「人生に、文学を」オープン講座 in 上智大学 四谷キャンパス 2017年5月20日(土) 第5講 浅田次郎さん「文学とは何か。小説とは何か。」
年金の他に2000万円ほど必要だと騒がれている。ボキなんか、年間100万円も使っていないから、信じられないような話である。そうなのだ。ボキは一ヶ月3万円で暮らしているからだ。服も要らないし、飲みにも出かけない。ショッピングなんか100円ショップしか行かない。さらに、本は借りる。欲しければ、アマゾンで古本。あるいは、ブックオフという古本チェーン店。
ただし、靴にはカネをかける。スニーカーだ。なにしろ、毎日10キロ以上は歩くからだ。
今朝も歩いてきた。起きたのは4時。しかし、ちょっと眠かった。だから、再度起きたのが4時30分。歩き始めたのは、5時。Metsで7000歩だった。夕方までまた歩く。
なぜ起きられなかったかというと、昨日は退学した大学で太極拳講座を受けていたからである。5時30分から7時まで。気功の先生で、中国人の医師。中国医学の話が実にタノシイ。人間的魅力もある。それで、昨日は下肢静脈瘤になってしまったボキの下肢の鍛え方であったから、かなり真剣に受講した。ボキは、これで大学を中退したのだった。中退した大学で、気功や太極拳を教えていただいているというのだから、けっこうおもしろい取り合わせである。
ま、こんなもんだろう。世の中なんて。
下肢静脈瘤になる原因はいろいろあるらしい。なってみてから勉強した。結論は、ただ一つ。動かないからだった。生涯学習と自称していたし、事実レポートとか論文作成で机にしがみついていた。大学院の院生室でもじっとしていた。これがアカンかったのだ。
気功と太極拳の先生も同じ事を言っていた。人間は脚から衰えるって。事実である。しかも、五十代まではジムも有効だろうけれども、年取ったら筋肉が痛むようなことはしないほうが良いとも言われた。納得した。マジに納得した。
歩くと言っても、ボキのはブラブラ歩きである。両手を振ってスタスタ歩くのでは無い。徘徊である。ブラブラ、ブーラブーラと歩いている。だから長続きしているのだろう。
歩いていればカネもかからない。
なにしろ2000万の貯金なんてない。つつましく生きているだけである。
わははっはははっははっははははっははっはははっはははっははは。
明日は大腸カメラの検診である。焼き鳥状態になっちまう。でもしょうが無い。まだ死にたくねぇからだ。
大腸カメラは、自分から希望して受ける。三年に一回はやるつもりでいるからだ。これも五十代の初期にポリープが見つかって切除してからは、気をつけている。
健康が大事でっせ。まったく健康が一番の財産であるから。
健康は、2000万以上の価値があると思っているし。
BYE-BYE!
Traveling Iran by train | DW Documentary
朝から雨である。いつもどおりに起きた。しかし、歩きには行けない。ずぶ濡れになってまで、歩いていたらちょっといかがなものかと思ったからだ。それに、今日は太極拳講座で退学した大学に夕方行ってくる。時間は十分ある。それまでにショッピングセンターでも歩いてくるつもりである。
なにしろ暇人であるから。他にやることもないし。趣味で生きているから、趣味の分野ではいろいろあるけど。出稼ぎバイトもそうだ。これも現在9種類やっている。趣味でやっているようなものである。もっとも、集団就職列車で上京してからずっと出稼ぎアルバイトだったなぁ。苦学生としてのバイトが待っていたから、けっこう辛(ツラ)かったが。辛い(ツライ)という字は辛い(カライ)という字と一緒で、これまたボキの半生は激辛ばっかりでありましたよん。カレー人生。インドに行ったらカレーは美味かったけど。
ボキは、自分の子どもには苦学をさせなかった。これが唯一の反省点である。苦労しなくちゃいけませんなぁ、人間は。相手のこころがわからないからである。苦労したら、世間がわかる。人情の機微がわかる。教育はこれこそ目標にしなくちゃならないと思っているくらいである。
ヒトに謝罪せよとか、謝れとか、クレームばかりつけている人間もいっぱいいた。仕事をしていたときである。だから材料はたくさん持っている。いつでも打鍵できるくらいに記録をとってきたからだ。でも、やらない。そんなもんをやってどうするんだいと思っているからだ。他人に文句を言っている暇があったら、太極拳でもやっていたほうがずっと良い。
なにしろ、気が満ちてくる。やる気にもなってくる。アホと戦っていたら、ほんとうに時間の無駄である。
昨日、あるイベントに参加していた。お役をいただいていたから、参加した。ありがたいことである。ボキのようなアホでも、お役にたつことがあるからである。感謝である。
そして、持参してきたパソコンである方の講演を録音していた。さも忙しそうに、パソコンで別のことをやっていたから周囲は不思議がらない。なにをやっていたのかというと、来年3月に千葉市民会館で二時間ほど話をするので、そのパワーポイントを作っていたのである(*^O^*)。
シートで47枚。全部できちまった。動画もあるのだ。演歌である。ここのところ、ずっとネタ帳というカテゴリーにアップしていた原稿がもとになっているのだ。
時間を無駄に使ってはアカンでっせ。
なにしろ、明日死ぬかもしれないんだから。
テメェのことしか考えていないで、モンスタークレーマーとかなっている暇があったら、もっと勉強するこってすなぁ。
マジに。
雨のおかげで今朝の記事は、早い時間にアップできた。さ、これからNHKのラジオ英会話である。楽しみである。暇人だから(*^O^*)。
BYE-BYE!
