と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

4月17日(月)のつぶやき

2017年04月18日 05時03分24秒 | とーま君の流儀2017
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動画で雑学にチャレンジしているが、無駄だと笑われている。無駄だから笑われているのか、笑われているから無駄なのかねぇ・・

2017年04月17日 08時08分12秒 | とーま君の流儀2017

所詮、人生なんて無駄の連続である。それを意識しながら生きているかどうかで道が分かれる。無為に生きていくかどうか、それとも無駄と知りつつなにかやっていくかで道が分かれる。

 

 

もしかして、動画でロシア史と中国史を解説している人がいるのでは・・・・とふと思いついた。だから昨夜捜してみた。そしたらあった。100本もあった。

最近は、こうした無料動画をアップしてくれて、しかもその動画についての書籍を格安で売っている御仁がいる。だからありがたいものである。

英語もそうだ。阪大工学部卒の英語講師がそういうのを動画でやってくださっているから早速弟子になった。なってすでに一年になる。高校英文法の動画講座(無料)。書籍はKindleで買った。

昨夜は、歴史関係である。中国語文法もつい最近始めた。中国語学校の講師で100本ほど動画がある。こっちも最近は毎日見ているけど。

思うに便利な世の中になったものである。こんなふうに勉強できるとは未だに信じられないのだ。生まれ故郷で、旺文社の大学受験ラジオ講座なんかを聞きながら勉強した経験がある。しかも、受信状態の悪い中で聞いていたのである。ピーピーガーガーと。だから信じられないと思うのだ。インターネットはいろんなことを可能にしてしまうではないか。

インターネットも、ボキの居住地ではフリーWi-Fiが充実してきた。公共施設でWi-Fiが使えるのである。Gymでも使える。古文書講座の会場でも使える。図書館でも使える。こんなありがたいサービスはない。だから自由自在である。

ラジオもそうだ。ラジコなんてもんが登場してきて、まったく雑音がないからこれもまたありがたいものである。NHKにも「らじるらじる」なんてものが登場してきて、雑音がまったくない。もっともNHKは元々受信状態は良かったが。

放送大学なんていうのも登場してきた。これはまだ仕事をしていた時に、ボキは放送大学の隣にある千葉県の教育センターに3年間通勤した。だから興味があったのである。こんな風に勉強できるとは・・・と信じられなかったのである。つまり、生涯学習ごっこのスタートである。まだ40代であった。

だから道を踏み外したと言ってきた友人もいたが、それはご愛敬である。思えば長い道のりである。生涯学習ごっこは。これまでも、これからも。

でも、生涯学習ごっこはそれこそ生涯かけてやるべきことであろう。死ぬまでやるべきことである。

ある一定のレベルにあるから、もうオレは・アタシは勉強の必要はないというのではアカン。それは尊大というものである。あくまでも謙虚にオノレの能力を評価すべきである。でないと学ぶ必要はないからだ。

だからボキは、積極的に自虐パターンをやっているのじゃ(^_^)。だって、いつまでたってもモノにならないんだから。成功していないからである。これでいいのである。こういうボキみたいなものがいないと社会は活性化していかない。

それに退屈しない。成功していないのだから、やることはいっぺぇあるのだ。満足していない、満足できるレベルにないから、毎日退屈しているヒマがないのだ。これは実にありがたいことである。ボキの鈍才ぶりに感謝しているのじゃよん。

英単語でも中国語単語でも、やってもやっても次から次へと忘れてしまうからである。だから、毎日やることがたくさんできるのである。

こんなありがたいことはないではないか。

ボキは、ボキの「アタマが悪い」ということに感謝しているのである。だって、いつまでたってもモノにならないのだから、中断とか諦めたということがないからである。これは大いに惚け防止になる。こんなありがたいことはない。

無駄なことをやっているという御批判もあるだろう。それでもいのである。

所詮、人生なんて無駄の連続である。それを意識しながら生きているかどうかで道が分かれる。無為に生きていくかどうか、それとも無駄と知りつつなにかやっていくかで道が分かれる。

剣聖宮本武蔵は、無駄なことはやるなと教えてくださったがねぇ。宮本武蔵は天才だからそういうことが言えるのであって、ボキのような凡才は、無駄なことの連続で生きていくしかないようである。

そういうことである。そういうこと。

 

