光かがやく 歯科衛生士
「わかっちゃいるけどやめられねぇ~」
5:25である。早起きした。得意だから。孫もまだ寝ている。駄文を書いていた。4時頃から。そして、拙ブログに至った。
今日は、千葉市に出かける。旧友と会って昼飯を食う。その前に、旧友がやっている専門学校での授業を拝見させていただく。10時ころに。それで出かけるのだ。物好きだなぁ~と思う。
ところがである。今日は、ゆっくりめしも喰っていられないのだ。午後から、郷土史の役員会があって千葉市内の別の場所に移動する。来週の24日に千葉市にある県文化会館で郷土史の総会があるからだ。講演会もあるので、興味のある方はどうぞ・・そんな方はおられないか・・とほほ。あ、と~ま君の実物を見ることもできまっせ。(^0^)
そうなのである。郷土史の方の準備もあるからだ。それに、オレの論文が掲載されている研究誌も出る。だから大事なんである。オレとしては。もっとも、あれだ。載っかっていなかったりして。オレの論文。
わははっははははっははは。
そうなったらそうなったで致し方なし。人生なんてそんなもんである。駄目なときは、とことん駄目を味わうほうがよろしいようで。それにオレはなにをやっても趣味であるから、チカラが入っていない。脱力の名人でもある。無駄なチカラを入れて力んでいると、いわゆる「居着き」とか「剛力」という姿になって、柔道では敗退する。相撲の白鳳が良い例である。彼の相撲は、居着きとか剛力とは無縁である。実に柔らかく、相撲をとっている。たいしたもんである。
そういう視点から交通安全教育を、6月3日に千葉市の天台スポーツセンターで講演してくる。
「武道論からみた交通安全教育」というやつである。高校の先生方であるから気は抜けない。県内各校全部からお一人来る。だからである。
さらに、交通安全教育には欠かせないロングホームルーム活動で行う話し合いの手法についても、長年の持論をしゃべってくるつもりである。こちらは教えている方の大学でも、学生に伝授している手法である。つまり、「話し合いの組織化」っていうやり方である。交通安全というのは、そもそもの結論はわかっているというのが前提にあって、つまり違反は悪であるというのが根本にある。だから、指導が難しいのである。「わかっちゃいるけどやめられねぇ~」ってやつである。これをどうやって指導していくのかということを、指導者側からの問題として話しをするつもりだ。
ノー原稿にする。
もっとも場慣れしているから、ずっと前を見て話すつもりである。そうなのだ。オレはまったく緊張島倉千代子なのだ。(^0^)
先日、参加される高校の先生方に出張文書が配布された。オレが講演することが書かれている。笑った。肩書きである。「第14代会長」とあった。再度笑った。「じーさま学生」とか「時間と金の無駄を実践している暇人」とか「生涯教育を気取っているあふぉ~」とか書いてくれたほうがもっと良かったのにねぇ~と思ったからである。
わはははっははっはははは。
じゃぁね~。
行ってきますよん。
(^_-)-☆
高校ではなかった修学旅行で神田にきてから
神田という町が好きである。何故か。古本店がたくさんあるからというのもある。しかし、神田は明治維新前から私塾の町であったからでも... goo.gl/1DxzGJ
『女たち・いのちの大行進』のステージ最中。15年前に出逢っていた、安積遊歩と再会しました。最高の再会です。遊歩、大好きな大好きな女性です。ありがとう! pic.twitter.com/wxcZd8GF5l
「ツイッター出来るならメール返せるでしょ。」と言われる事があるけど、コミュニケーション能力が全く無い人間からすると『何の脈絡も無く話せるツイッター』と『会話の流れを読みながら相手の求めてる返答を考えるのに神経削られるメール』は気軽さが全然違うし、これに共感した人はダメ人間。
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小野小町は100歳以上まで生き、晩年は逢坂山に住んだという伝説があります。そのため大津宿の長安寺には、後年建てられた小野小町の墓があります。 pic.twitter.com/nBTHp66QUt
セイゴオぶひん屋7『中国』 松岡正剛 blog.goo.ne.jp/tym943/e/92554…
高校ではなかった修学旅行で神田にきてから
神田という町が好きである。何故か。古本店がたくさんあるからというのもある。しかし、神田は明治維新前から私塾の町であったからでもある。
江戸時代というのは、まことに不思議な時代であって日本史上こんな時代が存在したということが不思議でならない。学問を愛好した時代でもあったのだ。
福沢諭吉の慶応義塾もそう。幕末のあんな時代によくもまぁあれだけの教育をしたものである。もっとも、福沢諭吉翁がいたからあそこまで発展をしていったのであり、彼以外にはできない相談だった。学校経営をされる方はなぜ福沢諭吉が慶応義塾で成功したのかということをしみじみ考えるとよいと思っているくらいである。しかし、慶応義塾は三田にある。神田とは関係がない。
