と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

大学受験英語の動画【分詞構文①】←このおにーちゃんセンセの動画は秀逸ですなぁ

2017年03月18日 07時24分24秒 | とーま君の流儀2017
昨日から、この動画サイトでノートをとっているんじゃが、実に勉強になっている。
合計で70本はあるかな・・・・。
塾でもアルバイトやっちょるから、油断していたらあっと言う間に英語がわからなくなるから、いいものを公開してくださっているなぁと感謝している。

これで惚け防止になるというこっちゃ。





2013/11/06 に公開

【英文法を理解できていないせいで、苦労していませんか?】

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分詞構文

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大学受験英語の動画【分詞構文①】

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3月17日(金)のつぶやき

2017年03月18日 04時57分05秒 | とーま君の流儀2017
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物欲のかたまりじゃよ・・・トホホ。情けないですなぁ。アホですな。

2017年03月17日 08時39分46秒 | とーま君の流儀2017

ヨーグルト一個で心にさざ波が立ってしまったようじゃ・・・・・アホじゃなぁ。まるで幼児でしたな、昨日は。セブンイレブンで(笑´∀`)

 

 

ジジイになってから気をつけていることがある。

それは「固まらない」ということである。柔軟にやるということである。エビのように、伸縮自在でありたいとずっと思ってきた。

つまり、頑固ジジイになってはアカンと思っているのだ。そもそもがなにをやっても中途半端である。全部いい加減であるから、そんなに心配していないのだが。固まりそうもない。固定観念なんてまったくない。こだわりもない。一途さもない。思い込んだら、一筋にというのもない。この道に賭けるというスタイルもない。

結局いい加減なのである。ちょっとだけ良い方向に言えば、割合フリーなモノの考え方をするし、肩に力が入っていないことを信条としてきたからである。

柔らかく柔らかく生きてきたし、結果的にはそれが一番強いと柔道から学んだからである。柔道は、リキムと負ける。力一杯やっていると、相手にバレる。技がである。

それにそもそも大した人間では無い。レベルがとてつもなく低い。知的にも体力的にもである。柔道で言えば、花の講道館で稽古できるようなレベルではない。それはボキが一番理解していることである。所詮田舎柔道で終わってしまった。終わってしまったどころではない。健康を害して、すべてを失ってしまったではないか。

ルンルンと希望に燃えて通学した某大学大学院は、学業劣等で退学したし、柔道の世界からもきれいさっぱり足を洗ってしまった。

であるから、ボキくらいふざけたジジイはいないのである。この点だけは反省している。ふざけたジジイであるからだ。だから、できるだけ他人に迷惑をかけないで生きていこうと思っているのである。

しかし、昨日は(*_*) マイッタ。

セブンイレブンでちょっとヨーグルトでも買ってから、gymに行こうとしていたのである。そしたら、「中央の列に並んでください」と若いバイトのセーネンに注意されたのである。「は?さっきから並んでいたんですけど」と申し上げた。で、あっと気がついたのである。珍しいことに、ムカッとしたのである。これはこれは。

ボキとしたことが、ヨーグルト一個でムカッとしたのじゃ。笑ってしまったが。

こんなことで、心に波風を立てているようでは、先が思いやられる。

先?

そんなもん、ボキにはもう無いか。

わははっはははっはははははっははは。

アカンナァ~~~~と思った。

ヨーグルト一個でなんというアホをやっていたんじゃろ。昨日は。

ルールはルール。守るべきは守ることである。それに、世間の皆様にはできるだけ迷惑をおかけしないで、余生を生きるべきである。

桜の花を楽しみに、ヨレヨレと生きていればいいのである。

どうせ死んじゃうのだから。

桜の花の下でもって、あっというまに死んでいきたいものである。

あはははっはは、おほっほほっっっほおほと(笑´∀`)ながら。

そうなのだ。ボキは、美しく死にたいからである。ボキ自身は美しくもなんでもない、ただのジジイではある。しかし、桜に囲まれていれば、ボキのような悪業三昧の大悪人であっても、死ぬときくらい美しく死ねると思っているからである。

ボキには老残というのがないからである。

今日も図書館に行く。

歩いて。

塾があるから、塾が始まるまで、高校英文法の予習でもしてくる。昨日の夜、スマホに動画も入れた。大学受験英語の動画。それを見ながらメモである。

アタマのゴミを捨てなくちゃ。惚け防止のために。たまりにたまっているから。ゴミが。

マジに。

 

