるからだ。放送大学の隣にある千葉県の出先機関に勤務していたからである。そこで放送大学を意識し始めたのである。現役時代に、放送大学大学院で科目選科生として、教育学を学んだ経験があった。それでのめり込んでしまったのである。いい経験であった。こういう形式で勉強できるというのは新たな発見であったからである。
放送大学からは、武蔵野大学大学院で人間学というのをやった。むろん現役時代であるから、通信教育課程である。やっとこすっとこ修士をとらせていただいたが、これもまた生涯学習にのめり込んだきっかけであった。ありがたいもんである。
それから退学した大学院である。退学してから老人大学に在籍している。今はである。
だから常になにかをやっていないと、しょうがない性格のようなのである。暇だからと言って、完全にリタイアできないのである。
暇なら暇で、常になにかを見つけようとしているのである。そういう性分なのである。貧乏性である。お笑いくだされませ。わははっはははっははははっは(自分で笑ってどうする)。
ま、年金暮らしのしがないジジイである。ゼータクもできねぇ。やる気もねぇ。そんなことより、生きる気力を持っていきたい。
そして、こういうジジイになった理由を知りたい。マジである。人間の心理というもんがどうなっているんだ?と思うからでアル。つまり、自分がよくわからないからである。
変わりモンだから、どうしようもないじゃねぇだろうというくくり方もあるだろう。確かに変わりモンであるのかもしれない。しかしである。他人が言うほど、オレは変わりモンではないという自覚もあるのである。オレは、もしかしたらかなりマトモで、実に堅実なジジイかもしれないと、密かに思っている部分もあるのだ。もっとも私のことを知っている方々は、大笑いされるだろうけどね。
(・u・)>ベー
死んでしまった亡父と亡母は、こんなジジイになった私を嘆いているだろうと思う。あんなにかわいかった赤ん坊の私が、こんな腐れ果てたジジイになってまだ生きているのである。しかも共同体になんの恩恵もないジジイになりはてているのである。少しは(_ _ )/ハンセイでもしてみよ!と草場の陰から亡父・亡母がにらみつけているような気がしてならない。私が三十歳の時に父が亡くなった。三十四歳の時に母が亡くなった。早かった。
生きていれば、父が九十二歳、母が九十三歳である。もう無理だったろうけど。
喪中のはがきをいただいて、そんなことを思ったのである。今日は。
さ、今日はヨルバイトの学習塾がある。それまで、図書館に行って教材研究でもしてくるか。どうせ暇だし。
(@^^)/~~~
Retweeted 中村天風 (@NakamuraTenpu):
心臓が動いている。手をやってみると、すぐわかる。
その、何も知らないでいて、
自分で自分の生命をまもるという意識、感覚のないときに、... fb.me/2mTqZ98tZ
約40億年後には隣のアンドロメダ銀河がわたくしたちの天の川銀河に突入してきて、地球から見える星空はこのように引っ掻き回されるらしいですのよ。(写真は合成です)pic.twitter.com/ga9CVfqvYL (© NASA/ESA/STScI/A. Mellinger)
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CiNii 論文?-? 西行と慈円(最終講義,大隅和雄教授退職記念) ci.nii.ac.jp/naid/110006607… #CiNii
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CiNii 論文 - 西行と慈円(最終講義,大隅和雄教授退職記念) ci.nii.ac.jp/naid/110006607… #CiNii fb.me/7MolAtKh3
金峯山寺蔵王権現立像:奈良県吉野山の修験道寺院で開基は役行者である。この地は古来桜の名所として知られ、南北朝期には南朝の中心地として発展した。蔵王権現は日本独自の混淆宗教・修験道の本尊で、究極不滅の真理を体現する全能の王である。pic.twitter.com/QaEivmRqHM
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老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。老年が食物として必要なのは「知恵」である。
そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。
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老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。老年が食物として必要なのは「知恵」である。
そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。
坂本弁護士の母の意見陳述に涙が止まらなかった - トピックス|Infoseekニュース news.infoseek.co.jp/topics/2015110…
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イカの中では、脳をこえた知性が働いていて、その知性は地球的な規模の自然のネットワークにつながっているために、めったなことでは間違いをしでかさないのだ。私たちの中にも、そういう「イカ的なもの」が働いていると考えると、自然界における人間の孤独感は、いくぶん癒されるのではないだろうか。
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【静岡・ぬえばらい祭り】<1月28日>頭が猿、胴は虎、尾は蛇という妖怪「鵺(ぬえ)」を源頼政が退治した古事にちなんだ祭り。新年の厄除け祈願。鵺の着ぐるみを着た地元中学生によって寸劇や鵺踊りが披露され、餅まきが行われる。 pic.twitter.com/ObQUqb0Wj4
一九五〇年生まれですが、よかったと思うのは、子供の頃に「十九世紀の人たち」がまわりにいっぱいいたんです。(中略)十九世紀の人たちが知っていた世界に触れて、自分のなかに取り入れることができた。~『日本の文脈』
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額安寺不動明王像:奈良県所在。玉眼(仏像の目をより本物らしくみせるために水晶の板をはめ込む技法)が施してあり、その眼力から憤怒の様相が伺える。瑟瑟座に座し、荒々しさを感じさせる。pic.twitter.com/omIeILxwwX
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バルトークという知性の中で、音楽というピュシスの可能態は、自分の全体性をとりもどそうとした。それを実現するために、この知性をハンガリーに産み落とし、西欧に失われた五音音階システムの世界の、すぐ間近で成長させた。~「バルトークにかえれ」
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自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結び付く発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。
Retweeted アドラー心理学を学ぶ (@kirawareruyuuk1):
自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。これは優越コンプレックスにも結び付く発想であり、自らに嘘をつく生き方であるともいえます。
心臓が動いている。手をやってみると、すぐわかる。
その、何も知らないでいて、
自分で自分の生命をまもるという意識、感覚のないときに、
生きているその命は、あれは何の力でしょう。
考えたことがあるかな。これがないんですよ… bit.ly/15Yqa5y