訃報連絡が来た。マイッタね。お世話になった方の死であった。奥様を亡くされてすぐであった。
喪中のはがきを出さなかった方から年賀状をいただいた。こちらから出さなかったのであるから、かえって申し訳ない。そう思ったから、昨日孫が昼寝しているあいだに、パソコンで作成した。喪中につき新年の挨拶を・・・・というはがきである。都合12枚になった。
そして、長男夫婦と孫と一緒に夜には食事をすることになっていたので、リビングでゆったりしていたのである。
ところが突然電話がなった。
訃報だった。ボキのお世話になった方である。ボキの以前勤めていた業界の大立て者であった。御年85歳。昨年奥様を亡くされ一人暮らしをされていた。奥様はガンであった。ご自分は脳腫瘍だったそうな。この正月の2日に亡くなっていた。
なんということであろうか。無常である。これ以上の無常はない。
それから忙しくなった。関係者数名に連絡することになったからである。ボキが一番年少者であるからだ。
故郷山形から集団就職列車のような鈍行で、この九十九里浜まで八時間もかけてやってきたバカな青年をあたたかく迎えてくれた方々のお一人である。今現在こうやって九十九里浜でなんとか生きていられるのも、お世話になった方々がおられたからである。そうなのである。この方々は、ボキが最初に赴任した九十九里浜の某中学校の重要メンバーであったのだ。ボキはその後中学校の世界では通用しなくて、高校の試験を受け直すことになるのだが。
なんどか拙ブログにも書いてきたが、ボキは退職した時の業界と、最初に就職した時の業界は次元が・世界が違っているのだ。つまり採用試験を二度受けたのである。
だから連絡網が二重にある。まったく大変であるが、これもまたありがたいことである。世間的にはしがらみというのだろうが、それもまた良し。なにもしがらみから逃げたわけではないからだ。
地縁・血縁・同窓会等々のご縁はまったく持ち合わせていないボキである。だからこそたとえ一瞬のおつきあいであっても大事にしたいと思っているのだ。
なんだか、見えてきたなぁと思った。これからのボキの生涯学習ごっこである。方向性がである。
もっとも老年学とか、死生学を核としてボキは修士(人間学)もとらせていただいた。生涯学習ごっこである。これもまたありがたいものである。仕事をしながらである。退職したその年にいただいたのである。二足のわらじが実ったのであった。だからそれなりに満足している。こうやって好き勝手にやらせていただいた退職前の上司に感謝している。二足のわらじ生活は、ボキにとってはそれなりに意味あるモノであったからだ。
ボキは、宗教を信じたこともなかったから、人の死について深く探求したことがない。西本願寺がやっている中央仏教学院に学んだこともあったが、初級課程を卒業しただけで、信仰がホンモノではないということに気がついてそれ以上の課程を学ぶことを避けてきた。
それでもなおかつボキは死について、学んでみたいというのがある。これがヒントかなぁ~~~とは思う。
ボキ自身も100%死ぬのだしなぁとも。
さ、今日からgym再開である。
塾も始まる。こっちは楽しみで行っている塾である。しかも専門外の英語数学までやらせていただいている。
順調なり。順調なり。
Bye-bye!