(^^)/~~~

 

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3月16日(木)のつぶやき

2017年03月17日 04時54分01秒 | とーま君の流儀2017
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原典にあたらずして、批評家の言い分をそっくり真似していたら・・・危険じゃなぁ

2017年03月16日 08時33分56秒 | とーま君の流儀2017

批評を鵜呑みにしないで、独特の文化を持っていきたいものである。白人たちも、Malaysiaも独特である。特にトイレ文化が(^_^)

 

 

批評家の著書はかなり警戒してきた。なぜなら、ホンモノの文学作品や思想書等々を読まずして、鵜呑みにする可能性があるからである。要するに、誰それがこうのたもうたとか、学者センセの言われることはこれなりと断定してしまう危険があるからである。

それでもってオノレの大論文を書いているヤカラもいる。パクリである。コピー文化である。アジアの某大国も得意技としているけど。

だから、多くの批評家とか概説書を読み、知っていることでもってオノレの知的ステータスとしていちゃアカンと思う。そういうのもいるからである。

それは「痴的」なのある。「痴的」とあえて書きたい。知にヤマイダレがついているのである。病気なのである。

明治維新では、日本人が短足なのに、似合わないドレスなんか着て鹿鳴館でダンスをやった。大いに、外国に笑われたのだ。あれを文明開化とする受験参考書も多いが、果たしてそうだったろうか。

むしろ退廃の道を辿ったのではないのか。以来、日本は西洋なのか東洋なのかワケがわからなくなっている。アイデンティティーを持ち出すまでもない。もう居場所がなくなっていると思わざるを得ない。しかも、Americaの属州になってしまっているではないか。軍事的にも。経済的にも。

CMで日本人のタレントが西洋かぶれのダンスを披露していることがある。あれを見ると(゜◇゜)ガーンである。

スタイルが悪すぎる。西洋かぶれのタレントには、いつもがっかりしてしまう。格好つけて、リズムに乗ってダンスを披露している。

それがなんなのだと感じる。なんのためにやっているのじゃ?と聞きたい。

要するにコピー文化ではないのか。西洋かぶれの。ミニスカートもそうである。コピー文化である。西洋人なら似合いそうな格好でも、体型的には日本女子には似合わないとボキは思うのだ。

短パンにスニーカーという格好で歩いている西洋人はたくさんいる。ヨーロッパに旅した時も、ああなるほどと思った。白人なら似合うからである。

綺麗だと言っているのではない。独自性があって、オノレで満足しているならそりゃそれでいい。さらにある。白人は夏が短い。冬が長い。だから、短い夏を楽しむ。太陽を楽しむ。

もっとある。白人は肉の付き方が違う。寒くないのである。太った方々も多い。特に中年過ぎの女性などあきらかに日本人女性とは違っている。寒くないのだ。文化がそうしているらしいのである。なるほどと思った。ヨーロッパを案内してくれた現地ガイドに聞いたことである。

トイレ文化も違う。ヨーロッパのホテルにあるビデは、あれは独特のもんである。日本のウオッシュレットも独特の文化になってしまったが。

先日亡くなった金正男氏で有名になったMalaysiaもトイレ文化は独特である。尻の洗浄方法がである。ホースみたいなもので、流すのである。かなり抵抗感があって、ボキは使えなかったが(^_^)。これもまた、Malaysiaに行ったかいがあったというものである。経験しなくてはわからない文化であったからである。

ああああああああああああああ、こんなことを書きたいと思って打鍵したのではなかった。

今日は、批評を鵜呑みにしないということであった。

しかし、昨日Amazonから届いた「密教経典」という講談社学術文庫。真言宗の泰斗である宮坂宥勝先生の著書である。原文と解説が秀逸である。これを座右に置いて、ノートをとるつもりである。

批評を鵜呑みにしたいからではない。知らないことがたくさんあるからである。バカだから。

なにしろ、こっちは100%死んじゃう運命なのだから。

わははっははははっははははっははは。

天気がいい。今日は。

図書館にも行ってこようっと。

夜はアルバイトの塾もあるから。

その前にwalkingである。

 

