順調、順調・・・一年前には死にそうになっていたのがウソのようだが。
今日はこれから35日毎にある再検査の日である。いそいそと出かけてくる。なにしろ東洋一の巨大病院で、設備もドクターもかなり優秀である。もともとは市営の病院なんだが、先日市報が新聞と一緒に配達されてきたときには、市の予算と巨大病院の予算が匹敵していた。しかも、病院だけで純収入が21億もあると書かれていた。したがって、この市に住んでいるとおむつは無料だし、人間ドックも六万円の補助が出て、お得感はかなりなものである。アリガタヤ、アリガタヤである。マジに。
で、今朝の体重が64.4キログラム。血圧が、122である。かなり順調に推移している。この数値だけだと、一年前にICUまで入って死にそうになっていたというのを信じてもらえないだろうと思う。そうだろうな、まったくそうだろう。しかし、入院してから私は大幅に人生を変えたし、考え方も変わった。そうなのである。「明日の夢のために、今日を犠牲にする必要はない」と思い始めたんだよ~ん。病気になって、還暦過ぎた現役大学生(院生)なんていうまことにもって「喜劇的な生き方」を変更したのだ。現役大学生であったから、周囲には美人ばかりのクラスメイトたちがいて実に楽しかったけどね。もう二度と経験できない我が老人のバカ青春時代(老年時代か)である。
わははっははははっはははははは。
しかし、大事なのは「今」である。今日という「今」である。
具体的には、受験勉強なんかがそうだろう。明日の夢実現のために、今日という今を犠牲にして、あげくの果てに受験に失敗して自殺したら、それこそもったいない。オノレの命をお受験なんかに捧げてはアカンのでっせ。人間には、もっとやれること、やんなきゃいけないことがそれこそギョウサンあるんでっせ。
このことについは、いろいろと反対意見もあるだろうが、アタシャそう思う事にしている。
だって未来永劫続く「いのち」はないからである。いつまでも生きていられるわけはない。しかも、宇宙のおおいなる時間の流れから見たら、人間の一生なんてあっというまである。
オラが死んだら・・・・という前提でもって家族にも話をすることがあるが、たいていは冗談だと思って聞いている(らしい)。そんなことはあるめぇという案配である。もうすぐ死んじまうかもしれないとマジに思っているのは、古女房ドノだけかもしれないけど(^w^)。
そうなのである。いつまでも生きていられるわけがないから、次世代への警告をしているつもりだからだ。こっちは。それくらいな配慮は、いくらアフォ~なアタシでもできるからだ。
でもわかっちゃくれないなぁ~と慨嘆している。
未来は永遠ではないのに、明日のために今日を犠牲にしてはならない。今日一日をつまらんことに浪費して、なんだか知らないがくだらないことをクッチャベッテいちゃぁもったいない。時間が。近所のこと、職場のこと、アタシのようなアルバイトをしている場合にはアルバイト先のこと、あるいは生涯学習ごっこでいちいち論文にケチをつけられたことをグチとして言っていたら身が持たん。マジにである。そんなくだらないことは、手軽に考えていればいいだけである。なにもかにも全部死んだらおしめぇである。ぜ~んぶである。ぜんぶ(全部)。
そもそもこの世はかりそめである。幻想である。夢まぼろしである。
かの秀吉ですら言ったではないか。浪速のことは夢のまた夢なんである。
もちろん、秀吉と比較する方がおかしいのはわかっている。私は、なんの成果もあげられなかったし、ただの一般庶民である。ジジイである。
それでも、こうやって日々を年金暮らしさせていただいている。そういうことがありがたくてならぬのだ。こころの底から感謝している。そして、「今日という今」を大切にして生きている。明日はどうなるかまったくわからないからである。だから、銀行がカネも貸してくれないわけである。当たり前である。明日死ぬかも知れないバカジジイにローンを組んでくれるわけもない。担保する収入もない。ナイナイづくしである。もっとも、私はローンが大嫌いであるから、これまでも銀行とのおつきあいはしてこなかったけど。借金が大嫌いであるからだ。商売向きではないのだ。そんなことは百も承知である。向かないことには見向きもしないことである。それが一番安全である。
羽振りが良くても、たいていは借金まみれである。そのことはこっちがよく知っている。それに、その羽振りだって、永遠に続くわけではない。栄枯盛衰とはよくぞ言ったり。まさにそのとおりである。
今現在我が世の頂点にいると自慢しても、いつ転落するかわかったもんではない。
大学然り、高校然り、会社然りである。大学だって、先日まで偽学位を発行したとかなんとかとか四苦八苦している大学(しかも超一流の)もあったではないか。これを他山の石とすることである。会社だって、T会社のように、粉飾決算で低迷してしまったのもある。
田舎にあっては、さらに現実が厳しい。田舎の会社の社長と言っても、都会の一流銀行役職者にかなわないのである。収入が。全部が全部そうだとは言い切れないけれども。
そういう栄枯盛衰というものを、しっかりと見据えて生きていくべきであろうと思う。
ま、これからますます枯れる一方だけど。こっちのジジイは。
今日も塾がある。
明日は、大都会千葉市に行く。パルコの隣にある千葉市文化センターというところで、会議がある。午前10時からである。午後は、文化講座と古文書講座(伊勢物語)がある。役をいただいているので、受付とか、諸事万端雑務をこなす。これもまた私の喜びである。
さ、それでは病院に行ってまいります。
立ったまま打鍵しているので、足に来てますから(^w^)。
これにて・・・・サラバ。