うんざりするんだけど。しかし、なにを言っても書いても詮方なし。どうせ、惚け老人の世迷い言であるから。
紋切り型の挨拶というのがある。聞かされているとイヤになる。いろいろな会合に出るけれど、うんざりすることが多いからである。もうそういう機会もあまり無くなってしまったが。
しかしである。そういう会合に社会的上位者が列席していると、いつも聞かされる。壇上からなんだかわけのわからない話をしている。なかには、おもしろいことを言われる社会的上位者の方もおられるが。めったにいないけど。
つまんないことこの上ない。それで、最近行った古本チェーンで「冠婚葬祭 短い挨拶集」とかなんとかというホンが260円で売っていたから、大笑いしていた。パラパラめくってみたが、むろん買わなかった。ゼニの無駄づかいであるからだった。こういうホンを必要としているのだったら、インターネットで十分である。ただし、そこに自分らしさを出したければ、専門のホンを漁るしかない。業界に十分対応できるような話ができるかできないかということが、その人の(社会的上位者)の価値を高めるというものだ。
で、あるときに地域新聞を図書館で見ていたことがある。その新聞は、私の居住地の隣市にあって時々入学式や卒業式のことを紹介してくれる。学校のである。高校が中心だが、その組織のトップの挨拶を取り上げてくれるのである(たまに大学もある)。楽しみで読むことにしている。後輩たちがどんな風に挨拶しているのかということは、かなりの関心事であるからである。マジに。
評価は避けよう。失礼になる可能性があるからである。
もっとも、紋切り型であるかどうかということはチェックしている。誰でも言えるような挨拶ではしょうもないからである。巧妙に計算された挨拶者の意図が見えてくるほど好ましいからである。
そういう意味で、福沢諭吉とかの挨拶はなかなかである。面白いのである。さらに漱石もそうだ。漱石の方は、挨拶というのはあまり無いが、講演記録なんか実に楽しい。目のつけどころが違っているからである。
トップの責任というのは、そういう情報発信をどうやってやるかということであろう。会社然り。学校然り。あらゆる組織然り。今、くい打ちでもって、問題となっている会社も対応に問題がある。情報発信という意味では。もっとも、発信できるだけの下準備が無いということであろうか。よくわかんないけど。
それよりも、この情報発信ということでもって、エラク発展したのが慶應大学であると前々から注目していたのである。時事新報という新聞を経営して、学校広告を同時に載せて、発展したのが福沢諭吉の慶應大学である。ここにずっと注目していた。創立者がジャーナリストで、日本を代表するような思想家で、社会を牽引していく重要人物であったから、彼の経営する大学は発展したのである。当然である。
今ならICT技術を応用していけばいい。しかしである。中身があるのかどうか。問題はこれである。これ。トップの情報発信といっても、中身が紋切り型で誰でも書けるような内容ではいかがなものか。
いろいろとチャレンジしている方々もいる。そういう方を知っているから、こういうチャレンジは大切であると思うし、素直に応援しているのである。
ただし、もう一つ大事なことがある。
それは「社会的成功者の傲慢」ということである。
それも異端的成功者と自他共に認識している成功者ほど傲慢である。しかも、若い人と討論している番組を見るといい。楽しいからである。
成功者の成功と傲慢と説教を若い人たちは受容できないからである。
若い人は、私も経験があるが、説教ほど嫌いなものはない。さらに、傲慢な奴が大嫌いである。上から目線で言われるとアレルギーになる。当たり前である。
例えば、「学歴社会から真の実力社会へ」という若者との議論をする番組で印象的なシーンがあった。「学歴なんか関係ない」とか「だから自分に実力をつけよう」とか「努力すれば私のようになる」とか、そういうことを言えば言うほど、聞く耳を持たなくなるのが見えてくるのだ。
印象的だったのは、「東大卒なんか関係ない」「東大よりも、実力だ」「東大に拘ってはならない」ということを社会的成功者が言っていたときに、若いキンキラの金髪・ピアス女性が「アタシ、そんなの興味も関心もないモーン」と言ったときの、講師センセの対応が実におもしろかった。
つまり、東大・東大と拘っていたのは、社会的成功者であった講師の方であったのである。講師センセは、若いもんを励ましたかったんであろう。しかし、これはまったく逆効果であった。抵抗されてしまったわけである。もっとも、反逆している若者にも東大を意識している部分もあったのだが・・・。
励ましの仕方もいろいろある。それを工夫していかなくてはならない。それこそトップの責任である。そういう自覚を持っていっていただきたいと思う。これからの方々には。トップを目指している方々にもである。そういうことがわからないと、マニュアル主義に陥ることになるだろうからである。トップ失格である。
ま、なにを言っても書いても詮方なし。どうせ、惚け老人の世迷い言である。
そろそろ退散します。
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