(^^)/~~~

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3月15日(水)のつぶやき

2017年03月16日 04時57分34秒 | とーま君の流儀2017
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ボキの生涯学習ごっこを左右しているものは、楽しさであった

2017年03月15日 08時10分37秒 | とーま君の流儀2017

「楽しいからやっていた」というのは、大切なことであると思う。

 

 

若い頃には理解できなかった本というものがある。あまりも叙情的な物語というのがそれである。特に十代後半は、ちょいとばかり生活と学業の両立で大変だったから、なおさらであった。

なにを読んでも面白くないのである。とりわけ恋愛小説なんか屁みたいなもので、どーせオレには関係のナイ話じゃと思っていた。以来ずっと関係ねぇのであるが(^_^)。

「野菊の花」なんかに感動していたのは、小学校の時まで。自分にご縁のない物語には、まったく興味がなくなってしまったからである。

これは最近のテレビドラマとか、映画にもあてはまる。甘ったるい恋愛物語は、おかしくて笑ってしまうからである。村上春樹に興味がわかないのも同じ理由だろう。あまりにも甘ったるいからである。所詮、彼はエリートであって、そういう世界の住人で物語が占められている。ボキのような庶民、一般大衆には無縁の物語である。

もっとある。

源氏物語である。これこそ貴族階級の物語である。高尚なる世界の。しかも、恋愛物語である。多様なる恋愛の諸相がこれでもかこれでもかと登場してくる。

正直ゲップが出る。もうたくさんだ!というのが実感なのだ。

この源氏物語は全部通して読んだことがある人はなかなかいない。指導層ならまだしも、そういう方にお目にかかったことがない。ボキは、学部時代にゼミで源氏物語をやっていたから、苦心惨憺して読んだ。が、かなり苦しかった。ついていけないのである。恋愛至上主義と新聞配達しながら大学学部に通うというのは、矛盾していたのじゃよん。

住んでいる世界が違うからである。こんな世界は永遠にご縁がないだろうと思っていたし、事実そうだった。

じゃ、なんのために読んでいたのか。それは古典の分析方法を学部時代の師匠に教えていただいたからである。源氏物語構想論というのが面白くて読んでいたのである。今では、もう構想論は流行らないのであろうが。

師匠の言われていることが理解できなかったからでもある。アタマが悪くて。ボキは。

ま、師匠が源氏物語の泰斗であったからたまたま源氏物語をやっただけで、別にたいした動機があったわけではない。

そういうのが面白くてやっていただけである。したがって、光源氏の君に憧れていたわけではない。生きていくのに精一杯であったし(今でもそれはそうだが)、「楽しいからやっていた」というのは、大切なことであると思っている。

でないと、耐えられなかったと思う。それがボキの生涯学習ごっこを左右しているとしみじみ思う。

ありがたいものである。

感謝である、感謝。

(^^)/~~~

 

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3月14日(火)のつぶやき

2017年03月15日 04時57分17秒 | とーま君の流儀2017
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ぎんさんの娘4姉妹・著「ぎん言 ─ぎんさんが娘4姉妹に遺した名言─」

2017年03月14日 07時05分44秒 | とーま君の流儀2017

昨日読んでいた本がこれ↓

 

 

内容はおおいに愉快なり。

「アハハ、百歳からが老後だがね」

 あの”きんさん・ぎんさん”の妹ぎんさんの名言。そのぎんさんの娘4姉妹が、蟹江家(愛知県名古屋市)の縁側に集まり、母ぎんさんの教えをしゃべりまくりまくる。それを綾野まさるさんが取材し、本にまとめた。それが『ぎん言 ぎんさんが娘4姉妹に遺した名言』(小学館、2012年4月、1,300円+税)。

終活段階にもクスリになる名言が多いのじゃ(^_^)。

「心にしわを生やしちゃいかん

地獄、極楽はな この世にあるもんだよ

夫婦ちゅうんは食っていくための戦友だがね

やると決めたからにゃあ 死んだと思うてやれ

姉は妹になれん 妹は姉になれん」

 

ぎんさんの娘4姉妹・著「ぎん言 ─ぎんさんが娘4姉妹に遺した名言─」

 

2012/04/27 に公開

●ぎんさんの娘4姉妹・著「ぎん言 ─ぎんさんが娘4姉妹に遺した名言─」

 本の詳細はこちら

http://www.shogakukan.co.jp/books/det...

