荒野渺茫
2015年10月1日(木)
経済学者内橋克人氏の著作です。自伝的小説で、少年時代の神戸空襲の体験から始まり、戦後新聞社に就職したが、マスゴミが権力に絡めとられていく様をみて失望し、退社し自立するまでの過程が語られています。
私は、大きく二つの点を感じました。
①この国の権力構造って一体どうなっているのだろう?ということです。我がヤベー首相が本質的な意味で我が国の権力を握っているとは、到底考えられません。「子どもを産んで国家に貢献して欲しい。」というアナクロニズム的国家観を披歴したスゲー官房長官でも勿論ありません。私はヌエのような存在だと思っていて、それは資本家分けても死の商人と言われている連中、資本と結びついて吸血鬼のように利権を吸い上げる一部政治家、政治家に入れ知恵をし姿を見せようとしな一部高級官僚、思想的には、皇国観を持っている極右翼潮流等々が、時には合体し、時には一部利益の相反によりいがみ合いながらも、対国民からの収奪では一致する、そういう集団だと感じています。ヤベー首相は、所詮彼らの捨て駒です。
内橋氏は、次のように告発しています。
「恐怖の政治を手にアジア開放論を唱えて人びとを戦争に狩り立て、しかし、戦後はいち早く地にもぐって再びの時をじっと待つ。そのような勢力が存在していることに疑いはなかった。彼らはこれからも人びとのすぐ隣に息を吹き返すことだろう。政治家、高級官僚はじめ上層の者たち、流れを仕組むエリートら、その二代目、三代目たち。彼らこの国を支配したものそして戦後も支配するもの・・・。」
②もう一つは、戦争体験は骨肉化しているということです。新聞の読者の投稿欄を読んで、戦争体験をしている人達が一様に言うのは、「良い戦争も悪い戦争もない」ということです。これは論理的に言えば間違っています。他国から侵略されればそれに対して戦うのは正義の戦争です。しかし、戦争の結果がもたらすものは、いずれにしても悲惨な犠牲を伴うということです。だから、戦争体験者はそう言わずにいられないのでしょう。私はそこからくみ取ることは、戦争にならないようあらゆる手立てをしなければならないということだと思います。今のヤベー首相には、そのことが決定的に欠けています。
内橋氏自身である祐介は、戦争中の悲惨な体験は勿論のこと戦後も戦争に係わった人々を訪ね、戦争体験を反芻します。戦争体験は内橋氏の骨肉になっているのだと思います。
内橋氏ですが、1932年生まれですので82歳と高齢です。三部作の二部まで完成していますが、三部作の完成が待たれます。
最近ですが、次のように指摘しています。
「安保法制を廃止する国民連合政府を成功させられるかどうか。議会制民主主義の形骸化に野党がどこまで危機感を共有できるかにかかっています。昨年の総選挙における沖縄の選挙協力は、米軍基地問題での強い危機感で生まれました。この経験をいま生かせなければ、野党は小党が乱立する永久野党になってしまいます。」