今日は月曜日。

Gymも図書館もやっていない。休館である。

無駄と知りつつ、ボキ独特のwalkingをやってきますか。

(^_^)ノ””””

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4月16日(日)のつぶやき

2017年04月17日 05時04分05秒 | とーま君の流儀2017
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オノレのやっていることを他人に自慢することなんて、まったくなにもないけど。所詮アルバイトだしねぇ。

2017年04月16日 08時15分33秒 | とーま君の流儀2017

でも、なにもやっていないと、それこそお不動様に叱られてしまう。あの憤怒のお顔で。それだけは(^.^)ご(-.-)め(__)ん(-。-)ね(^.^)である。

 

 

医者が嫌いだという人が多い。可能な限り、病院には行かない、行きたくないという御仁である。そりゃそうだ。歯科医をはじめ、痛い時は痛い。でも、ボキのお世話になっている歯科医は上手である。まったく痛くない。もう退職前から通院しているが、痛いと思ったことはただの一度もない。大した腕である。治療方法もかなり変化したからであろう。すぐ抜歯していた時代は去ったらしいから。いいことだよ~~ん。

内視鏡での突っ込みカメラも、痛い時は痛い。クチも、ケツの穴もである。両方である。ボキがやっているのは。もっとも、ボキ、内視鏡は慣れた。コツをつかんだからである(^_^)。脱力が一番である。ハラに力が入っていたら、そりゃぁ痛い。当たり前である。脱力こそすべてのコツである。柔道然り。そんなコツをつかんでもしょうもない話ではあるけど。

しかしである。

医者の先生にお世話にならなければならない時は、行った方がいい。これを嫌がっていると、大事に到る。大事に到る前に、手当をしておくことである。マジにそう思う。油断しているとなにが起きるかわからないのが、ボキ達の身体である。普段から不摂生をしていると、結局ダメージが蓄積されていく。体験上である。

ところがである。

成田山新勝寺におられるお不動様は、そういう嫌がる気分を一掃してくれるのじゃ。あの憤怒の表情には、なんで嫌がっているのじゃ!という慈悲の意図が隠されているとボキは思うのである。オノレの生き方を訂正せよ!と迫ってくるのである。成田山新勝寺にある大塔の中で、参拝したときは、ずっとお不動様を見上げているが、そんなふうに語りかけてくださるような気がしているのだ。

だから懺悔が必要なのである。ボキには。

エラそうに、オレは優れた人間であると思い込んでいたら、笑われる。笑われるどころか、お不動様のあの憤怒の表情で責められる。所詮たいしたことはない、ただのボンクラジジイである。今までやってきた悪業の数々は、お不動様にすべてお見通しである。

仕事仕事で生きてきたが、今はただのアルバイトジジイである。仕事の話なんぞまったくしない。できない。したとしても恥ずかしくてできない。

先日もアルバイトをしている某大学で、仕事をしているときの知人に偶然会った。受付で。そしたら、知人は、退職後某大学で重要な仕事をしているらしい。週に4日も仕事をしているそうだ。ボキは、週に一コマであるから重要もクソもない。彼は、プライドの高い方で、かなり誇りに思っているとのことであった。それはそれはすばらしいお仕事で・・・と申し上げたらおめぇさんだって同じようなもんだろうと言われたから、かなり違和感があったのである。ボキは、そんなポジュションにはないからだ。一コマ人生である。

知人のような生き方は、それはそれで結構である。自分がそう思っていればいいだけであるから。

ボキは、もうそういう話はしない。してもしょうがない。アルバイトであるからだ。さらに郷土史のボランティアのことも誰にも話さない。ボランティアであるからだ。一銭にもなっていないからである。塾だって他人に吹聴する、自慢するような話ではない。一週間にたった3時間しかアルバイトしていない。これ以上やってもしょうがないからだ。社会との接点を持ちたい、若い人と話をしていきたいと思っているだけだから。それに、専門外の英語と数学を教えていると必然教材研究をしなくてはならないから、ボケない。

英語も毎日高校英文法をはじめとして、会話もやっている。NHKのラジオ講座も活用している。惚け防止のためである。

中国語も、中国語文法が弱いから、昨日動画を100本ほど、あるソフトで変換してスマホに入れた。今日から、中国語文法のノートとりに図書館でやってくるのじゃ(^_^)。