神田は、高低差のある土地である。
行ってみればわかるが、神田駿河台のあたりから急に坂を下るような傾きがある。明治大学のあるあたりからである。明治大学も今は日本一受験生の多い大学になったそうで、オレが45年前につまらない国文学徒であったときには、バンカラの学生が闊歩していた。中央大学もまだ駿河台にあったときで、しかも双方の大学は学生運動のメッカだった。立て看板ばかり立っていて、勉強は事実上できない時代でもあった。学生運動といえば日大も向かい側にあって、この駿河台というのはもしかしたら、ここから革命が起きたのかもしれないというくらいであった。
お茶の水の駅を挟んで反対側には東京医科歯科大学、順天堂大学があって、これまた古色蒼然としていたのである。
駿河台をくだっていくと低地になる。今の、三省堂書店、書泉グランデ、東京堂書店あたりがあって目をつぶっても歩ける。
共立女子大、専修大学あたりのある土地である。家康の時代には、沼地であったろうと言われている。神田橋から、神田錦町、一橋あたりまで広漠とした野原だったとものの本には書かれている。それをある僧侶が将軍からいただいて、寺院を造った。それが「隆光」という名前の僧侶であり、新義真言宗であった。護持院という寺を造った。要するに世渡りの巧みな坊主だったのだろう。今でも広大な土地であるから、それだけの規模を持つ寺院を経営するだけたいしたもんである。
この護持院ガ原に官立洋学校である開成所が開かれるのである。後に東京帝国大学となっていく源流である。
護持院ガ原というのは実におもしろい場所で森鴎外もこの土地を舞台にして小説を書いている。「護持院原の敵討」という作品である。傑作である。文体がいい。読んでみなはれませ。
神田界隈は、江戸時代以来からもの学びの町であった。世界でも有数の。この野原に、現在の私立大学の源流があるのである。今でも神田界隈で多くの学生を集めて颯爽としている私学も多い。明治大学、法政大学、中央大学、東京理科大学、日本大学、共立女子大学、専修大学等々の有名大学が神田に源流をもっていて、目白押しである。
また神田は武道の町でもあった。かの有名な千葉周作の剣道場「神田於玉ヶ池」道場もここにあったのだ。文武両道を地で行っている。何故か。江戸には多くの武士階級がいたからであり、その伝統を神田はひいているのである。武士階級はなにをさておき、学問をしなければならなかった。それだけ安定していた時代でもあったからである。さらに武士のたしなみとしての武道もである。
そういう土地である。明治5年には、神田界隈でも私塾が60いくつあったというから壮観である。ほとんどが漢学塾であるが、洋学塾もあり、なかなかのものであった。
夏目漱石も神田の小学校に入っている。錦華小学校である。東京では有数のいわゆる「いい小学校」であった。漱石はこの小学校に入りたくて、今でいう越境入学をしている。牛込からのである。
漱石は錦華小学校のあと、府立一中という今の日比谷高校に入学して、2年で中退している。漢学の素養を磨くために、二松学舎という私塾で勉強している。今の二松学舎大学である。しかし、漱石はここも2年あまりで去っている。その後、英語を学びたくて、神田の駿河台にあった英語塾成立学舎に入学して基礎を作った。そして18歳で大学予備門(後の旧制第一高等学校)に合格するのである。神田一橋にあった。漱石は、下宿を神田猿楽町において通った。
大学予備門では正岡子規と同級生であったのは有名である。子規は共立学校で英語を学んでいる。神田淡路町にあった学校である。子規も漱石も英語を学んで後の旧制第一高等学校に入っていく。奇縁であろう。ちなみに、子規が学んだ共立学校は高橋是清が仲間と一緒に作った学校である。子規が上京してきたころには、民家の古屋で、2階が寄宿舎で下が教室であったという。高橋是清は大学予備校の英語教師であったのだから、明治はおもしろい。その後、この共立学校は日暮里の開成高校になっていった。
・・・・・・・・・・・
以上のようなことを神田に行くといろいろと感じてしまうのである。
かつて、奥羽山脈の麓の町米沢で、熊と相撲をとり、野原を駆け巡っていたときに、神田のようなすばらしい町があることは知らなかった。しかし、生涯にたった一回の中学校の修学旅行で東京に来たときに、オレはこの町に憧憬してしまたのである。
そう・・・「シマッタ」のである。
それでオレはオシマイになったのだよん。
わはははっははっははっははは。
『イノシシから田畑を守る おもしろ生態とかしこい防ぎ方』江口祐輔 sciencebook.blog110.fc2.com/blog-entry-112… ←著者さん説得慣れしてる、イノシシ愛にあふれてる。それに加えてわかりやすいイラスト!なにより、イノシシ無関係な人にも面白い読み物になってるのがすごい。近所に猪います?