 

100才の双子として90年代に人気を博したきんさんぎんさんの蟹江ぎんさん。彼女には4人の娘がいて、98才、94才、91才、89才と母親譲りのご長寿です。その4姉妹が、母から授けられた人生の教えの数々。

 

●小学館創業90周年記念サイト「ウチノヨメ。」

編集者、作家、本屋さんがイチオシの本を自ら紹介する

小学館創業90周年を記念した特別コンテンツです。

あなたのとっておきの本、みつかりますように(*^_^*)

http://www.shogakukan.co.jp/pr/90th/

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3月13日(月)のつぶやき

2017年03月14日 04時56分59秒 | とーま君の流儀2017
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ボキなんかよりずっと年長の大先輩が書かれた「63歳からのパリ大学留学」に感動した

2017年03月13日 07時27分36秒 | とーま君の流儀2017

著者は、「一度死を見た」ということである。死を見たからこそ、思い切った行動に出ることができたのであると思った。どーせ死ぬなら、やり残したことなく一生を過ごそうというのも凄いことである。

 

 

直腸ガン手術や、次男の山岳遭難という実に辛い体験を乗り越えたガッツな生涯学習記録である。63歳でパリ大学に奥様共々留学した御仁である。750万円くらい二年間でかかったと書かれているが、これを高いととるか、安いととるかは受け取り方の問題であろう。

昨日、居住地のブックオフ(古本チェーン)で買った。108円。ふと目が留まっただけであった。欲しい本は向こうからボキの目に飛び込んでくるからありがたい。今回も、へ?、63歳で、パリ大学?・・・これで目がこの本に止まったのである。ありがたいもんである。こういう書籍との出会いがあるから、古本チェーン巡礼が止められないのだ(^_^)。

著者は予想どおり普通の経歴ではなかった。暁星学園出身で、第一外国語がフランス語である。

祖父が旗本である。勝海舟の下、陸軍副総裁を務めた藤沢志摩守なる旗本だった。そういう家の生まれだ。小中高と暁星で学び、小学校からフランス語を習っていたからパリ留学ができた。大学は京大である。

フランスでは、ムードンという、パリの中心から30分くらいの町で暮らした。ここはヴェルサイユへ行く途中で、パリ中心から約10キロの所。ラッキーなことに、とんでもない日本贔屓の大家さん(ポルトガル人の老未亡人)が居て、日本人にしか貸さないというアパルトマンを相場の半分くらいで借りた。間取りは3DK、バストイレ付き。おまけに完全家具付き。ベッド、洋服ダンス、整理ダンス、ソファー、椅子、テーブル等は勿論、枕、毛布、敷布、冷蔵庫、オーブン、洋食器類、電気釜、飯茶碗、お椀類、お箸、鉢類までもが付いていた。

パリ大学Ⅲに入学して、フランス語とパリ史の勉強をする。新学期までの数ヶ月を、アリアンス・フランセーズという一級の語学校でフランス語を強化している。これはある意味、日本語学校で学習している外国人留学生のありようと一致している。だから面白かったのである。

パリ大学は13校に分かれていて、ソルボンヌ校(パリ大学Ⅳ)以外は、おおむね所在地の名称が付いているそうだ。著者が学んだパリ大学Ⅲは、サンシエ校(サンシエ通りに在る)と呼ばれている。

どちらにしても、なかなかできないことである。自叙伝的な性格も強いが、これを読んで発憤の材料とするか、数寄者ととるかは読む側の問題であると、ボキは思った。

ボキは、ガンを患ってその手術体験も書かれているのでさらに興味を持った。

大変に辛い手術である。それを乗り越えて、パリ留学をしたということに興味が沸いた。

つまり、「一度死を見た」ということである。死を見たからこそ、思い切った行動に出ることができたのであると思った。どーせ死ぬなら、やり残したことなく一生を過ごそうというのも凄いことである。

一度死を見た方は、残りの人生のハラのくくり方が違う。戦争体験をした方もそうである。亡父も戦争体験をした人であった。戦後、シベリア抑留をさせられたから、生死の覚悟が違っていた。ソ連の共産主義体制にも知識が深かったから、話は悲惨であった。