楽しい、楽しい。

それで良いのである。

それで。

なにもやっていないと、それこそお不動様に叱られてしまう。あの憤怒のお顔で。それだけは(^.^)ご(-.-)め(__)ん(-。-)ね(^.^)である。

わははっははっははっはははっはは。

 

(^_^)ノ””””

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4月15日(土)のつぶやき

2017年04月16日 05時00分59秒 | とーま君の流儀2017
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第26回成田山奉納 成田太鼓祭

2017年04月15日 22時18分02秒 | とーま君の流儀2017

今日、行きたかったが・・・・・・・・・・・・。

残念無念。

 

 

第26回成田山奉納 成田太鼓祭

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平壌でなにかが起きなければいいのだが・・・鼓腹撃壌を生きているジジイとしてはかなり心配である

2017年04月15日 08時05分55秒 | とーま君の流儀2017

ささやかに、つつましく、貧しく生きている年金暮らしのジジイは、九十九里浜から世界平和を祈っているだけである。

 

 

能の「小鍛治」がある。来月である。成田山新勝寺である。能まで成田山新勝寺はやってくれるのだ。知らなかった。そして、小鍛治はまだ見たことがない。藝能史研究會に所属させていただいているから、見たい。見たいから、昨日早速申し込んだ。5月20日の夕方5時開場、6時開演である。山門を入ってすぐ左側の光輪閣でやるそうな。

これだと近い。これまでお江戸の能楽堂にしばしば通っていた。往復の高速バス代もバカにならない。メシもお江戸は高い。カネがネェから、高いモノは喰えないし。

困っていた。そうなのである。ボキは能も素人ながら大好きなのだ。

さらに成田山新勝寺は大寺院であるから、能まで安価に鑑賞できる。たいしたもんである。たった4000円である。年金暮らしのジジイには実にありがたい。

ちょっと成田山新勝寺への参道を外すと、成田空港から海の外にも出かけられるし。

しかし、北朝鮮問題が暗雲となってきている。かなり心配である。海外旅行にも出かけられないではないか。出かけてしまったら、戦争になったんでは非常に危険である。なにも起こらないことを祈るしかない。なにか起こったら、命を失うのは当事国の国民である。庶民である。日本だってとばっちりを受けるかもしれない。否、その可能性も高いだろう。戦国時代に戻ろうってぇわけにはいかない。戻らせてはならない。鼓腹撃壌ではナイが、庶民が生きていける生活を担保するのが全世界の政治家の義務ではないのか。

政治家の皆さんにはがんばってもらうしかない。平和厳守である。

そしてさらに思った。

室町時代に能は急速の発展をしたが、あの時代も戦乱の時代であったのだ。そういう政治状況の中で、武家も庶民もたったひとつの芸能を楽しんでいた。

それをどう思うか。タダの暇人の手慰みとしてとらえるのか。それとも死と隣り合わせの芸能ととらえるのか。

そんなことをふと考えてしまった。思えば、能にも政治を扱った作品がけっこうある。ボキは、喪った子供にこだわっている母親の哀しみという観点から興味関心を能に持ったのであるが(「百萬」がその好例)、庶民の願いというのは奈辺にあったのだろうかと思う時があるからである。

かつては、白拍子という方々もおられた。そういう方々との接点というものはどうであったのかと思う。

もっとある。ボキの故郷である陸奥東北には、謡曲の伝統がある。冠婚葬祭、特にめでたい席では親戚一同謡をやって祝う。これができないと一人前の親戚扱いをしてくれないのである。ボキも同様である。

しかし、ボキは関東生活が長くなってしまって、謡えない。マニュアル本もない。持っていない。伯父伯母達にも教えてもらうきっかけがなかったのだ。残念である。まことに残念。

庶民としてのささやかな楽しみが無くなってしまったのである。

ささやかに、つつましく、貧しく生きている年金暮らしのジジイは、九十九里浜から世界平和を祈っているだけである。

今日、平壌で何かが起こらなければいいのだが。太陽節とかいっている行事で。

 

合掌。

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4月14日(金)のつぶやき

2017年04月15日 05時05分27秒 | とーま君の流儀2017
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それにしてもアホなブログをやっちまったもんである(_ _ )/ハンセイ

