どうせ消滅してしまうのである。ノープロブレムである(^0^)
三が日である。今日は一月の三日である。ただひたすら時間が流れていっている。
孫がいるから、毎日退屈しないだけである。それが唯一の生きがいみたいなもんである。他にすることもないしねぇ(^0^)。
しかし、新年早々こんなんでいいのかね?とは思う。思うケド、アルバイト以外に仕事もないしねぇ。年金暮らしだから、つつましく生活しているしかないし。
こうやってあるときふと気がついたら死んでいるんだろうなぁと思う。思うケド仕方なし。誰だって100%死んじゃうのであるから。
ボキは基本的に霊魂不滅説を信じていない。あの世の存在も信じない。ましてや、生まれ変わりというのはさらに信じられない。
太陽系が消滅したら、太陽もなくなるし、ましてや地球なんてそもそも存在できない。そうすると、なんだか宇宙のシステムというものが、我々を支配しているというような感覚になるのである。これは絶体的な真理であろうと思う。
いろいろなインド哲学にはそれが書いてあるような気がするのだが。まだインド哲学の初歩すら理解したわけではないから、エラそうに打鍵していたら笑われる。
そういう立場から考えていくと、ゴミ論文書きをしていたってそんなもんなんの意味があろうか?となってしまう。
すべては消滅してしまうのだから、すべての価値もまた消滅してしまうではないか。
でも、くだらない日常生活の中でたとえ一瞬でも楽しいことがあったらそれでいいのである。すべては消滅してしまうのだから、地球の上でたった今この瞬間を生きているというだけで感謝するしかないのである。
仕事なんかで、うだうだと文句ばかり言って反逆したりしていてもそんなもん何の意味もない。なかった。だから、バカバカしいことは言わないし、見ないし、聞かないことにしていた。
そうなのである。どうせ消滅してしまうんなら、バカバカしいことで時間の浪費をしていてはもったいないではないか。
死んだら宇宙の塵芥でもって、ボキは元素とかになってしまうだけである。一時流行った空中浮揚である(^0^)。
これもねぇ、二年前にまだ世俗の中で生きていて、畏れおおくも博士になりたいなんていう野望を持ってしまった時期には考えてもみなかったことである。あの時期に、ICUに入って良かったと思っている。死にかけたからである。ICUの隣近所のベッドには、死にかけた方々がたくさんいたからである。ボキはあれでまったく考えが変わってしまった。なにしろ、周囲が地獄のような状態になっていたからである。
俗世間のしがらみでもって、あれこれやっていたことがまったくバカバカしくなってしまった。
以来、ボキは実にシンプルに生きている。
つまんなければ、それでよし。
ノープロブレムである。
問題なしである。
どうせ消滅してしまうんだから。
そう思ったから、去年の十一月にIndia旅行に行ってしまったのである。
良い体験でしたよん。
Bye-bye!