行く年来る年もボキにはまったく関係なし。今この一瞬を尊いと思っているだけだから。生きていられるだけでありがたいもんである。
新年である。
しかし、過ぎた年もこれから来る(来た)年も、関心がなくなった。過去も未来もなくなってしまった。ボキには、今のこの一瞬だけが尊い。
新年を迎えてなにかの目標を立てて、成果を求めて一心不乱に努力するという人生スタイルをこれまではとってきた。でも、もう関係ないのである。そんなもんは、自分のこころの中に無いからである。時間がすべてを解決してしまった。
要するに、不要のものとなりはてたからである。意味がないのである。だから過去とは縁を切ってしまって、生きているのである。仕事もである。仕事のことを考えることもなくなってしまった。思い出しもしない。それでいいのである。現役世代にご迷惑がかかる。彼方此方と出没していたら。
未来もない。未来なんて、これからどうなるもんではない。やがて死んでいくのである。しかも100%である。間違いない。ましてや、バラ色の夢を見て、なんかになってやろうとか思わない方がいいと気がついたから慎重に生きているのじゃ。病気にならず、生きられるだけ生きてみたいと思っているだけである。
第二の人生なんてあるわけない。第二の人生というのならば、「今この一瞬」が第二の人生そのものである。
だから、「今この一瞬」が最大の関心事となった。考えてみれば、この一瞬の中に過去も未来も一切が含まれていたのであった。
過去にだけとらわれるから前へ進めないのである。未来だけを夢見て今を生きていないから空転するのである。
昨日どうだったっけ?ではない、明日どうなるか?でもない。確かに、昨日も悪業三昧の時間つぶしをやっていた。紅白も見ていたが、飽きてしまって途中で寝た。孫より先に寝てしまった。あんなもん、見ていたってどうなるものではない。紅が勝ったか白が勝ったかなんてぇことは、おもしろくもなんともない。ましてや、若い世代の歌手ばかり出てて、興味がわかない。しかも、全部同じような化粧ばかりで誰が誰だか判明しない。そもそも名前を知らないのであるから話にならないとはこのことである。
途中まで見ていた紅白の歌手達も、今この一瞬をどう生きたかで収入も芸能界の位置づけも決まるのだろう。
ご苦労様である。
昨日の続きが今日である。
今日の続きが明日である。
時間は連続している。
九十九里浜から上ってくる太陽も、毎日同じように上ってくる。でも、今日だけは初日の出という。初日の出は、まさに「今この瞬間」のことである。だからありがたいのである。
ボキも、浜まで行ってくるか。
動画でも撮ってくるつもりである。
良寛さんのように、一本の線香をみながら思いにふけってみたいけど、ボキごときではそれも無理だろうから(^0^)。
草庵雪夜作
回首七十有余年
人間是非飽看破
往来跡幽深夜雪
一本線香古匆下
草庵に雪の降り積もる夜に作った詩
七十数年の人生をひとり静かに振り返ってみると、
我利我利亡者(がりがりもうじゃ)と化した人間の善悪を見極めて本質の判断を下すのに、もう飽きてしまった
深夜まで降り積もる雪で、行き来する足跡がわたしの人生のように次第に消えようとしている
そして、古びた窓のそばで、一本の線香がわたしの命と重なるかのように、揺らめきながら燃え尽きようとしている