悪女の深情け・・・・?
ピロリ菌の薬を呑んで、我が胃袋から退散してほしいと思ったので、治療をしていた。その結果... blog.goo.ne.jp/tym943/e/00243…
今年は哀しみが二倍になってしまうなぁ~
まだ帰らないけど。 goo.gl/11255C
セイゴオぶひん屋9『生命』 松岡正剛
これいいよん。
わたしはなぜ存在するかっていう疑問ですわな。
悪女の深情け・・・・?
ピロリ菌の薬を呑んで、我が胃袋から退散してほしいと思ったので、治療をしていた。その結果が出たというので、居住地にある専門のドクターのところに行って聞いてきた。結果は、見事に三振、ノックアウトであった。退散してくれなかったのである。まだまだオレの胃袋の方が住み心地がいいって云っているのだよん。いたんだよ、まだ。しつこいやつだなぁ。
7月に再度チャレンジする。
ご存じだろうが、ピロリ菌は悪さをするようで退散したからといっても完全に病気にならないというわけではないそうである。
1月に幕張の人間ドック専門病院で、胃カメラのドクターがピロリ菌がいるから、退治しましょうと云ってくれたから、闘いを始めたのである。つまり「悪女」のようなもんだなぁ。悪女はアカンのである。
悪女にはだまされてきたからなぁ~、わははっはははっははっはは。
できれば悪女とは離反して、きれいさっぱり正々堂々と生きていきたい。
あ?
オレの配偶者のことではないですぜ。そもそもオレは、おなごにはまったくご縁がないタイプであるから、結婚できたのが奇跡だと思っている。感謝しているだけだ。(^-^)
しかし、悪女というのはしつこいらしい。
オレの胃袋から出ていってくれないからだ。
「悪女の深情け」という言葉があるように、なかなか勘弁してくれないのだよ。もういい加減オレなんか放っておいてほしいと何度も袖に縋って懇願しているのだが、「もうちょっと面倒みてあげるわよ~ん」と、オレを見限ってくれないのだ。
悪女というのは、だからとてつもなく魅力があるらしいのだ。美人なのかな?それともあれかな、こんな服を着ているのかな?とか考えてしまうよ。
だから、美人は嫌いだとオレは昔から云ってきたのだ。もっとも、誰も相手にしてくれなかったけどねぇ。
美人と悪女は、遠くから見ているだけでけっこうである。
映画で見るくらいなら、なんの影響もない。だから映画はいいのだ。女優さんも、映画の中で見ているからきれいに見えるんであって、実際は悪女かもしれないではないか。知らないうちが花でございます。知ってしまったら、本当に鼻持ちならぬ人を馬鹿にするだけが生きがいの、つまらん人間かもしれないではないかと思うからである。
しかし、他人のことはどうやっても云うだけは云うことができる。
オノレはどうだ?