著者はボキなんかよりずっと年長の大先輩である。こうした方が生涯学習をやっておられることに、未熟者のボキのこれからを思った。

なにもせずにデタラメをやっていちゃいけない。そう思った。

 

(^^)/~~~

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3月12日(日)のつぶやき

2017年03月13日 05時00分29秒 | とーま君の流儀2017
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さすがに大都会千葉市は違う。美女も多いけど、古本チェーン店にもすぐれた古本が置いてあるから。

2017年03月12日 07時11分59秒 | とーま君の流儀2017

千葉市民会館からwalkingがてら、古本チェーンのブックオフまで行った。ブックオフで二冊の文庫を買った。西行物語と、良寛さんのである。

 

 

郷土史の会に参加させていただいていることだけでも、生涯学習ごっこである。しみじみそう思う。ボキなんかよりもはるかに人生の大先輩達が、後から遅れてきた初学者のボキのような者を懇切丁寧に指導してくださるからである。感謝以外ない。

人生の大先輩といっても、むろん経験値も入るから、年齢は関係ない。その学問において、すぐれた経験値を持っておられるのなら、すぐさま師匠になるではないか。

だからボキはジジイになってからは、相手の年齢がまったく気にならないのである。要は実力があるかどうかである。ボキのスマホに入っているような、大学入試や高校入試の知識、外国語の動画なんかを見なくても、スイスイとクチから出てくるかということである。それが、ええええええええええ・・・とか言っているようではアカンのだ。だからボケたくないという理由がここにもある。

それはアルバイトとは言え、塾や退学した大学以外の某大学で教えさせていただいているから、ある意味動機づけともなっているのだ。こっちも感謝である。惚け防止には最適なアルバイトであるから。

そしてそれ以外のなにものでもない。それだけの話なのである。これからなにかになろうとしているのでもないし、なろうとしても無理である。そんな機会は永遠に吹っ飛んでいってしまったのである。もっともアレか。最初からそんな機会はナカッタわい・・・。

だからなんにも焦らない。焦ったってしょうがない。確かに人生のカウントダウンが始まっている。たぶん、一〇〇歳を超えて生きることはできないだろうから。

明日のことを思い煩って、悩んでいたってどうしようもない。明日死んじまうかもしれないし、誰だって死んじゃうというのは100%の確率でもある。

昨日、千葉市民会館からwalkingがてら、古本チェーンのブックオフまで行った。午後の講義で、一本サボったのである。講師は良く知っている方であるから、断ってビデオ撮影をセットして出かけた。一度お聞きしたこともあった演題であったから。

ブックオフで二冊の文庫を買った。

西行物語と良寛のである。

西行物語の方は、講談社の全釈シリーズ。これはすぐれもんである。以前から欲しかったのであるが、山家集でもって大学学部時代に単位がとれなかったものだから、トラウマになっているのじゃ(^_^)。ま、真実の西行を描いているとは限らないという学者先生の指摘もあるから、あまり信用はしていなかったのであるが。しかし、面白かった。昨日の夜、それを読んでいたからである。

こういうように、チャレンジしていくことが生涯学習ごっこの大事な点である。

ボケないためにねぇ・・・・。

 

(^^)/~~~

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3月11日(土)のつぶやき

2017年03月12日 04時59分06秒 | とーま君の流儀2017
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千葉市で文化講座と古文書講座に参加してきた

2017年03月11日 21時18分14秒 | とーま君の流儀2017

ボランティア活動の一つとして、郷土史の会で自称事務局をやらせていただいている。



今日は、10時から研究誌の編集会議があったから、朝も7時には九十九里浜のボキの自宅を出た。高速道路をひた走って、8時30分には千葉市に着いた。いつも使っている千葉市民会館が会場である。すぐそばの駐車場にクルマを置いて、walkingをやりはじめた。千葉神社に参拝に行った。千葉神社の神主様が会の副会長をなさっているからでもある。

なかなかの神社である。好きな神社である。いつもそうして参拝してから、会に出席している。

それから夕方の5時まで延々と勉強である。

ああああああああああああああ。

疲れてしまったよん。

(^_^)

普段使ったことのないアタマをフル回転してきたから。

この会の古文書講座は、横綱級のハイレベルであるし。居住地でやっている古文書講座は幕下クラスですな。

まったく歯が立たないとはこのことである。

疲れたので寝ます。

(-_-)zzz

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/