団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

縄文干しの佐藤社長

2012-10-15 17:27:41 | 社会
                          縄文干しの佐藤社長

                                                    2012年10月13日(土)

1 縄文干の佐藤社長にお会いしたのは、2008年2月8日のことでした。

 広島市内の福屋デパートで福島物産展が開かれていて、その場でお会いしたのです。

(当時の様子を次のように書いています。)

 各コーナーを物色していると、赤かれいの干物に目がいきました。大きいのが2枚で一連、中くらいは3枚、小さいのは4枚で、各525円。
 一連頼むと、500円にまけてくれました。試食してみると、塩の塩梅が絶妙で、美味しかったので、姉宅にも買って帰ろうと追加注文すると、一連「おまけ」で付けてくれました。

 妻が、「一昨年、福島に行ったんですよ」とその時の話を社長としだしたら、「もう一連あげる」と更に「おまけ」してくれました。
 僕が、「それでは儲けが無くなるではないですか?」と言うと、従業員が「社長は何時もこうなんだから」とブツブツ言っていました。

 帰って、説明書を見ると、「縄文干し」(商標登録済み)と言うんだそうです。
 「縄文干しは、港に水揚げされたばかりの魚の鮮度とうまみを、長く保つために、添加物を使わずに、調理液に漬け込み、氷温熟成させ、古くからなまものを長期保存するための方法である“風”により干し上げた干物です。」とあった。

 面白いことも書いてありました。
 「海底に生息する魚の汁物は菜物 海面下で高速で泳ぐ(魚の)汁物は物が原則です。」この説、もあるんですかねぇ?

 社長と、今度福島に行くときは、必ず行きますょ、と約束をしました。なぜか「ょ」が小さい。


2 2009年の2月7日、昨年と同じように福島県物産展へ行きました。

(当時の様子を次のように書いています。)

 縄文干しのコーナーが昨年と同じ所にあった。随分と気前の良い社長さんだったが、今年は体力的な限界で来れなかったそうだ。残念。
 ただ、昨年の話をしたら、他の客には内緒でサービスしてくれた。3連を2連の値段にしてくれたのだ。


3 そして、2011年3月11日の大震災・津波です。
 私は、私が知っている唯一の福島の人、佐藤社長さんへ次の手紙を出しました。心ばかりの、フリーズドドライ食品を送らせていただいたのですが、それに添付した手紙です。


 東日本大震災により、甚大な被害を受けられたことに対しまして、心よりお見舞い申し上げます。

 私は2008年広島の福屋デパートで開催された「福島物産展」で、初めて社長さんにお会いしました。
 もともと魚が好きなものですから、いっぱいおまけを付けてもらって、ついつい沢山縄文干を買いました。
 
 女性スタッフが、「社長は何時もこう(気前が良い)なんだから。」と困ったような、でも嬉しそうな表情で呟いていたのを、今でも思い浮かべます。
 私は、この女性スタッフのこの一言で、社長さんのお人柄を100%察知いたしました。
 そして、「福島へ行ったら、必ず社長さんの所へ寄りますからね。」と言い、その場を後にしたのです。

 社長さんとは、いわばその程度の関係だけなのです。でも、私には、社長さんを除いて福島には知合いは一人もいません。

 今、私が被災者の方にできることはこの程度のことでしかありません。
 全国から被災者の方々に義捐金を送るのは必要なことです。しかし、私は、human to humanで、被災者の方の顔が見え、人と人の絆が生まれるような支援をさせていただきたかったのです。

 地震、津波、原発、風評被害と幾重もの苦難を受けておられる福島の皆さんに対して、私は社長さんを通して、最大限の連帯の気持ちを伝えたいと思います。(一人は皆のために 皆は一人のために)

 最後に、縄文干が復活することを、心から願っています。


 丸源水産の社長さんへ


                       2011年4月5日



4 4月16日、佐藤社長さんから宅急便が届きました。
 4月16日、丸源水産から、沢山の縄文干が送られてきました。
 私が4月6日に、心ばかりの品をお送りしたのですが、そのお礼ということでした。(かえって、ご迷惑をおかけしたかも・・。)

 お礼の℡をし、現状をお聞きしました。

 風評被害が凄いんです。
 社長さんが、車をオークションに出したそうなのですが、「福島」ということで値が付かなかったそうです。
 また、車で東京へ入ろうとしたら、ストップさせられたと言います。