悪女ならぬ、悪男子である。
でも、あれだね。悪女はまだ救われる。魅力があるかもしれないからだ。悪男子では、これはこまった。魅力もへったくれもない。ただの汚らしいおっさんだ。
これまたオレのこったよ。
もうやめましょう。
(^_-)-☆
人生はエンジョイしなくちゃ
ゼミが休講になったのだが、その掲示が出る前にもう愛車にのっかっていたので、知らないで来てしまった。在籍大学に... goo.gl/fT7gp4
“@hey_muu” #俳句 RT @MofaJapan_ITPR 第5回日EU英語俳句コンテスト!テーマは「素敵な出会い」(Wonderful Encounter)。最優秀賞受賞者は,近代俳句発祥の地である愛媛県松山市へ招待。mofa.go.jp/mofaj/press/re…
中には「無料開館(日頃から無料で公開)」なんてのも。えぇっ、こういう催しの仕方が許されるんですかい、北大総博 @HOUMura1 の旦那!(北大総博の旦那は日頃から無料で恐竜の化石などを見せてくれる気前のいい旦那です)⇒国際博物館の日 j-muse.or.jp/02program/pdf/…
僕には全てが偶然で、好き勝手なもので、取り替えられる、とどのつまり意義がない……、すべてが重要ならば、何も本当には重要ではないんだ。貧しさも裕福さも、幸せも不幸せも、権力も成功も―そう、生と死も―全ては仮の像に過ぎない。 『だれでもない庭』所収遺稿 戯曲『宿』
中国80隻、ベトナム29隻でにらみ合い 衝突問題、長期化も チャイナ製ボイコットも - MSN産経ニュース bit.ly/1mI1tZY 2014-05-09 21:10:22
人生はエンジョイしなくちゃ
ゼミが休講になったのだが、その掲示が出る前にもう愛車にのっかっていたので、知らないで来てしまった。在籍大学に。
(^_^)
だから、在籍大学の図書館で打ち込みをしていた。休講だから、このまま院生室で論文を書き続ける。せっかく来たのだから、楽しんでいこうっと。
教えている大学の方で教育についていろいろご指導をいただいている教授と、昨日話をしていた。哲学の先生でもおられるから、楽しいのである。オレも好きだからだ。この分野は。
この先生と会えるから教えている方の大学とご縁がありますようにと祈っているのである。不思議なご縁である。願うとかなえられるというのは本当らしいと、思う。6月に欧州に行くので、補講のことでお詫び方々四方山の話をさせていただいていた。その中で、はっとなったことがある。それは、オレのやっていることは、生涯学習ではなくて、生涯教育であろうというようなことであった。学習となると、やはり成果を求められたりする。評価もからむ。評価が低ければ放校の憂き目にも遭う。なにもカネさえ払っていれば、学生生活を続けられるというものでもない。
やはり「生涯教育」なのである。オノレに課した、生涯にわたる教育なのである。そして、その教育は「アート」である。自分でやっているアートなのだ。なぜなら、教育はパーソナリティの発揮であるからである。パーソナリティが発揮できるのだから、こんなに楽しいことはないのである。
オレは成果は求められていない。
昨日お会いしていた教授にも、「まさかこれから大学のせんせにでもなって働くつもりじゃぁないでしょうな?」と聞かれた。呵々大笑である。そんなわけはない。まかり間違ってなったとしても、すぐ定年になる。それにオレが大学の教授なんてわらわれっちまうですな。高校時代の同級生に。10代後半に勉強していなかったから、大学院が趣味になっちまったのだからねぇ~
わはははっはっははっはっははは。
旅行ができないでしょうよんと申し上げた。当然である。
繰り返すけど、趣味で大学院に通学しているのである。
だから古女房殿に叱られるのだよ。時間とカネの無駄だって。それでもオレはめげない。若い人に囲まれて、実にはつらつと生きることができるからである。楽しいではないか。これが逆に、周囲が全部じーさまとばーさまだけで、「オレはいつ死ぬんだろう」とか、あちこち病気の話ばかりでは気が滅入る。
「人生はエンジョイしなくちゃならんのである」
そうでなくちゃ、生きる甲斐もない。
そういうこっちゃ、そういうこと。
じゃぁね~!
教師の仕事はアートである
教師の仕事はアートである。教育はパーソナリティの表現である。いろいろな教育心理学や教育哲学を学び、学んだとしてもその知識を応用して、現実に対処... goo.gl/wc5EMV