暁部隊
2021年08月24日(火)
ちょっとした偶然と縁とがあったんです。
1週間くらい前のことです。東京の楽友から暁部隊のことについて情報提供がありました。暁部隊とは広島市の宇品に本拠を置いていた陸軍の部隊のことです。この楽友は私が宇品に住んでいることを知っての情報提供でした。
そして、その情報提供から数日後、TV局で暁部隊に関する報道があったんです。実は、話が前後しますが、楽友からの情報提供の数日前に、戦災孤児の番組があり、暁部隊の建物を使っていたという話も聞いていました。そこは私が小学校2年3年と通った学校の場所でした。暁部隊に関する全くの偶然でありますが、タイムリーと同時に私とのちょっとした縁もあったんです。
沖縄で、暁部隊の船舶砲兵の認識票がみつかり、広島に帰還しました。
激しい戦闘が行われた前田高知で見つかりました。
南区にある寺で法要が行われました。実は、私の一番の親友だったお母さんの実家なんです。「だった」というのは、20年くらい前に自死したんです。私は、このことを思い出し、この日は涙しました。
2007年10月10日のブログ記事一覧- 団塊世代の人生時計 (goo.ne.jp)
暁部隊の凱旋館跡の記念碑です。私の家から、約800m辺りのところにあります。先日確認に行ったところ、今は第六管区海上保安本部があります。
比治山に船舶砲兵の慰霊碑があり、慰霊が行われました。
戦後76年経ちますけど、まだまだ爪痕が残っています。戦争は過去の問題にしてはいけませんです、と思います、
最後に「縁」ですが、戦後直後暁部隊の下士官が私の母の実家に数週間寄宿したことがあるんです。この縁で、随分親しく付き合いがありました。私の結婚式には参列いただきましたし、私は東京の世田谷区の家に泊まりに行ったこともあります。
面白い話を聞きましたですよ。潜水艦に艦長として乗っていた時、海底に着床して動かなくなったんですね。一大事であります。潜水艦には重量バランスをとるために水を前後に動かす仕組みがあるそうなんですが、その人は、水を交互に前後に動かしたんですね。いわば、身体を揺すったとでもいうのでしょうか・・。そしたら、浮上したと言っていました。戦争で生きて帰ることができたから笑い話で済んだ訳でありますが、第二次世界大戦で死んだ310万の人の話、多分無念、は聞くことができないんです。