と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

大げさに言うとですよ、近代的自我とヒューマニズムとの闘いですねぇ・・・・・・・ボキはそう思っているから

2017年01月20日 07時34分42秒 | とーま君の流儀2017

近代的自我というと、島崎藤村でもって初めて触れた気がする。否、そう教わった。学部時代にである。確かに、自我と時代性との関わりという点では文学もまた大きな役割を果たしてきたのだろう。文学というのは、そういう自我と時代性との闘いの場でもあったのだろうとは思う。

村上春樹もそうである。自我という問題と切っても切れない関係にある。つまり簡単に言えば、自分のことに非常に関心がある。もっと言えば、自分のことしか関心がない。男と女がつきあい、恋愛し、肉体関係を持つというのが、村上春樹の小説の特徴だけれども、ただそれだけである。たぶん、自他の視点がないのだろう、村上春樹には。自他共栄なんてぇことを言ったら、村上春樹には嘲笑されるだけであろう。

で、そんなんでいいのか・それだけでいいのかという疑問があるのだ。

村上春樹批判ではない。好きな作家だからこそ言いたいのである。

すべての基盤に自我があって、それを時代と闘うことによって、ヒューマニズムまで高めていくというのがどうも信じられなくなってきたからである。ヒューマニズムという金科玉条的な絶体反対できない価値観というものが、そんなに凄いことなのか?という疑念がわいてきたからである。

だから、自我を見つめてみたい、ヒューマニズムの、あるいは民主主義の欺瞞を考えてみたいと思うのである。

ボキのような中途半端なバカジジイだからこそ、やるべきことであると思っているのだ。マジに。それでこそこのプチ修行日記というカテゴリーが有効となるとも。


(ToT)/~~~

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ビジネスマンのための西田哲学入門 はじめに付録―ヒューマニズムの歴史

2017年01月20日 07時05分53秒 | とーま君の流儀2017
けっこう難しい話ですが、要するに、近代的自我というものとかかわってくる。だとすると、自分のことしか考えていないというものが見えてくる。テメェのことしか眼中にないってぇわけである。近代的自我なんて、他者理解には不要だともボキは思っているけど。言いすぎかな?それにしても、こんな動画をアップしてくださる方も貴重なお人ですよん。 



2014/08/29 に公開

西田哲学の意義付けで、西田哲学は現代ヒューマニズムの限界を克服するネオヒューマニズムの先駆けをなすと説明した。しかし現代ヒューマニズムやネオヒューマニズムについて基礎知識がない人にとっては全く話が通じないので、はじめにの付録として「ヒューマニズムの歴史」について概略的な説明をしておくことにした。
未開時代ーフェティシズム、
古代ギリシア・ローマー古典的ヒューマニズム、人間の限界に挑戦し、神に迫ろうとする。
中世ーヒューマニズムを否定し、神中心主義を掲げ、禁欲的で勤労を重んじる。
近世ルネサンスのヒューマニズムー欲望や能力は人間に神が与えたものだから、欲望を充足し、能力を全面的に開花させるのは神の創造を賛美することである。
近代ヒューマニズムー考える主体としての近代的な自我の確立、人格的自立と人権の確立、思考による自然の支配、科学技術の発展による産業革命と資本主義、人格的自由の発展と市民革命。
現代ヒューマニズムー人間が創りだした巨大な産業機構とそれを支える強大な国家権力によって、個人は無力化し、個性や主体性を喪失、人格の喪失を痛感した。これを人間自身が生み出した物によって支配される、人間の自己疎外、人間疎外として捉えたのである。
物の支配からの解放を目指し、主体性の回復を訴えた。この疎外された社会体制に対する異議申し立てに現代ヒューマニズムの特色があるが、1960年代末の世界的な学生叛乱が挫折したことで、現代ヒューマニズムは破綻したと言われる。
1970年代には構造主義が、個人の意識や行動は巨大な社会構造に包摂されているものであり、自由な人間や主体性は幻想だとし、人間の死・言語の支配を宣告した。
ポスト構造主義はそれに反発して構造から逃走しようとしたが、逃げるところは精神病院か砂漠しか考えつがず、ゴダール監督の『気狂いピエロ』を生んだ。
1985年以降冷戦終焉後のグローバル化で、国家権力の補完能力が低下して、環境問題が深刻化し、社会保障制度が破綻し始め、格差拡大や窮乏化進み、再び人間疎外が論じられるようになりつつある。
21世紀になって『ネオヒューマニズム宣言』で、現代ヒューマニズムが物化、物象化に反発するあまり、人間と物の区別に固執しすぎて、物の中で自己を実現し、解放するところに人間の本質があることを忘れて袋小路に入ってしまったと批判した。人間は組織体や産業組織を含めて、物やサービスを生み出しその中でこそ、自己を発見できるのだから、「物と成って見、物と成って考え、物と成って行う』ということを忘れてはならない。従って身体とそこに宿る人格にだけ人間を見るのではなく、社会的諸事物や環境的自然、組織体をも包括して人間と捉えるネオヒューマニズムの立場を確立する必要がある。
 その意味で西田哲学はネオヒューマニズムの先駆けである。ビジネスマンこそ、物やサービスや組織体に自己を見出し、実現し、解放すべく苦闘しているのだから、西田哲学を学んで血肉化する必要があるのだ。

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安泰寺の修行生活

2017年01月20日 06時24分37秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
厳しい生活ですなぁ。憧れているけど、悪業三昧のアホジジイには不可能だなぁ。厳しいです、ともかく厳しい。
 
 
 
2011/11/18 にアップロード

ピーター・バラカンが但馬の坐禅道場を訪問。堂頭のネルケ無方は坐禅や叢林生活について説明している。師弟の問答の場面も・・・
「安泰寺をオマエが創るのだ」
「オマエなんか、どうでもいい!」

安泰寺のHP:
http://antaiji.org

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安泰寺の修行生活

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文科事務次官あすにも辞任 “あっせん”問題拡大か(17/01/19)

2017年01月20日 06時18分07秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
文科省よ!おまえもか・・・・・・・・情けないですなぁ。天下っていく先が、天下の名門W大学だというのでは救いようがない。お互いに。文科省もW大学も。こんなことをやっていたら、日本の学問水準がどうなるのやら。
 
 
 
 
2017/01/18 に公開

文部科学省が元幹部の天下りをあっせんした疑いで、事務方トップの前川事務次官が辞任する意向を固めていることが分かりました。 松野文部科学大臣:「現状の調査を受けているという段階においても大変、遺憾。
・・・記事の続き、その他のニュースはコチラから!
[テレ朝news] http://www.tv-asahi.co.jp/ann/

 

 

文科事務次官あすにも辞任 “あっせん”問題拡大か(17/01/19)

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1月19日(木)のつぶやき

2017年01月20日 04時56分31秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/