2017年04月14日 07時14分27秒 | とーま君の流儀2017

黙っていれば、アホなのがバレないだけいい。ペチャクチャしゃべってばかりいると、バレる。性格の悪さ、能力の無さ、品位のオゲレツさ等々あげればキリがない。つまりボキのことである。

 

 

今日はこれから再診に行く。むろんエコノミークラス症候群になってICUに入って以来、ずっと行っている。ただし、3ヶ月に一回になってきた。これが一番いい。つまり、改善してきたというわけである。事実飲むクスリも減ってきた。ありがたいものである。

ま、これまでがデタラメな生活ぶりであったから。豪快であることをよしとして、140キロもあるバーベルをベンチプレスで上げてみたりしていた。アルコールも実にデタラメに飲んでいた。二次会、三次会は当たり前であった。

良い薬になったんだと自分に言い聞かせている。情けないけど、そういうことである。生活を改善するきっかけになったからである。ICUであのままくたばってしまったら、こんなことを打鍵して喜んでいるわけにはいかないからである。だからありがたいと思うのである。

なにがきっかけになるかわからん。一病息災と言うが、まさにそうである。これまで頑健ソノモノであった我が身である。豪快そのものでやってきてしまった。だから、他人への・家族への思いやりが欠けてしまった。好き放題生きてきたからである。(_ _ )/ハンセイしている。

そもそも人生は慎重に生きるにかぎる。それにこしたことはない。安全だからである。したがってトラブルを避けて、生きることができる。思いつきで、即行動に移してはいけない。特にハラが立ったときは、しばらく時間を置いた方がよろしい。明後日、ハラを立てるなら立てるべきである。そのうち忘れてしまうから。

ボキの経験上である。思い立ったが吉日だと、これまでやってきてしまって失敗したことは数限りなくある。慎重居士が一番いい。

口数も多くない方がいい。黙っていれば、アホなのがバレないだけいい。ペチャクチャしゃべってばかりいると、バレる。性格の悪さ、能力の無さ、品位のオゲレツさ等々あげればキリがない。つまりボキのことである。ボキのようにならないことである。黙っていれば多くのことがバレないのである。

だから、ボキは実におもしろくないタイプのジジイなのである。しゃべってもつまらないことしか言わない。言えない。言うつもりもない。謹厳実直を絵に描いたような堅物なのである(^_^)。(ウソだけど)

こういうジジイになってしまったのである。もう遅い。もう遅いというとこんなくだらないブログをやってしまったのも、もう遅い。後悔している。友人にも言われてしまった。今さら、もう遅いって。バカなブログを始めたものである。

ただし、唯一良かったことがある。打鍵しているから、指の運動になっていることである。惚け防止にもつながっているのじゃ。

アリガタヤ、アリガタヤ。

 

ではさようなら。再診に出かけます。東洋一の巨大病院に。

 

(^_^)ノ””””

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4月13日(木)のつぶやき

2017年04月14日 04時59分21秒 | とーま君の流儀2017
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他人が偉く見える日は。。。。。トホホ

2017年04月13日 12時37分52秒 | とーま君の流儀2017

他人が偉く見える日は、お不動様の現世肯定の教えを思い出して日常生活に戻るしかないですなぁ(^_^)

 

 

現世肯定というのが、お不動様の貴重なる教えではないのかとふと思った。これまで隠遁に憧れて、それこそいろんな日本文学の古典に親しんできたが(低レベルだけど)、成田山新勝寺に行くようになって変身してしまったよん。ヘーンシーンってやつだ(^_^)。

なにも変身願望があったわけではない。変化はしてみたかったけど。なかなかできなかったし。それに一旦就職したからには、定年退職まで勤め上げたいと思っていたからである。

亡父も町役場の公務員だったが、途中で夢を抱いて旅館経営と工場経営をやってしまった。見事に失敗した。それでもって、ボキには反面教師として亡父が心の中で位置づけられていた。だから、意地でも最後までひとつの仕事をやり遂げたいと思っていたのである。

