峠のあった旅は風情が・・・・
旅が好きである。
それこそ、毎日が日曜日だからヒマである。ヒマであるから、ついふらふらと出かけたくなる。しかし、年金暮らしだからカネがない。カネがなければ、当然行くところは狭められる。致し方ないことである。
それでも圧倒的に日本国内が好きである。行ったことのない場所がいろいろあるから、またまた出かけたくなる。
大型オートバイでの旅を好んだのも、このふらふらと出かけたくなるという病気である。ナビなんてぇものはナカッタし、オートバイにそんなもんを積んで出かけるなんてことは、プライドが許さなかった(^0^)。
このボキが、Gパンをはいてブーツを着用していたのである。手袋もむろん皮である。軍手ではない。
今は、あまりにも便利になってしまって、旅に味わいがない。
漱石だって、京都に何度か行っているが、京都旅行も大旅行だった。なにしろ一昼夜かかってやっと京都に着いたのである。だから、作品が新鮮である。今と違う。新幹線があるから、味も素っ気もない。つまんねぇのだ。要するに。
京都はそれでも、ボキを魅了する。着いたらたちまちである。あああああああああああああ、江戸とは違うと思うのだ。成り上がりモンの江戸と比較にならない。京都には、老舗の魅力があるではないか。
歴史的にも関西は面白い。まだまだ知らないことがたくさんある。なにしろ行ってみないとわからないことがたくさんあるのだ。
それに、房総の地は峠がない。平坦地である。大河に囲まれていて大きな島国にもなっている。北方には利根川があって、千葉市とかの大都会に行くと江戸と接している部分は大河でもって区分されている。標高は沖縄より低い。さらに九十九里浜から先は、アメリカである。あっちの土手には、そういう国があるのだ。
峠も、いまはなかなかない。全部トンネルを掘って、速度の速い電車を通してしまったのだ。これぞ味も素っ気もない。
福島市から米沢市に行く途中に、奥羽本線にそれこそ峠という駅がある。今でもある。スイッチバックで蒸気機関車がえっちらおっちら上って下っていた鉄路である。今でも駅はある。あるが、新幹線は停車しないのじゃ。素通りである。一日に何本か普通電車は止まるようだが、問題は峠駅で売っている「峠の力餅」が喰えないことになっているのじゃ。新幹線だと。
ボキの高校を作ってくださった名君上杉鷹山公も、峠を上り下りしながら参勤交代をされたと聞く。道は違っているのであるが。
そういう歴史的なものを全部捨て去ってしてまって、あまりにも便利な旅だけがはびこっているのじゃ。つまんねぇこと限りなし。
やはり、東京から米沢まで鈍行で10数時間かけて旅した方がいい。今では、東京から九十九里浜まで3時間近くかかるが、これは東京米沢間と一緒なのである。とてもじゃないが、ボキ、九十九里浜が東京と同じ関東にあるとは信じられないのである。なんでこんなに大都会東京が遠いのじゃと思うからだ。
便利にしてくれるんなら、まずは九十九里浜まで新幹線を通してくださいなと懇願してみたいくらいである。
能や歌舞伎を見るにも、東京まで大旅行になるからである。
もっともあれか。ゼニもカミの毛もないジジイでは、相手にされていないか。
わははっははっはははっははははは。
Bye-bye!