 社長さんが、福島原発について、「福島の人は福島原発で1ワットも電気を使っていないんです。全部東京へ送っているのです。」と言われた気持ちが痛いほど分かります。

 丸源水産には、150坪!の冷凍庫があるのですが、津波により、約半年分の製品に被害が出たそうです。被害を受けなかった製品は、被災者への支援にしたということでした。
 
 事業の再開の目途は全くたっていません。
 港は壊滅状況で、ダイバーが潜って流された車などを確認している状況だそうです。
 そもそも、仮に港や船が無事であっても、福島原発の影響で禁漁になっているのです。
 したがって、福島原発が解決しないと、漁の再開もできないということです。
 社長さんが、「今は魚にとっては一番いい時だ。」と言われたのが印象的でした。魚が取られないので良く繁殖するという意味です。この言葉に、いつか必ず再開したいという社長さんの将来展望を見たような気がしました。

 私は、何時か、この社長さんを訪ね、語り、気持ちを共有したいと思います。絆をつくりたいです。

 ariさん、読んでいただけましたでしょうか?
(注 ariさんという方が、私のブログを読んで、やはり縄文干しの佐藤社長さんを案じたコメントを寄せられましたので、その方への情報提供という意味もありました。)


5 そして、震災後初めての福島県物産展です。2012年2月2日、私は福屋デパートへ足を運びました。
 東日本大震災と原発事故の影響により、開催が心配されていましたが、今年もやってきました。それも、フラガールショーも行うという力の入れようです。

 2か月くらい前、福島県観光物産交流協会に問い合わせました。数年前そのスタッフの名刺をいただいていたからです。
 なんとか開催にこぎつけることができました、ということでした。
 数日前には、資料を送ってもらい、十数人の仲間に知らせました。「buy fukushima」で応援しようではないか、という趣旨です。

 それで開催初日の今日2日、昼休みを利用して、広島市中区八丁堀福屋デパートへ足を運びました。
 明らかに、昨年より多い人数です、この調子だと、土日は大フィーバーになりそうです。

 名刺をもらったスタッフに再会することができました。
 私が仲間に知らせたことに対して、大変な感謝を表されましたが、そんなことより、福島の大変な状況に対して、私ができることがほんの些細なことで、申し訳ない気持ちでした。

 毎年、縄文干しを買っているのですが、丸源水産の出店はありませんでした。さみしい思いを伝えると、更に衝撃的な悲しい情報が入ってきました。
 丸源水産の佐藤社長が2か月くらい前に亡くなられたというのです。原発事故の心労があったのでしょう。是非もう一度お会いしたかったのですが・・。スタッフによると、丸源水産の事業再会の目途はたっていないということでした。
 丸源水産の復興なくして、福島の復興もないのではないでしょうか。福島沖で漁ができないというのが、最大の理由ですから。

 今日は昼休みを利用してでしたので、本格的な買物はしていません。
 土日いずれか訪れ、本格的に買物をする予定です。
 福島県は面積が広いだけに、いろんな特色のある物産があります。
 スタッフによると、放射能検査も万全を期しているということでした。

 私は、ブログで何らかのことを呼びかけるということはほとんどしたことはありませんが、このブログを見た広島の方は、ぜひ足を運んでいただきたいです。
 2月7日までです。


6 2012年9月1日から8日にかけて、東北地方へ旅行しましたが、最大の目的は、縄文干の佐藤社長宅を訪れるということでした。
 9月2日、奥様にお会いしました。奥様の話によると、昨年の12月持病の心臓病により亡くなれたということでした。81歳。奥様はおっしゃておられませんでしたが、3.11津波それに続く福島原発事故による心労が重なったことが原因と思われます。

 子どもさんがおられて、縄文干の再開の可能性があること聞きました。


 2008年に佐藤社長と約束した、「今度福島に行くときは、必ず行きますょ。」という約束は、残念ながら、佐藤社長の死ということで実現できませんでした。
 しかし、福島への最大限の連帯の気持ちで、それに替えることができたと信じています。





 縄文干しの工場です。左側に住居があります。
 高台ですので、津波の被害はなかったのですが、地震により家屋が壊れた部分があるとのことでした。




 この場所は、縄文干しの工場から直線距離にして2㎞くらいの所でしょうか。左の半島の突端に塩屋崎灯台があります。
 


 左の海から直ぐのところですから、壊滅状態です。



 1年半になりますが、復興未だし・・。



 奥の方には家が建っていますが、新しいようなので、建替えたものかも知れません。

 写真ではよく見えないのですが、コンクリートの土台に、赤インキで、「We Will Stand Strong again」と書いてありました。







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