現世肯定はありがたい。起こっていることもなにも、全部肯定である。積極的に生きることに結びついていく。なによりである。

後ろ向きに生きていちゃアカン。

消極的に生きていちゃ時間の無駄である。

そんな風に思う。

成田山新勝寺に行くようになって、感謝しているのである。バカなボキだが、感謝くらいはできるのである。一番難しいかもしれないけど。こいつが。

しかし、宮本武蔵も言っているなぁ。役にたたないことはするなって。思うに、ボキ、自分自身が役にたたない。しかも、喰っていけないような学部を出てしまって、結局こういうことになってしまったのじゃ。それでも、レベルが高ければいいんだろうけど、所詮落ちこぼれである。低レベルの。

それでもいいんだ。それも含めて全部現世肯定である。自分を否定しているのではないから。

積極果敢に攻めているわけではないけれども、それなりに生きているからである。

努力を放棄しているわけでもない。生きる屍はもっとよくないと思っているし。

ただし、夢だけで生きていこうとは考えていないだけである。現実を見ているのである。なかなか難しいけどねぇ。

立っている地盤がどうなっているかということである。それくらいアホなボキでもわかっているのだ。

だから地盤も含めて現世肯定である。否定ではナイのじゃ。

立っているオノレの足の裏まで否定してしまったら、それこそ穴蔵に落っこちてしまうではないか。

それじゃあんまりである。

お不動様は鼓舞してくれる。こんなアホな庶民のボキをである。ありがたいではないか。

マジにそう思うのである。

相手にしてくれるだけでも、ありがたいものである。

 

 

いつも朝に打鍵しているのだが、今日は間に合わなかった。アルバイトに出かけていたからである。某大学に。今、帰ってきたけど。

さ、今日は塾もある。

これからgymに行って、歩いてくるけど。

健康のために。

 

(^_^)ノ””””

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4月12日(水)のつぶやき

2017年04月13日 05時00分58秒 | とーま君の流儀2017
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昨日、久しぶりに新本を買った。交通安全講話の帰りに。佐藤優氏の「悪魔の勉強術」であった。

2017年04月12日 07時23分27秒 | とーま君の流儀2017

この文庫本を読んで、ガーンと一発お不動様にぶん殴られた思いである。思い上がりや、他人を小馬鹿にして生きてきた悪業の数々を(_ _ )/ハンセイせよということなのである。


 

昨日の九十九里浜は大雨であった。波浪警報なんかが出ていた。Gymでスマホを見ていたら、災害警報注意の通知が来ていたから。確か、一時間に55ミリくらい雨が降ってくるから注意せよというご託宣であった。

それでもボキはめげずに歩いた。午前中は、ショッピングセンターで歩いた。お昼をいただいてから、交通安全講話で某中学校に出かけるつもりであったから。

思うに、身体の内部からダメになってきたのである。血液がドロドロであるから。動かないで、じっとしていたからである。エコノミークラス症候群になってICUまで入った男である。しかも、ご丁寧に大学院博士後期課程まで入学してとうとうご用となっちまったアホなジジイである。

昨日は評論家で作家の佐藤優氏の「悪魔の勉強術」(文春文庫)を新本で買った。交通安全講話を終わってから買った。Gymに行く前にである。なんとなく買ったのである。もっとも佐藤優氏の本はかなり買った。佐藤優氏の母校である同志社大学まで行ってみたこともある。さらに佐藤優氏が学生(院生)時代にたむろしていたロシア料理の店にも行ってみた。二回行ってみたっけ。正確にはキエフ料理である。店主の歌手加藤登紀子氏の実兄が経営されている店である。加藤登紀子氏には、最後に勤務した学校の校歌を作っていただいた。二度目に行ったときは、退職してからであるが、店主がボキを覚えていてくださったっけ。加藤登紀子氏の著書までいただいた。ありがたいものである。

否、佐藤優氏のこの文庫本である。同志社大学神学部の後輩達に特別講義をなされたときの記録本である。これがなかなかいい。佐藤優氏の情報収集というのは非常に優れていて、ノートの取り方や語学学習についてはその都度参考にさせていただいてきた。今回もそのとおりであった。

大学院生活について佐藤優氏が書かれていた。非常に簡単に言えば、大学院も修士課程までならば許容範囲であろうと言われていた。博士後期課程は、疑問があるとのことであった。大学の教員を目指すのならば、学部から同じ大学の大学院に進学しなくちゃアカンとも書いてあった。大学というのは、そういう巨大なギルド制にのっかっている組織である。しかも、42・3歳くらいまでに大学教員として就職できなければ、一生喰って行けないのだそうだ。確かにそうだろう。

