なかなか出来ない体験・・・一つは文芸賞の審査員+まだまだジイジの家にお泊まりしたいという2歳の孫のおねだりに涙してしまったよん
朝9時30分からずっと県立図書館にいた。終わったのは午後4時近く。あさひ・いいおか文芸賞の審査員をさせていただいていた。白坂道子女史の朗読もあった。さすが聞き応えがある。プロとは、こうしたものである。
シングの研究でもこの文芸賞に関わっている高橋順子女史は有名であるから、なおのことボキは興味があった。一度行ってみたいのである。アイルランドに。司馬遼太郎が「街道をゆく」で扱っているからなおのことである。海岸線が、サミシイのだそうな。九十九里の北端である屏風ヶ浦と似ているのだそうな。今年、思い切って行って見るか。アイルランドに。あまり英国文化圏は好きとは言えないのであるが。
しかし、今日はなかなかできない体験をさせていただいたから感謝している。もうこんなこと二度と体験できないだろうから。
で、周囲の方々がボキを**センセと呼ぶので、ボキは「老人大学の生徒ですから、センセなんて呼ばないでくださいませ」とお願いしていた。そしたらおもいきし笑われてしまったよん。
そんな権威主義のかたまりみたいに言われると、背中が痒くなっちまうからだ。
ボキはただのジジイである。見た目も中身もジジイまっしぐらである。若かりしころは、カミの毛も剛毛でフサフサだった(^0^)。今は・・・・もうハゲていて見る影もない。運動をしても、いきいきとしていたのに、今はフラフラである。ペンペン草が生えているだけである。
あれから半世紀たったのである。ジジイになるわけである。
今朝、孫が帰ってしまった。
2歳の男児の方が、玄関までボキを見送ってくれた。県立図書館にでかけようとしていたからである。しかも、珍しく最近は着たことのないスーツを着ていたから、2歳の孫が泣き出してしまった。
さらに「**は家に帰らない」(長女のアパートに)とのたもうたのである。婿ドノにだっこされながら。「ジージの家にまだいる」「お泊まりする」とも言っている。
(*_*) マイッタね。ボキも別れたくなかったからである。思わず2歳の孫のほっぺたに(^_^)ε^ )とやっちまったのじゃ。
実にかわゆいもんである。こんなんじゃ、ジジイはどこにも出かけられないではないか。
でも思った。
この2歳の孫が40歳の中年になったら、ボキはもうこの世にいないではないか。
後40年も生きたら・・・・・・・・無理じゃなぁ。
結局、100%死ぬからである。だれでも。ボキも、あーたも。どんな美人でも、結局死ぬ。絶体的真理である。
そうするとだ。逆算して生きていることになるのじゃ。孫の成長と、ボキの死ぬ時期とは完全に真逆じゃよん。
だから、あせることはない。
カウントダウンである。死刑執行まで生きているだけである。
うううううううううううううむ。
沈黙しているしかないですなぁ。
孫と過ごした二週間である。
貴重な思い出でありましたよん。ありがとうねぇと言いたいくらいである。孫に。
Bye-bye!