批評を鵜呑みにしないで、独特の文化を持っていきたいものである。白人たちも、Malaysiaも独特である。特にトイレ文化が(^_^)
批評家の著書はかなり警戒してきた。なぜなら、ホンモノの文学作品や思想書等々を読まずして、鵜呑みにする可能性があるからである。要するに、誰それがこうのたもうたとか、学者センセの言われることはこれなりと断定してしまう危険があるからである。
それでもってオノレの大論文を書いているヤカラもいる。パクリである。コピー文化である。アジアの某大国も得意技としているけど。
だから、多くの批評家とか概説書を読み、知っていることでもってオノレの知的ステータスとしていちゃアカンと思う。そういうのもいるからである。
それは「痴的」なのある。「痴的」とあえて書きたい。知にヤマイダレがついているのである。病気なのである。
明治維新では、日本人が短足なのに、似合わないドレスなんか着て鹿鳴館でダンスをやった。大いに、外国に笑われたのだ。あれを文明開化とする受験参考書も多いが、果たしてそうだったろうか。
むしろ退廃の道を辿ったのではないのか。以来、日本は西洋なのか東洋なのかワケがわからなくなっている。アイデンティティーを持ち出すまでもない。もう居場所がなくなっていると思わざるを得ない。しかも、Americaの属州になってしまっているではないか。軍事的にも。経済的にも。
CMで日本人のタレントが西洋かぶれのダンスを披露していることがある。あれを見ると(゜◇゜)ガーンである。
スタイルが悪すぎる。西洋かぶれのタレントには、いつもがっかりしてしまう。格好つけて、リズムに乗ってダンスを披露している。
それがなんなのだと感じる。なんのためにやっているのじゃ?と聞きたい。
要するにコピー文化ではないのか。西洋かぶれの。ミニスカートもそうである。コピー文化である。西洋人なら似合いそうな格好でも、体型的には日本女子には似合わないとボキは思うのだ。
短パンにスニーカーという格好で歩いている西洋人はたくさんいる。ヨーロッパに旅した時も、ああなるほどと思った。白人なら似合うからである。
綺麗だと言っているのではない。独自性があって、オノレで満足しているならそりゃそれでいい。さらにある。白人は夏が短い。冬が長い。だから、短い夏を楽しむ。太陽を楽しむ。
もっとある。白人は肉の付き方が違う。寒くないのである。太った方々も多い。特に中年過ぎの女性などあきらかに日本人女性とは違っている。寒くないのだ。文化がそうしているらしいのである。なるほどと思った。ヨーロッパを案内してくれた現地ガイドに聞いたことである。
トイレ文化も違う。ヨーロッパのホテルにあるビデは、あれは独特のもんである。日本のウオッシュレットも独特の文化になってしまったが。
先日亡くなった金正男氏で有名になったMalaysiaもトイレ文化は独特である。尻の洗浄方法がである。ホースみたいなもので、流すのである。かなり抵抗感があって、ボキは使えなかったが(^_^)。これもまた、Malaysiaに行ったかいがあったというものである。経験しなくてはわからない文化であったからである。
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ああああああああああああああ、こんなことを書きたいと思って打鍵したのではなかった。
今日は、批評を鵜呑みにしないということであった。
しかし、昨日Amazonから届いた「密教経典」という講談社学術文庫。真言宗の泰斗である宮坂宥勝先生の著書である。原文と解説が秀逸である。これを座右に置いて、ノートをとるつもりである。
批評を鵜呑みにしたいからではない。知らないことがたくさんあるからである。バカだから。
なにしろ、こっちは100%死んじゃう運命なのだから。
わははっははははっははははっははは。
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天気がいい。今日は。
図書館にも行ってこようっと。
夜はアルバイトの塾もあるから。
その前にwalkingである。
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