芭蕉というのは、かなり尊敬されている。好きな方々も多いだろう。ボキもそうだ。ふるさとの山寺や最上川も出てくるから、いつのまにか暗唱して喜んでいた。
しかし、「猿蓑」に出てくる
憂き我を さびしがらせよ 閑古鳥
という俳句を見るに至っては、生命観の躍動がなくなっている。元禄2年9月6日~9日。『奥の細道』の旅を終えて、大垣から伊勢遷宮参拝に行く途中曾良の伯父の寺三重県長島の大智院に3泊投宿して作られた俳句である。もとは、
憂きわれを 寂しがらせよ 秋の寺
であったそうな。
あくまで寂寥なのである。寂寥の世界から抜け出ていない。しかも孤独な芭蕉がいる。ただし、妙な宗教的感傷もただよっている。光明が期待されている。
ボキは俳句のこともよくわからないのだが、芭蕉の宗教的な感傷にいたっては、あまり感心しない。
しかも、折口信夫は、芭蕉がこの俳句にも挿入している仏教的精神を批判しているのである。だから、アララギの手法を批判しているのだ。つまり、古代人にあった孤独と悲嘆と寂寥の中に、歓喜と感謝と光明の仏教的精神を取り入れることによって、歌の伝統を軽薄なものにしたと言っているのである。
「他力生活を知らなかった古代人には、孤独は孤独であり、感謝は感謝であった。『無即大』『空即色』など言ふ哲学はなかった」(折口信夫全集29巻38ページ)
もう折口信夫の言いたいことはこれでよくわかった。つまり、彼は自分自身も古代人であろうとしたのである。このような古代人が思ってもみなかった哲学を短歌に持ち込もうとしたアララギの人々が許せなかったのだ。寂寥と光明は没交渉であって、それを持ち込んだ短歌の世界にアレルギーを感じていたのであろうと思う。
ただし、折口信夫は短歌を消滅させようとしたのではない。あくまで短歌のためを思っていたから警告をしたのである。このあたりが、彼の偉大な部分である。哲学が短歌を滅ぼすと言っているのである。乾燥した哲学が、短歌の息の根を止めると言っているのだ。生半可な日常的感傷が、あるいは哲学が、短歌のためにならないということを言っているのだということである。
もっとも生半可な・・・なんて言い始めたらボキなんかそういうことを打鍵する資格もないのだが。
令和の時代になって、万葉集が注目されてきた。これでもって、もっともっと学ぶべきことが増えている。うれしいことである。やることがたくさんできたからである。
BYE-BYE!