それに大学に入学してくる若者世代は減少している。それでなくとも、日本の大学進学率は先進国の中では低い。Korea辺りとはちょっと違うのである。

で、思った。趣味で大学院生活をしていたボキは、なんという進んだジジイであったのだろうと。時代の先進性を読んでいたのであろうと(^_^)。

無駄なカネを使っていたというわけである。趣味で勉強して、趣味で郷土史の会に参加しているだけである。好きだからである。それだけなのである。だから生涯学習ごっこと自称しているのである。あくまで「ごっこ」だったのである。

だったら、それでもって徹底していくしかない。好きでやっているだけなのだから。趣味なのだから。

ふうううううううううううむ、と思った。

これで良かったのである。まさか、大学教員目指して切磋琢磨していたわけではないし、なれるわけもない。

こういう時もボキにはあったというだけである。人生の汚点とまでは言わない。言わないが、それに近い雰囲気はある。それでよかったのである。ガーンと一発お不動様にぶん殴られたということである。思い上がりや、他人を小馬鹿にして生きてきた悪業の数々を(_ _ )/ハンセイせよということなのである。

そんなこともわかっちゃいなかったのである。

懺悔しなくちゃアカンですなぁ。

まだまだたくさんあるから。

記事を書くのにも困らないくらいに。

 

わははっははははっははははっはは。

 

(^_^)ノ””””

 

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4月11日(火)のつぶやき

2017年04月12日 05時03分15秒 | とーま君の流儀2017
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今日はこれから交通安全について話をしてくるが、これって恩返しになるのかねぇ。これまで生きてこられたから。

2017年04月11日 07時14分54秒 | とーま君の流儀2017

否。。恩返しではなくて、恩おくりである。マジにそう思う。それだけいろんな方々から教えをいただいてきたのだから。

 

 

今日は九十九里浜からちょっと内陸に入った香取市にあるO中学校に行ってくる。交通安全講話をやってくる。この中学校は今日で3年目になる。オファーがあるだけありがたいものである。

この交通安全講話は、千葉県がやっているシステムで、学校はボキの交通費だけ負担すればいいだけの制度である。だから、内容については工夫をしているつもりである。

パワーポイントと動画(MPG4)を駆使してしゃべってくる。導入はインドの交通事情の動画からである。相手に応じて話を工夫しているつもりである。むろん交通事故統計は最新の数値を出している。

さらにある。それは宮本武蔵の五輪書に書かれている「目の使い方」である。剣の戦い方として、目をどうやって使うかというのが書かれているからだ。これもまたパワーポイントに昨日導入してみた。なるほど、交通事故防止と剣の試合は共通している。命がかかっているからだ。交通安全というのは、下手をしたら命を失う可能性もあるからである。

先生方の指導も行き届いていて、話が終わったら生徒代表がお礼の言葉まで言ってくださる。まるで孫に言われているようである。かわいいものである。

しかし、残念なのはこの制度あまり知られていないのである。

それよりなにより、ボキは交通安全のことがライフワークになっているのだ。かつての教え子を亡くしているからである。何人も。オートバイで。

だから真剣にやらせていただいている。

こんなボキでもお役に立っているのかも知れないと思うからである。せめてもの恩返しである。これまでやってきたことが、いくらかでも若い世代に役に立つならばこれにこしたことはないからである。

そういえば、成田山新勝寺でも言われたっけなぁ。「恩返し」ではなくて、「恩おくり」だっていうことを。これまでいただいた恩を返すのではなくて、恩を次世代におくっていくことこそ「恩おくり」だということを。

恩を返すというのは、あくまで自分中心だものなぁと思うからである。

恩は、いただいたこと自体が感謝である。こんなアホなボキでも捨てないで恩を施してくださる方々が、これまでたくさんおられたから、今のボキがいるのだ。亡父も亡母もである。多くの恩師の先生がたからも大きな恩をいただいてきた。むろん家族もである。古女房ドノをはじめとして、子ども達にも恩をいただいてきた。それを素直に感謝すべきである。

(_ _ )/ハンセイだけがある。自覚していないからである。ホントウに悪業三昧であった。

立ち直らんといけないですな。

マジに。

 

(^_^)ノ””””

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/