今日はこれから老人大学卒業旅行である。朝早いから、昨晩は早く寝てしまおうと思っていた。そしたら、孫から電話がきた。長女のスマホからである。あっと思った。やってくれるねぇと(^_^)。
スマホに出た。
最初は4歳の男児。はっきりとした声で、「ジイジ、お誕生日おめでとう」と言った。うれしかった。ああああ、ダンダン言葉が増えてくる。
次に2歳の方。男児。たどたどしい声で「じいじい おたんじょうび おめでとう」と言ったのである。脇に長女がいてサジェストしているのは聞こえてきたが、これまたうれしかった。内容は一緒だが、響きが違う。じじじいとジイジの違いである。なかなかしゃべれないのが、やっと言っているのが「じいじい」。スラスラと自分の意志で言っているのが「ジイジ」。
そんなに違わないではないかとご指摘を受けそうだが、そうではない。
受け取る爺たるボキの方が、違うのである。
わはははっははっはははっはははっはは。
感受性豊かだから。
佐伯泰英の時代劇小説「居眠り磐音江戸双紙」シリーズに、主人公坂崎磐音の子ども空也がいる。今、ちょうど2歳になって高野山から江戸に帰ってきたところにさしかかっている。なにしろ長編小説である。文庫で50巻ある。その38巻辺りを昨日は読んでいたのである。主人公坂崎磐音の奥さんであるおこんの父親どてらの金兵衛さんが、初めて自分の孫である空也に出会った場面が、昨日だったのである。
男は自分の孫に弱いものだと書いてあった。
どてらの金兵衛さんは、孫と初めて会ってメソメソと泣いてしまうのである。ああああああああああああと思った。なるほどである。作者の言うとおりである。
確かに弱い。自分の孫にである。こんなに愛おしいものはない。世界一である。バカだとかなんとかだと言われてもいい。かわいいものはかわいいのである。
ボキの生まれ変わりのような気持ちになってくるから、不思議である。輪廻転生はあり得ないと思ってきたが、この時ばかりはそれもありかなと思うから不思議なのだ。
勝手なものである。
さ、そろそろ出かけます。老人大学へ。片道45分の大旅行である(^_^)。実際はゲートボールをやってくるだけだけど。
(ToT)/~~~