短歌や和歌は死んでしまったのだろうかということを、この二・三日打鍵していた。
ボキの知人には、そちらの世界で著名な方もいる。しかも、上司であったから実は困った。なぜか。その上司は、理科系のヒトであって、短歌や和歌にはおよそご縁のない方だと思っていたら、まったく違っていたからである。当時の生徒に、あの壇上のセンセの言った短歌や和歌はどういう意味なのかと聞かれて往生したからである。ま、それだけボキに学力がなかったからでもある。しかし、その後は学習させていただいた。でも、自分で作るほどのレベルには達しなかったけど。
そこで、折口信夫を思い出したのだ。まだ四十代のころに、折口信夫に傾倒したことがあったのだ。事実、こうやって打鍵しているパソコンの目の前に彼の全集がくくりつけの書棚に鎮座ましましている。折口信夫は、國學院大學の生んだ俊秀である。憧れの大学であった。受験しても無駄だとは思っていたが、憧れだけはあった。
それに、ボキは集団就職列車でみちのくから上京してきたばかりで、さらに苦学生であったから、学費の高い國學院大學は当然断念の対象でもあった。進学させていただいていたら、ボキの人生は変わっていただろうけど。
それはともかく、折口信夫は、今のままでは短歌はダメになると言ったのである。「歌の円寂する時」という折口信夫の論文である。大正十五年(1926)に出た論文である。若干39歳である。驚くべき才能である。
この論文で折口信夫は、アララギ派の斎藤茂吉に論争を挑んだのだった。斎藤茂吉は44歳。折口信夫の5歳上。しかも、折口信夫はアララギの有力な同人であった。
しかし、アララギの斎藤茂吉や同人たちの万葉集至上主義についていけなかったのである。古今や新古今への愛着を手放さなかったからである。
折口信夫は、短歌を滅亡させようとしたのではなく、逆であった。救おうとしたのである。短歌再興論でもあったのである。
そして、折口信夫はこのあたりから、一気に言いたいことを言うようになる。それは、古代人に神が存在していたのかどうかということである。我々の祖先である古代人は、孤独の中で生活していたし、感謝の精神も持っていなかったというのである。まったくの孤独の中で、大いなる寂寥を味わっていたのである。呪うべき寂寥であった。
そこに文学の源があったと言っているのである。詩の魂が、チラチラと燃えている闇の世界があるということである。
古代人の寂寥こそが重視されるべきであって、仏教思想に裏打ちされた色即是空とか、他力本願もなかったのが古代人であった。その意味で、仏教伝来は古代人を変質させてしまったと言うしかない。
短歌の伝統と演歌というのは、こういう筋道でつながっていると思うのである。
また、後日このことについては打鍵してみたい。
BYE-BYE!
短歌や和歌の伝統に比べて、演歌は低俗だとか大衆芸能だとか言われてしまう。
たしかにそうだろう。千年を超える伝統に支えられた短歌や和歌は、それだけで古典的評価を確立している。叙情というモノを確立してきたのである。演歌ごときに太刀打ち出来るわけがないではないかという評価はある意味正しい。
しかし、演歌も捨てたものではない。
なにしろ、大衆のものだからだ。大衆の悲しみを歌っているではないか。古典的評価を確立しているのならば、ボキのような庶民にはとっつきにくい。高校とか大学で教えるには、十分なのが和歌や短歌である。演歌はどうだろう。高校で、あるいは大学で、教えるに値するのだろうか。ボキは、そんな学校もあって良いと思っているのだが(*^O^*)。
なにもクラシックだけが、音楽教育では無いとも思っているからである。
千年を超える歴史と伝統を誇ってみても、発生は演歌と変わらないではないか。なぜ叙情を訴えるのが和歌や短歌であったのかと思うと、そこには必然性があったからである。万葉集はその点で優れていると思うのだ。なぜか。作者が貴族だけではないからだ。大衆のものである。
悲哀がある。大衆の。
これが愛欲まみれのどろどろした内容ではゲップがでる。貴族の遊びなんぞどうでも良いではないか。なぜなら、ボキは大衆だからである。
演歌の評価が、低俗だとか、大衆芸能だと言われて低いのが気になるのだ。そんなに貶めて良いのだろうか。大衆が歌を歌いたいという心理は、今も昔も変わらないのではないのか。
反社会的な歌を歌って流行に乗った歌手もいる。尾崎豊という歌手だった。あるいは、そういうやんちゃなポーズをとることによって、反社会的な行動をとっている若者に受けている歌手もいる。非常によくわかるような気がする。
かしこまって考えることはない。
歌いたいから歌うのである。こころに、訴えたいものがあるから、歌ってみるのである。
それで良いではないか。
なにもかしこまっている必要も無い。
さ、今朝も歩きながらイヤフォンを耳に差し込んで美空ひばりを聞いていた。危なくは無い。だって、たんぼ道を歩いていたから。
わはっはははっはははっははははっはははっはははっははははっは。
BYE-BYE!
#80 障害年金っていくらもらえる?受給の条件は?所得制限がかかることも?